「音楽に順位をつける」という誤謬
高校生の息子の「合唱コンクール」を見に行った。
毎年楽しみにしているイベント。
若者の合唱、涙なしには聴けない。
どのクラスも素晴らしかった。
ご指導、そしてイベントを開催してくださった学校には感謝ばかり。
しかし、音楽家として、どうしてもひとこと言いたくてブログ書いてる。
それは、最後に音楽の先生を中心とした「審査員」が「順位」を決めるのがとても嫌で。
生徒たちも、それを受け入れて、スポーツの勝敗のように盛り上がったり、「モチベーション」にしている。
でも、私が思うに、音楽教育の誤謬がここから始まっている。
一位になることへの「モチベーション」なんて、音楽の本質とかけはなれている。
本当は音楽に優劣なんてつけられない。
音楽とは、どれだけ、音とリズムとハーモニーのもつ物語を表現できるか、そしてそれを聞く人に届けれるか、という営み。
だから、聞く人がどう感じたっていいし、優劣なんてつける暇がないぐらい、永遠に続く旅なのに。
小中高の多感な時期に、「楽器オーデシション」とか「コンクール」とか薄っぺらいあおりで、間違った「モチベーション」に訴える教育してるのは間違ってる。
ここから始まって、長じても、「結局誰がうまいの?」「この人ってうまいの?」みたいに、「コンクール1位」などのラベルを拠り所にしてたりする。
コンクールなんてやると、順位をつけるには理由がいるので、減点方式で、ダメなところを指摘しまくり大会になっちゃう。
なんだか「ダメなところを指摘できる人が偉い」みたいな風潮もおかしい。
そりゃあ、ありますよ。
「ここはちょっとこうしたら良くなる」的な技術的なアドヴァイス。でも、そういうのって、あくまでも本人が求めたときに、そっと教えてあげるレッスンなんです。それを大上段に立って「批判」みたいな形や、上位にいけなかった理由みたいに語ったり、だから演奏自体がダメだった、という風な印象を与えるのは、間違ってます。
(あ、息子の高校はそこまで露骨にそういうことをしていたわけではありません。私の被害妄想が入っちゃってると思う。)
音楽って、そもそも、舞台に立って、演奏してくれてるだけでありがたいもの。
音楽を人に向かって奏でることはすごく勇気がいることで、そこに至るまでに、たくさん練習して、勉強して、音楽愛があって、しかも、自分のダメなところはいやというほど本人がわかっている。
それなのに、その上、聞かせてもらった人が、上から批判する??
よかったところをほめて、感謝を述べるしかないのに。
こういうことしてたら本当の音楽家は育たない。
だから、「コンクール」とかやめて、「フェスティバル」とかにすればいいのに。
そして、ほめまくり大会。感動を語りまくる大会。
「人に喜ばれたい」の方がずっと健全なモチベーションだし、音楽の本質にかなってる。
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