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抄訳・源氏物語〜桐壺 そのニ〜

そんな辛い日々の中、桐壺の更衣が妊娠した。
内裏では血や死と言うものは、不浄とされていたため、実家で出産をした。
第二皇子として生まれた若君は、帝と更衣の絆が生前から深いものだという証となった。
生まれた皇子が、目を奪われるほどの美しさだと聞いた帝は、産後まもない更衣に一日も早く参内するようにとせかされた。
帝は若君が生まれるまでは、桐壺の更衣を朝晩と、時間も場所も関係なく、
自分の側に置いていた。後宮ではそのような扱いは軽い身分の者と一緒だと見られてしまい、桐壺の更衣が周りの者たちから見下される原因となっていた。そんなこともあり御息所となった桐壺の更衣を、帝は重い立場の人と同じように扱うようになった。
このことで「ひょっとして春宮には、この桐壺の子がなるかもしれない」と
第一皇子の母である弘徽殿の女御は疑うようになった。
弘徽殿の女御は右大臣の娘で、誰よりも先に入内していた。皇子と二人の皇女も産んでいるので気位の高い女御である。女御の愚痴はうるさいが、流石に無視することもできないので、帝も当たり障りなく大切にしなければいけないと思っていた。
第一皇子は後見がしっかりとしているので、皇太子にはこの皇子がなるものと、宮中でも大切に扱ってはいるが、第二皇子の輝く美しさには劣ってしまう。
帝は第一皇子のことをそれなりに大切にされていたが、この第二皇子の方を自分の愛息子としてとても可愛がっていた。
帝は更衣を御息所として大切にしていたが、まだまだ軽く見られるようで、周りからの嫌がらせは止むことがなかった。一番遠い桐壺の部屋から帝がいる清涼殿には、他の女御や更衣の部屋の前を通らないといけなかった。それが毎晩となれば、他の妃達からの嫌がらせもどんどんひどくなる。時には清涼殿に向かう橋に汚物を撒き散らして、迎えにきた女房の着物の裾を汚してしまうようなことをしたり、何人かで示し合わせて扉を向こう側と、こちら側で鍵を閉めてしまい、道の真ん中で閉じ込めてしまったりと、ありとあらゆる手を使っていじめてくる。
帝は仕方がなく清涼殿に近い後涼殿の部屋に桐壺の更衣を住まわせるため、元々そこにいた更衣を他に移してしまった。そのことで更衣はその人からもそれ以外の人からもかなり恨まれてしまった。

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源氏が誕生しました。でもまだ呼び方は「若君」です。
源氏物語では人物の名前がコロコロ変わります。
この物語の主人公の「光源氏」も男御子・御子・君・若宮・宮・源氏の君・
光る君・源氏。本名ではなく通称名、あだ名みたいなもので呼ばれるから
こんな事になるのでしょうね。
本名は滅多に人に教えないのが平安時代の常識。
名は諱(いみな)と呼ばれ忌み名に通じるため、本名を呼ばれることは良くないとか、本名が知られると呪詛にかけられるとか?
「抄訳・源氏物語」ではなるべく名前を一つの呼び方にしたいと思っています。光源氏は「源氏」と「若君」です。

弘徽殿の女御が出てきました。源氏物語のヒール役です。
彼女がした意地悪ではないけれど、源氏物語でびっくりしたのが、「うんち」です。渡り廊下に「うんち」まくんですよ。
この時代トイレがないので樋箱(ひばこ)と木でできた箱で用を足してました。
引き出しのように中が取り出せるようになっていて、それを川とかに捨てに行きます。
で、その中身を桐壺の更衣が通る廊下にばらまいたのです。
病みます。こんなことされたら心病みますとも。

令和では好きな人とは四六時中一緒にいたいですよね?
でも平安時代の貴族たちは見飽きるほどそばにいることは失礼。
というなぞルールがあったそうです。なんか浮気するための言い訳みたいだけどね。
後宮では帝の側にいるのは、身の回りの世話をする女房たちです。
妃とは別々の部屋に住んでいるので、いつも一緒にはいません。
なのに桐壺帝は、桐壺の更衣があまりに好き過ぎて
ずっと側に置いておき、何かあるたびに更衣を呼んでいた。

この物語を読んでいた平安の女性たちは、帝がどんな立場で、どんなふうに振る舞うのが正しいと知っていた上で読んでいたと思います。
なので桐壺帝がこんな行動をとっても、キラキラと憧れる気持ちで読んでいたんじゃないかな〜
(こんなふうになりふり構わず私を好きになってくれる人に出逢いたい的な)
ある意味、恋愛小説や恋愛漫画的な感じだったのかな?って思って私は読んでます。平安時代でも源氏物語はフィクションでノンフィクションではないと思ってます。

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