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雪山に紡ぐセーター 9

信じるもののために、どこまで自分を犠牲にできるだろうか。
愛する人のためにどこまで自分を犠牲にできるだろうか。
極限状態において、信念を貫くことができるだろうか。


その日、僕と祖父江くんは秋雨に打たれながら山を登っていた。
サラサラとした雨が長時間に渡って降り続き、3時間くらい濡れながら歩いていた。

登山において雪と雨のどっちがいいかと聞かれると、迷わず「雪!」と即答できる。
雪はサラサラとしていて、身体にかかっても払い落とせばよい。
しかし、雨は払い落とすことができない。体中にまとわりつき、カッパを少しずつ侵略して攻め込んでくる。
じゃあ、本気で前が見えないくらいの吹雪で雪まみれになっても、それでもまだ雨が良いというのか?と詰め寄られると、やっぱり雪がイヤです。って言ってしまうかも知れないが、普通に、雪か雨かと言われると断然雨がイヤだ。

そんな雨の中を登っていた。カッパは着ているのだが、8年くらい使っているもので、ゴアテックスのどこかに穴が開いているらしく、ジワジワと雨がしみ込んでくる。
しみ込んだ雨水はTシャツを伝わって徐々に体全体に広がっていく。冷たさも徐々に広がってくる。この水が全身に伝わってしまうと、かなり辛いことになるのだが、これ以上雨が強くならなければ何とかなりそうだった。

冷たい雨に打たれ続けるとさすがに気持ちもテンションも下がってくるものだが、今回の登山には1つ嬉しい点があった。山小屋泊なのだ。雨の中で濡れながら、テントを張り、いつ浸水してくるかという不安におびえながら寝袋にくるまって眠る必要はない。雨にも風にも雪にも負けない。浸水も雨漏りも無い(はず)の山小屋で王侯貴族のような気持ちで寝ることができるのだ。
山小屋についたら、重い登山靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、濡れた衣服を着替えた後で、冷たくなった足をストーブで温めながらコーヒーを飲む。何なら山小屋自慢のビーフシチューをすすりながらワインを飲むこともできる。この世にこれ以上の贅沢があるだろうか?

雨に濡れているとはいえ、心には余裕があった。いくら貧しくても魂までは売らない。そんなプライドと気概を持って、一歩ずつ踏みしめて歩いていた。

「昼メシどうするー?」
「ええ感じのところでササっとやろう」

このやり取りは5回目だ。雨の日の登山で悩ましいこと。それは昼メシだ。
この日の昼メシは、ラーメンだった。
山と言えばラーメンである。
ちょっと寒い季節に登山をして、山の上で食べるラーメンのうまさには秦の始皇帝も腰を抜かしたという言い伝えが中国に残っている。
それくらいうまいのだが、ラーメンを食べるには、調理ができる場所を確保してバーナーを展開し、湯を沸かさなければならないという問題がある。

キャンプ用のバーナーは火力が高いのでラーメンに使うお湯くらいはすぐに沸かすことができる。バーナーの火の上に鍋をのせるので、火に直接雨がかかることもなく、雨の中でも作れなくもないのだが、その間、短時間とはいえ立ち止まって雨に打たれることになる。

雨の中で立ち止まる。
リュックを開けて、ラーメンやバーナーを取り出す。
その間、リュックの中に雨が入っていく。
ラーメンの袋を開ける。麺に雨がかかるのが何となく気になる。
バーナーに火をつけるが、なかなか火が付かず、イライラする。
鍋をのせて水を入れる。雨水も入る。
お湯が沸くのを待つ。
歩いている間は暖かかった身体が、徐々に冷えてくる。
お湯が沸いたらラーメンを投入する。

ここまで来れば3分待って食べるだけなのだが、片付ける時もリュックを開けなければいけない。ラーメンを食べる瞬間は最高に幸せなのだが、前後の手間やダメージを考えると2対1で負け!な気がする。とはいえ、腹は減る。ラーメン食べたい。

なので、何度も
「昼メシどうする?」
「ええ感じのところでササっとやろう」
というやり取りを繰り返すことになる。ええ感じのところは、雨をしのげる場所なのだが、山の中でそんな場所は都合よく出現しない。

6回目のやり取りをしたところで、昼メシをあきらめることにした。
リュックのポケットから、チョコレートとカロリーメイトを取り出してガリガリとかじった。これはこれでうまい。。(山で歩いて疲れているときは何食べてもおいしい説アリ)

カロリー補給になるとはいえ、腹にガツンと来るわけではないので、何となく物足りなさは残る。空腹をだましながら歩き続け、山小屋にたどりついた。リュックを下ろし、カッパを脱ぎ捨て、靴を脱ぎ。入り口のストーブで身体を温める。
コーヒーがおいしい。
山に来ると、様々な感覚が際立つ。寒い、暑い、うまい、しんどい。
山の上では普段の生活では平坦になっている感覚を、鋭く感じることができる。

ひとしきり体も温まり、落ち着いたところで念願の夕食だ。
山小屋のテラスにある自炊スペースに、バーナー・コッフェル鍋・野菜・肉・ラーメン・ビールを持ち出し、陣取ったらバーナーに火をつける。このテラスには屋根があるため濡れることはない。
雨降る山の景色を見ながら悠々と食事ができる。

バーナーに火をつけて、鍋をのせ、水を6分目まで注ぐ。お湯が沸くまでの間、おつまみを食べながらビールだ。チーズ、サバ、生ハム。袋を開いて皿に並べる。
サバは缶詰ではなく、レトルト風の袋に入ってるやつだ。軽く、かさ張らない。
野菜は、前日にスーパーで買ってきた「鍋用カット野菜」。袋の中には白菜、ニンジン、もやし、エノキが入ってる。カットされているため、袋を開いて投入するだけで良い。登山用に開発されたのではないかとしか思えない出来である。

そして、鍋の主役たる肉!肉は凍らせたものをジップロック+アルミの保冷袋の2重体制で運搬する。こうすればリュックの中で結露して他の荷物を濡らすこともない。
肉野菜でモリモリの鍋に「鍋キューブ」を2個投入すればそこはもうパラダイス。
夕暮れの山、雨の冷気を感じながら鍋をつつき、ビールを飲む。
とどめにラーメンを入れて(昼に食べそこねた)すする。
「グハー」「プハー」 声にならない声をあげる。
あなたは、なぜ山に登るのですか?と聞かれた人は、本当は「山の上においしいご飯があるから」と答えたんだと思う。それを誰かが気を利かせて、いいように変えちゃったんだろうな。 登山の真理にたどり着いた一日だった。

我々がひとしきり夕食を堪能し、ランタンとヘッドランプの灯りを照らしながらウイスキーをチビチビ飲んでいると、山小屋の外、登山道からランプの光が見えた。
この時間に誰かが登ってきた?
外国人の3人組が、夜の雨に打たれながらトボトボと歩いてきたではないか。
何かよくわからない言語でボソボソと話している。
この時間帯にこの山小屋に到着するということは、よほど遅い出発だったか、道に迷ったかだろう。3人は疲労困憊という様子で小屋に入り、リュックを下ろしてカッパを脱いだ。
山小屋の主人と、マイネームイズなんとかみたいな会話をしている。

3人組のうち、1人は立派なヒゲをはやした白人男性。髭ダンと名付けた。もう一人は体格のいい黒人さん。ワイルドスピードと名付けた。最後の一人はアジア系と白人のハーフ?中国系米国人。のような雰囲気。ケイン小杉と呼ぼう。

彼らは一応予約をしていたようなのだが、いかんせん到着が遅すぎた。
山小屋の夕食時間は終わってしまい、もう片付けられてしまっている。

「なんでもいいから食えるものはないのか?(英語)」

山小屋の主人もさすがで、英語で対応をしている。
売店のカップラーメン、どん兵衛などを持ってきて「ジャパニーズヌードル」とか言ってる。
カップラーメンを手にしながら「ベーシック、シーフード、カリー」などと説明している。

3人はそれぞれ好みの味を手に取った。お湯が注がれる。

3人掛けのベンチに並んで座っている。日本人サイズで3人掛けなので窮屈そうだが、小さくなって座っているのが可愛らしい。
この冷たい雨の中を、この時間まで歩いて登ってきたのだ。
疲れたことだろう、寒かったことだろう。
彼らは、カップラーメンのぬくもりを逃がすまいと、両手で包み込むように持っている。
3分間、彼らは一言も声を発さなかった。
彼らの胸の高鳴りを感じることができる。

さあ、冷たく雨に濡れた大地から、暖かく至福の天空へと飛び立つがいい。
ウェルカム日本!これがジャパニーズヌードルだ。O・MO・TE・NA・SHIだ!
ペリペリペリと蓋を開ける。
スープの香りがほとばしる。

その時だった。ケイン小杉が頭を抱えた。

「オーーー、ポーーク・・」

がっくりと肩を落としている。カップラーメンの中の謎肉を見つけてしまったのだろう。
察するに、彼は豚肉を食べることができない宗教なのだろう。
彼は、至福の天空に飛び立とうとした矢先に、大地に叩きつけられたのだ。

僕は、祖父江君にささやいた。
「なんで確認せえへんのやろ・・・・」
この雨の中、この時間まで歩き、寒さと疲労の中で食べる最高のカップラーメンをあきらめることが出来るほどの強い精神と信仰心を持つ彼。
「おれやったら、絶対食べるけどな・・・」
「おれも・・・」
彼の強靭な精神力と信仰心をたたえると同時に、反面、
「そこまで信仰があるなら、、なんで最初に確認せえへんかったんやろ・・・」
「やんな。。。せめてシーフードにしたらよかったのに・・・」
彼は、どこに行っても、よくわからないまま注文して、やっぱり食べれないということを繰り返しているのだろうか?

その答えは隣の二人にあった。
二人とも無言でラーメンを食べている。できるだけケインの方を見ないようにしながら。

そう。彼をなぐさめる様子もなく、事情を聴くわけでもなく、無言でラーメンを食べる彼らの顔から「あいつ、またやってるよ・・・。だから、注文する前に確認しろって言ってるのに。。。」こんなメッセージを感じ取った。

宗教、家族、友情、大切なもののためにどこまで耐えることができるだろうか。犠牲にできるだろうか。山の秋雨は降り続くのであった。


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