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子供の時に読んだ本「トムは真夜中の庭で」

パリの私の部屋には天井まで届く大きな窓がある。
そしてその窓からは少し傾斜のついた公園が見える。見える、というのか「公園の中に建物がある」と言った方がいいのかわからないくらいに窓の外は野性味のある木々で埋め尽くされていて、とりわけ大きな葉をつけた枝の数々をフリルのように体に巻き付けた大木が、私の窓の直ぐそばで来る日も来る日も私の部屋を覗き込んでいる。

暖かくなると1日ごとに新緑が増え、6月に向かってじわじわと全体の厚みを増して行く。遂には公園の向こう側にあるアパートのバルコニー(唯一ひとの暮らしの鼓動が垣間見える部分)までが見えなくなってしまうと、私はまるで人里離れた山の中に住んでいるような感覚に陥る。

そして日が落ちると、細い散歩道に沿って並ぶ19世紀風の街灯に優しい明かりが灯る。それはあまりにもやさしく灯るので、それが灯る瞬間を目にしたことがないくらいだ。さあ。私が心の中で「F.ピアスの夜の庭園」と呼ぶ時間がここから始まる。

門が閉じられ、誰もいない散歩道と公園を窓から覗けるのは幸運なこの建物の住人たちだけだ。私は夕食を部屋に運びながら、もしくはヴァイオリンを弾きながら、窓越しに街灯に照らしだされる無言のベンチを見つめる。深い夜の闇の中に白く浮かび上がる散歩道は何と不思議な存在なのだろう?そこにはあきらかに別の時空が広がっているに違いない。そこで必ずと言っていいほど思い出す、子供の頃に読んだ懐かしい本がある。それがF.ピアスの「トムは真夜中の庭で」である。

私がどれほどこの本に熱狂したか、言葉にすると途方もないことになりそうだ(震える指でアマゾンの電子書籍版を何十年ぶりに読み進めた)。大人になった今ですらこうなのだから、当時これを読んだ時の衝撃は相当なものだったはずで、間違いなく現在の私の世界観に影響を与えていると思う。

玄関ホールで真夜中に13回時を刻む大時計。
トムがそおっとパジャマ姿のまま音を立てないようにアパートの階下に降り、裏口のかんぬきを外して外に出ると、そこには昼間は存在しない庭園が広がっている。木登りにぴったりのイチイの木々や、反り返ったヒヤシンスたちが月の光を浴びながら今夜もトムを待っている。そしてこの庭園でしか会うことのできない謎の少女ハティとそこで始まる冒険。もうトムにとって昼間は夜を待つ時間でしかない。トムにとって生きるべき現実はこの真夜中の庭園へとすり替わったのだ。

春が近づいて、風が急に変わり、窓を開け放っておくと暗がりの中でもまだ公園の鳥たちが気持ちよさそうに歌っているのが聴こえる。数日前にサマータイムになったばかりで、人間と同じように鳥たちも夜を昼だと勘違いして浮かれ騒いでいるのかもしれない。そして月明かりが公園を照らし始める頃、トムが真夜中に発見したあの不思議な時空がそこにも姿を現すのだろう。


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