劇場という美しい「街」で〜新国立劇場「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 

 今月、新国立劇場で、ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初日を迎えました。
 オペラファンにとっては待望の初日。ご存知の方も多いように、昨年7月に予定されていたプレミエがコロナのため流れ、この夏に東京文化会館で予定されていた上演も同様の理由で中止に。いわば「三度目の正直」であり、オペラファンがドキドキハラハラしながら待っていた開幕でした。
 イェンス=ダニエル・ヘルツォークの演出によるプロダクションは、ザルツブルクの復活祭音楽祭と、ドレスデンのザクセン州立歌劇場、そして東京文化会館との共同制作。共同制作と言っても、新国立劇場では今までできているプロダクションを借りてくることが多かったのですが、今回は最初から4つの劇場が組んで新作をプロデュースする計画で、これはこれで快挙でしたし、発表された時は大いに話題になったものです。
 ザルツブルクとドレスデンでは、コロナになるギリギリのタイミングで既に上演されており、日本では今回の上演が初演となりました。
 ちなみに新国立劇場での「マイスタージンガー」は2005年以来、つまり16年ぶり。大作であることに加えて、ソリストの多さ(特に男性15人!に対して女性2人というバランスの悪さ)もあるのかもしれません。
 2回の休憩を挟んで6時間の長丁場でしたが、演出に心を奪われ、音楽の心地よさに浸ったあっという間の6時間でした。
 まず、演出がとてもよかった。
 ヘルツォークのアイデアは、まず舞台をニュルンベルクの街から、「劇場」へと移すこと。劇場のモデルは、共同制作の一角であるドレスデンのザクセン州立歌劇場、通称ゼンパーオパーです(舞台の左右には、ゼンパーオパーの白と金で彩られたボックス席が設えられています)。ワーグナファンならご存じのように、かつて彼が指揮者を務めた劇場でもある(当時は宮廷劇場)。個人的には、コロナまえはほぼ毎年のように行っていて、ドイツで一番好きな劇場なので、とても嬉しかったというのもあります。好きな理由は、適度な大きさ(1300席)、素晴らしい音響と美しい劇場空間、そしてプログラムの多彩さでした。通ううちに広報担当の方とも親しくなり、オフィスにも出入りさせていただいたりしたので、その時のことを思い出してとても懐かしくなりました。そして同時に、劇場は街だ、とも思えたのです。劇場には、一つの「街」と言っていいくらいさまざまな空間があるのだ、と。
舞台はもちろん上演空間であり、「ハレの場」ですが(最後の祝祭は劇場の舞台で、「劇中劇」の趣向で行われます)、オーディションの場でもある(ヴァルターはオーディションを受ける新人)。道具部屋はヴァルターとエーファの隠れ場所になるし、支配人や関係者のオフィスは職人の仕事部屋になり得ます。ザックスの靴工房も、舞台用の靴を何百足も揃えている劇場になら、あっても不思議ではありません。洗面台やシャワー付きの楽屋は住まい。もちろんパーティ=レセプションの空間もある。劇場にはなんでもある!懐かしいゼンパーオパーの色々な部屋を眺めながら、そのことに思い至ったのは、この演出が成功している証拠でしょう。
 時代はほぼ現代で、ザックスは演出家でもあり、劇場の支配人でもあるらしい。マイスタージンガーたちは劇場のパトロン的な存在です。だからヴァルターのオーディションにも参加するのですね。
 最後の大詰めは痛快でした。ザックスが歌っている間、合唱団は一旦退場し、ふるめかしい時代衣装をまとって登場。つまりマイスタージンガーたちの世界が古臭いものであることを視覚的に示すのです。それに対するエーファとヴァルターの反応が痛快。ヴァルターは「マイスタージンガー」の証拠としてポートレートを贈呈されるのですが、エーファはそれを破り捨て、2人は手に手をとって出ていきます。眞子さんみたいですね。
 まあ、父親が娘を「景品」にする、なんて筋書きですから、このくらい痛快だとスカッとします。
 大野和士さん指揮の都響は美しい音楽を細やかにゆったりと奏で、歌手たちに寄り添います。外国からも4人の歌手が参加。全体的に高水準でしたが、傑出していたのは外国勢ではベックメッサー役のアドリアン・エレート、日本人ではダーフィット役の伊藤達人。エレートはこの役のスペシャリストで、どの劇場でも引っ張りだこですが、インテリで小心なベックメッサーが本当に板についています。とはいえ、エレートは役を自分のものにしてしまえる人で、以前新国立劇場の「ウェルテル」で敵役のアルベールを歌った時も、普通の人なのだけれども愛ゆえに酷薄になってしまうアルベールを、身近に感じさせてくれました。それができるのは技術的なレベルが高くで安心して聴いていられる、というのが大きいのです。
 伊藤達人さんは新国立劇場の研修所の出身。甘く柔らかい声は豊穣で、高音域に広がりがあってまろやか。客席にもよく通ります。技術的にも全く危なげなく、演技も、人が良くてちょっとそそっかしい憎めないダーフィットに成り切っていました。これからがとても楽しみ。いずれ伊藤さんのヴァルターを聴いてみたいものです。
 トーマス・ヨハネス・マイヤーのザックスも、ノーブルで安定感抜群でした。
 今回、公演前の解説会つきの鑑賞会という形で鑑賞しましたが、参加メンバーの一人が、初ワーグナーだったのですが、「オペラじゃないみたい」だと言っていたのが印象的でした。考えてみたらその方とは、これまで「椿姫」「トロヴァトーレ」「トスカ」のようなイタリアオペラの名作をご一緒することが多かった。それに比べたら、ところどころに音楽的ハイライトはあるものの、大半が対話や独白で歌語りのようなスタイルの「マイスタージンガー」は限りなく演劇に近い。こちらにとってはワーグナーも「オペラ」だという先入観があるのですが、もちろんワーグナーは伝統的な「オペラ」から脱したわけだし、その形式を「オペラじゃないみたい」と表現するのは、すごーく得心がいったのでした。


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