100分deフェミニズム 私的まとめと感想
Eテレ「100分deフェミニズム」の番組を観て、改めて自分的にまとめてみたくなったので、内容に沿って色々書き留めてみました。
そして視聴後の感想などを書いてみました。
出演者 と 推薦図書
上野千鶴子(社会学者):「男同士の絆(イギリス文学とホモソーシャルな欲望)」
日本のフェミニスト。女性学・ジェンダー研究のパイオニア。
専攻は、家族社会学・ジェンダー論・女性学。東京大学名誉教授。
鴻巣友李子(翻訳家・文芸評論家):「侍女の物語」
英米文学の翻訳、文芸評論家 ノーベル文学賞作家ジョン・クッツェーの『恥辱』の訳、『嵐が丘』の新訳、マーガレット・アトウッドの翻訳。
上間陽子(教育学者):「心的外傷と回復」
琉球大学教育学部研究科教授。専攻は教育学、生活指導の観点から主に非行少年少女の問題を研究。沖縄で未成年の少女たちの調査・支援に携わる
加藤陽子(歴史学者)」:「伊藤野枝集」
専攻は日本近現代史。近代日本の軍事史、外交史が専門。歴史学研究会初の女性委員長。女性東京大学教授。
安倍みちこ(アナウンサー)
バービー
2017年 #Me Too 性暴力を許さないというムーブメント
ハリウッドのプロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラ問題が発端。
日本では伊藤詩織 テレビ局元記者(山口敬之)から受けた性被害告発
賠償命令が最高裁で確定
彼女の本「Black Box」
#Ku Too や フラワーデモ(性暴力根絶を目指すデモ)
性差による差別を問題=フェミニズム
フェミニズムの歴史
4つの波
第一波:19世紀末、世界各国で同時に起きた女性の参政権(を含む法的政治的平等)を求める運動
イギリスでは女性グループ、サフラジェットが活発に活動 1928年参政権獲得
日本、1911年、平塚らいてうによる「青踏」刊行
「新しい女」標榜 :仕事、子育て、貞操、売春、堕胎などセクシュアリティ問題も取り上げる
平塚、市川房枝らと女性参政権運動主導。
1945年12月 女性参政権が認められる
第二波:ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」(1963)に始まる
社会的経済的平等・性的役割からの解放
主婦、妻、母という女の役割に疑問→「名前のない問題」と名付ける
家庭以外にも自己実現の場があるのでは?と問いかけ
女性の性的役割からの解放を求めた運動=ウーマンリブ 世界中に広がる
1970年 日本のウーマンリブ。女性だけのデモ「性差別粉砕」
田中美津「便所からの解放」
SEXの意味:性行為 性別
男性にとっての女 母性のやさしさ=母 性欲処理機=便所
生殖向きの女と快楽向きの女とに分断する性道徳に反旗
「女らしさ」からの解放
第三波:ガールパワー 1990年~
音楽、映画、ファッションなどの分野で若い女性の表現者が登場。影響力を持つようになる。
第四波:#Me Too運動をきっかけにした波 今現在。
第1章 フェミニズムが生まれる 因習打破
加藤の推薦書
「伊藤野枝集」森まゆみ編
因習打破
伊藤野枝 福岡 今宿 旧家の生まれ
故郷で親の決めた相手と結婚するが家出、東京で辻潤と暮らし始める
青踏に参加し、20歳で編集長に
無規則、無方針、無主義を打ち出す
21歳、無政府主義者・大杉栄の元へ 「文明批評」を創刊
5人の子育てをする傍ら、弱者を抑圧する社会への矛盾を問い続けた。
関東大震災の混乱の中、憲兵隊に大杉と共に虐殺される。28歳没。
加藤の注目:「乞食の名誉」という短編小説。伊藤がモデル。
「女性は多くの不覚な違算に囲まれている」=自覚することなく、思った方向と違う状態に陥っている
不覚な違算:主人公”とし子”の場合
働かない夫、子育てで時間を奪われる日々、外で働くことを反対する姑。
因習的な家庭の主婦に強いられる多くの試練。
「青踏」→物好きなお嬢さんの道楽という痛烈な批判を受ける。
雑誌に誇りを持とうと葛藤する→夫は素知らぬ顔→孤独、焦り
女性無政府主義者&婦人解放活動家エマ・ゴールドマン=とし子の支え
自分が握っている「ジャスティス」を捨てる訳にはゆかない。
仕事の前に、子供の熱、親の世話が発生→当然の女性の役割となっている
女性がキャリアを挫折する機会が多い
変える制度はあっても変えづらい空気、雰囲気が抑止している
その社会にある空気、雰囲気=習俗
「習俗打破!習俗打破!」 野枝のキーワード 唯一の救われる道
国連の女性差別撤廃条約:女性に対する差別に対する法律や規則だけでなく、慣行及び慣習を修正または廃止するための全ての適当な措置
立法含む)を取らなければならない。
夫婦別姓問題
1991年 法制審議会でまとめ、いざ審議に掛ける段階で潰れた(潰された)法案。珍しい。
政治的に誇大化された勢力(保守政党 自民党議員の8〜9割が反対)が潰した。(反対の最も多かった意見「家族の一体感の維持」、日本社会にとって好ましくない)
習俗打破したくても声にできない
上野「誰かが波を起こさないと波は起きません」
「言語化してくれてありがとう。これからも頑張ってください」=人に丸投げ←あなたの代わりは出来ません。自己解放はあなた自身で。
「階級的反感」:「文明批評」に掲載 野枝、23歳の随筆
労働者の為に頑張っているが、井戸端に集まる職工の女性たち(細君連)と打ち解けられない
懇意にしたいがあまりにもかけ離れている。それが彼女らにとって気持ちのいいものではないと知りぬいている自分。故に距離を取ってしまう。
→女工たちで賑わう銭湯に通うことにする→泡を飛ばしたことに注意を受ける
たまらない屈辱、情けなさ、腹立たしさを感じる。憎らしく、軽蔑もしたくなる。
自分の中にある「階級的反感」にいらだつ=現在にもある「分断」を無くすことの難しさに通ずる
青踏創刊メンバーは日本女子大(女子の最高教育機関)の同窓生:そもそも労働者を観察できない
野枝(元は裕福な家庭出身)は両方の視点から観察できた。
上間:中卒女子の支援の中で階級的反感を感じる場面
72時間ピルの処方を訊いてきた→そうならないように策を練ったはず
なぜそういう所に行くのか?←「中卒のシングルマザーにはこれしかないんで」←お前には○○があるでしょ?○○出来るでしょ? と暗に言っている
上間「痛みに対して手を取れることはある。お互いの理解を進めていきたい」時間をかけて丁寧なコミュニケーションが必要
階級的反感を感じても「そこから」始めることが出来るのではないか?
大杉栄、職務執行妨害で逮捕
不当逮捕として後藤新平内務大臣に4mの巻紙で手紙を書く
「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」→後藤に強烈な印象を残す
後藤新平が再び内務大臣になった時、
前回の就任時、大杉、伊藤を監視させていた警官が、関東大震災時で二人が憲兵隊に連れていかれ(殺された)ことに気付く。後藤に報告し、閣議で言うことで事件化する→歴史において大きく認知されることに。この一件のみがちゃんと裁かれ有罪になった。
大杉栄、伊藤の「幼稚なセンチメンタリズム」を批判
だが、何をものを焼き尽くし、溶かし尽くすセンチメンタリズムは凄い
=本当の社会改革家の本質的精神だと褒めてもいる。
幼稚でも最初の一歩を踏み出す、最初の声をあげることが大事なのではないか?
第2章 フェミニズムは問う わたしの身体はわたしのもの
鴻巣の推薦書
「侍女の物語」マーガレット・アトウッド
「誓願」マーガレット・アトウッド(侍女の物語の続編)
アトウッド:70年代にフェミニズム文学の騎手として登場 カナダ作家
「侍女の物語」 全米ベストセラー 映画化 ドラマ化 話題になる
アメリカ合衆国をモデルにしたディストピア小説
女性が4つの階級に分けられ、分断支配される
キリスト教原理主義勢力がクーデター→独裁国家ギレアデ共和国誕生
管理監視社会 全ての人が制服着用 権力を持つ男性司令官が支配
「女性の4つの役割」
小母:女性の指導と教育 幹部階級 読み書きが許される唯一の階級
妻:支配層と平民の妻
女中:家事を行う
侍女:(激減したため)妊娠可能な女性は司令官の女性を生む侍女に
主人公が属する 名前はない 司令官のものの意の「Of Fred =OFFRED」
毎月司令官との儀式
妻が後から拘束した形で司令官に性行為を強要される
侍女の役目:子供を産むこと
妾、芸者、高級娼婦とは正反対 男を楽しませる要素はあってはならないことになっている
二本の足を持っている子宮 聖なる器 歩く聖杯
一日2回の散歩だけ
壁には以前堕胎をした医者が処刑されている
→性と生殖は徹底的に管理されている
オブフレッドの過去=図書館で働く一児の母。家族とは強制的に離されている
家族との再会を夢見ながら、過酷な日々を耐える姿が描かれる
「ディストピア小説の三原則」
・国家による性と生殖への介入
・国家による知と言語リテラシーへの抑制
・国家による文化・芸術への弾圧
代理母の物語でもある
「リプロダクティブ・ヘルス・ライツ」
Reproductive health rights
性と生殖に関する健康と権利=妊娠、出産に関わる自己決定権
産む?産まない? いつ産むのか? 何人産むのか?
決めるのは産む当人が決める自由があるというのを保障した人権
侍女にはコレがない。選択権も拒否権もない。
最近聞いたニュース:アメリカ 2022年6月 連邦最高裁判所の判決
1973年の「中絶は憲法で認められた女性の権利」という法案を覆した
→全米で中絶禁止法が広がっている(州によって違う)
→反対運動が広がる 「侍女」の恰好をして反対運動
中絶の権利 私的なことだと思われるが国際政治の争点
343人のマニフェスト 1971年 リブ第二波
フランス人女性343人による中絶の合法化を求める請願書
私は中絶した、逮捕するなら逮捕しろ デモ行進
日本 1972年 優生保護法(現・母体保護法)の中絶要件から経済的理由を削る改正案が提出された =貧乏だからといって中絶出来ない
日本の宗教的原理派 「生長の家」とかから出てきた
→ウーマンリブ勢力が猛反対 結果的に押し返した
日本ウーマンリブの誇れる政治的成果
しかし何度でも崩しにかかる勢力がやってくる→戦い続けなければならない
アフターピル未認可問題
認めると安易に中絶が増える 産婦人科医会が発表
市販薬化されれば430円~1200円程度 なのに慎重な姿勢
中絶と同様の10万円で販売という話もある
医師会はほぼ男性中心→男性が女性の性と生殖へ介入している
子供を産ませたがる理由 = 子供は財産 労働力 戦力 所有物
家父長制のなかで妻と子供は所有物
侍女の物語 後半
オブブレットは司令官と儀式以外でも過ごすようになる
司令官の言葉 多くを奪ったが与えたものもある
自由恋愛市場(肉体の市場)における屈辱からの解放
楽に男を手に入れる女と手に入られない女との間の残酷な差別をなくした
ある夜 違法ナイトクラブに連れていかれる
親友モイラと再会 娼婦になっている 侍女の待遇から逃げ出した為
拒否→不完全女性・アンウーマン として汚染されたコロニーに送られる
=ギレアデの闇
妊娠しないオブフレッド 妻から密令
司令官の運転手ニックと関係を持って妊娠しろ
悲惨な物語を語り続ける理由 「我話す、ゆえに汝在り」
侍女たちを助け出す組織「メーデー」 ニックがメンバー?
メーデーが用意したバンに乗る 運命を見知らぬ物に預けた
暗闇か?光か?
娼婦=セックスワーカー
侍女=生殖労働者
侍女 自分の貞操を守らされていたが、どっちもどっちだった
家父長制=女を反目、分断させ合いながら、両方を抑圧と支配をしてきた
生殖ワーカーの存在 ウクライナ侵攻によって顕在化
ウクライナ=ヨーロッパにおける代理母産業の一大拠点
日本でも生殖補助医療法の改正が検討→代理母が一定条件下で合法化の可能性 ビジネス化の是非
経済力による女性の身体の搾取 大金を払って代理母になって貰うから
産む側の尊厳は踏みにじられないか? (産む道具としか見られない)
上野「他人の身体を使って、自分の自由を追求するな」
分断=一番楽な統治方法 (政治や制度が示さないでも出来る)
司令官が好き勝手にやってる理由=内戦、内乱を戦う為、対外的な干渉国と戦う為という大義があるから
国力=人数 男子青年人口 兵士になれる人口
軍人に好きなことをさせればそうなる 深い問いを問いかけてる
バービー 代理母になりたい人もいるのでは?
制度がしっかり構築されれば、搾取されるだではなくなるのでは?
上野 建前 超レアケース 自由意思によって代理母になる、そういう人の立場が利用されて、そうではない立場の人に押し付けられる可能性がある。恐ろしい抑圧。
上間 「体を使って起きることは甘く見ないほうが良い」
セックスワーカの言葉 短期間では自由意思だったと言う
しかし長期間で聴いて行くと語り直されることがある。
(自由意思だったと思わされている、環境がそうさせていた可能性があるのでは?)
他人の身体を使っての、自分の自由を実現することへの怯えは捨てることが出来ないのでは?
アジアではインドが代理母産業の一大拠点で、ビジネス化していたが、最近それに対する法律などが出来た模様。
代理母を取り扱ったドキュメンタリーの映画も作られているようです。
https://asiandocs.co.jp/con/388?from_category_id=
「誓願」侍女の物語の続編 34年後に出版
独裁国家ギレアデが崩壊する過程が描かれる
アトウッドは続編を拒否していたが、現実が自分の書いたディストピアに近づいてきてしまった。 時代が書かせた。
書かれていることは、この地上の過去にあったどこか、現在のどこかで実際に起こっていること。
第3章 フェミニズムが見える化 性暴力
上間の推薦書
「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン著 中井久夫訳
上間 10代で出産する女性たちの調査 2021年シングルマザーを支援するシェルターを設立
「心的外傷と回復」 心的外傷を負った人のバイブルと言われる本
心的外傷=トラウマ
女性が受ける性暴力 子供が受ける性虐待 について書かれている
性暴力は人類史においてずっとあった。しかしなかなか表舞台に出なかった。
フェミニズムというアリーナ(表舞台)があったことで注目、出てくることが出来た。
ハーマン ハーバード大学出身の精神科医
心的外傷の研究 3つの流れ
①「ヒステリー」
ギリシャ語の子宮 ヒュステロンに由来する語 女性特有の現象とされた→「悪魔憑き」と呼ばれ真面目に取り扱われなかった
19世紀末 フランスの精神科医 シャルコーが研究に乗り出す
ヒステリー症状のある女性 催眠状態 公開講座を実施
卵巣の位置に触れる 患者 「お母さん 怖い」と怯え、
繰り返すと患者は痙攣発作を起こす→神経症の一種と定義する
オーストリアの精神科医フロイトが研究を引き継ぐ
患者に敬意をもって話を聞く
→ヒステリーは心的外傷に起因する病的状態
性暴力や幼少期の性的虐待が源泉にあると突き詰める
しかし研究を中止 (理由は後ほど)
ヒステリーはありふれた病気=性暴力や性虐待「幼児に対する倒錯行為が蔓延していること」を意味した
二十世紀の心理学理論の主流(フロイトの理論)は女性たちの現実を否認したところから始まっている。女性たちの性虐待の真実を無視した上に構築されている。
②「戦闘神経症」第一次世界大戦後に注目され始める
生き残った兵士の多くにヒステリー女性とそっくりな症状が出始める。
金切り声 すすり泣き 金縛り など
イギリスの傷病兵の40%が精神崩壊を起こした→戦闘神経症 治療が必要
ベトナム戦争で研究の頂点に
帰還兵たちが戦争の外傷的体験を語り始める
心理学的外傷は戦争の長期的で不可避的な後遺症である
1980年 外傷後ストレス障害=PTSD と名付けられる
③「性暴力と家庭内暴力」
70年代ウーマンリブ運動の中から 性暴力、性虐待が問題として取り上げられるようになってくる
女性と子供への暴力が基本的人権の侵害であると認識され始めたのはこの頃から
殴打、ストーキング、性的ハラスメント、親戚知人による性的虐待 脅迫的支配 いたるところで見られる行動パターン しかし犯罪であると認識されていなかった
それらを犯罪だと認識されるようにしたのはフェミニズム運動の功績
フェミニズム運動=女性が語り出した→性暴力の研究が爆発的に進展
レイプ、DV、性暴力の被害者に見られる心理学的症候群が
戦争生存者に見られる症候群と本質的に同じ
女性が従属的地位=男性の暴力によって維持
男女間の戦争
レイプ被害者 被DV被害者 性的被虐待児はその戦争被害者である
ヒステリー 性の戦争における戦闘神経症である
心的外傷を長期的に繰り返し受けた人の症状に着目
戦時捕虜 宗教カルトの生存者 DV・性暴力被害者→うつ、自殺傾向、解離症状=「複雑性PTSD」という概念を生み出す
→治療と回復への道が開かれた
フロイト ヒステリーの源泉を辿る→幼少期の性虐待
ブルジョワジー、自分たちの階層で起きている
19世紀ウィーンのブルジョワ社会にとっての大スキャンダル→出世欲の為に告発をしなかった 被害者たちを見捨てた(これが研究を中止した理由)
名前のない問題 名付けようのない苦しさ→言語化され、伝えられていった
問題自体が現実のものとして語られ始めた。
それまでは「あなたが誘った、取るに足らないもの」男性側の視点で語られ矮小化されていた。
ハーマン自身も多くの迫害を受け、戦ってこの本を世に出した。
複雑性 :解離的体験
「殺されるのではないか」という体験が繰り返される→耐えられないので心と体を切り離す→生き延びることは出来るが、切り離した方がやってることがわからなくなる。日常生活が送れなくなるなどの弊害が出てくる。
「侍女の物語」儀式(性行為)の最中 自分は存在しない振りをする
侍女の証言=肉体としてはこの意識の不在、つまり肉体から意識が離れて存在している状態
レイプ被害者の語り 断片的だという特徴がある 匂い 体圧 など
よくある語り「いつはじまったのかわからない」
断片的過ぎて、真実の記憶かどうかさえ曖昧になる 詳細が語られないので証明しにくくなる
助けて欲しいと語った人(母親)が強く否定する可能性がある
自分のパートナーや別の子供(兄弟)が犯したことを追求できないから
被害者は孤立無援の状態から始まる→そういうことがわかってきたことが大事
「心的外傷と回復」→回復の道のりも書かれている
本人が生きる力を取り戻し、人との新しい結びつきを作ること
本人が主体となって回復することが大事
本人を主体化しない支援は支援ではない
安全の確保(医療的ケア、睡眠、食事等)の後、心的外傷のストーリーを語ってもらう 何が起こったか?何を感じたか?
→真実を語ることが自然な回復力を生む PTSDの軽減につながる
語れば語るほど、それが現実に起こったことと認識し、解離状態が統合されていく←そのために根気よく聞いてあげる、励まして語らせることが重要
被害者は加害者に復讐したいという想い「復讐幻想」に取りつかれる
→語ることで乗り越えられる
語り合うことで復讐幻想を手放すことが出来る
(これはちょっと疑問 そのグループで盛り上がって一緒に協力して復讐をしようということになる可能性もあるのでは?)
生存者の証言:惜しみない度量を、気取らない自然体で示してくれたおかげ
人間の共世界に再加入し始める
「共世界」:人は信頼できる 社会は安全である 生きていても攻撃されないという信頼に基づく社会
自分以外の人と共世界(Commonality)を作ると「COMMON」という言葉のもつ全ての意味が分かるようになる
1つの社会に帰属すること
1つの公的役割を持つこと
普遍的なものの一部であるということ
自分の悩み苦しみは「大海の中の一雨滴」であったという感じも伴う
他者との共世界を作りえた生存者は憩うことが出来る
ここに回復は完成する
性暴力 つながりを絶たれる 話していいのかわからない
性虐待児=世界中で自分ひとり or 家族みんなが同じことをしている「父と娘はこういうことをするもんだと思っていた」 と思う傾向=誰にも言えない、言ってもわかって貰えない or 当然すぎるので言う必要もない
言葉を覚えて社会と繋がろうとする段階で起こる→言葉が奪われる
治癒的関係とは
被害者を子供の様に扱って、決定権を渡していないことが起きがち→コレはダメ
被害者を主体にして決定させることが重要 自分で獲得していかないと取り戻せない←支える側も理解していないといけない つい良かれと勝手に決めてしまいがち。
(これは子育てにも通じるのでは?子供に主体性をもたせる重要性)
沖縄 10代で出産する女性の数が全国の2倍
厳しい環境での出産が多い
臨月近くまで野宿していた子
シングルマザーのシェルター=公共がやるべき事業
しかし出来るのを待っていたら間に合わない 現実に生まれそうな妊婦がいる 設立して寄付で運営をしている状態
避妊しない=(知識がないのではなく)性的同意が非常に難しい
怖いから決められない 自己決定権の侵害?放棄?
捨てられるのが怖い?暴力振るわれるのが怖い?
避妊、バースコントロール発覚→男が機嫌を損なう ピルを捨てるなど
妊娠 避妊法に無知ではなく言い出せない 避妊を頼めない 拒否できない
しかし男は責任を取らず逃げる
アメリカ占領下の沖縄 1972年まで中絶は原則禁止 バースコントロールの知識の獲得が遅かった影響の可能性
中絶した時の共同体からのサンクション(社会的制裁)がある
基地 暴力が目の前 男子は暴力を目の前で学ぶ 彼らも戦争暴力の被害者
シングルマザーシェルター 安全は確保、提供できてる しかし共世界への参加まで出来ているかと言えば難しい 道筋を示すところまでは何とか出来ていれば…
第4章 男社会とは何なのか? ホモソーシャル
上野の推薦書
「男同士の絆(イギリス文学とホモソーシャルな欲望)」イヴ・K・セジウィック著 上原早苗 亀澤美由紀 訳
「ホモソーシャル」男同士の社会的連帯
セジウィックの功績
=ホモソーシャルとホモセクシュアルを区別する用語を作ったこと
男同士の集団でゲイやホモが苛烈に差別、排除される原因がわからなかった
「ホモソーシャル」という言葉を定義して ホモセクシュアルとの違いを明確にしたことによりホモフォビアのメカニズムを解明した
イヴ・K・セジウィック 英文学研究者
フェミニズム、精神分析、人類学を横断して文学作品を分析
家父長制がホモソーシャル(男同士の社会的連帯)を生み出すことを解明
家父長制
家族に対する統率権が家父長である男性に集中している家族形態
地位や権力、利益を持ち、男同士で繋がろうとするホモソーシャルな欲望が基盤となる
物質的基盤をもつ男同士の関係 男性による女性支配を可能にする相互依存および連帯を樹立、もしくは生み出す
ホモフォビアとは無縁の家父長制など想像できない
(ホモセクシュアルは男性による女性支配を実現、強化する役割がない=家父長制、自分たちの有利性を維持できない=嫌悪対象になる)
ホモフォビア=女性を支配する法と関係のシステムの産物
人類学者レヴィ・ストロースの言葉
「家父長制における異性愛とは女性の交換」
家父長制における婚姻とは
一人の男と一人の女の間に成立するものではない
男性からなる二つの集団(二つの家父長制家族)の間で成立する物
女性=交換される物のひとつ
ホモソーシャルな欲望≠ホモセクシュアルという性器的欲望
ホモソーシャル=性的であることを抑圧した男同士の絆
必然的にホモフォビアになる
性愛の三角形
男同士の絆の強さを説明
一人の女性を巡る二人の男性の競争が描かれる物語が多い
男のライバル同士の絆>男女の絆
人(男)が人(女)の愛の対象を選ぶ時、
人(女)の資質ではなく、ライバルに既に選ばれているかが大切
(女の顔が自分にとって美しいかどうかより、その女が他の男により既に評価(美人だと認識)されているかが大切)
男性同士の間に権力差があっても
憐み、蔑みの対象である女性を媒介にし、権力を交換したり、互いの価値を確認し合うことがある
(社長と平社員でも女ネタで盛り上がって仲間意識を高めることが出来るってことかな?)
女性は、男同士の絆を維持するための溶媒であり
資本主義と金銭主義とともに育まれた相対的な民主化を促進するばかりか、
民主化の空白や欠点や繕う役割も果たす(権力差の嫉妬などを誤魔化せる?)
異性愛の男
ホモフォビアを持っていて
ミソジニー(女性嫌悪・蔑視)を通じて
ホモソーシャルに成員資格を持っていると認められた男
女性:ホモソーシャル内のパワーゲームにおける獲物(報酬)
他の男たちが認めてくれる女じゃないと価値がない
イイ女:凡庸で陳腐 トロフィーワイフ
アルファ・オス アルファ・メール
パワーゲームのトップにいるオス
体育会クラブのキャプテン
IT社長 人気イケメン芸能人
そういう男に選ばれる私に価値を見出す女
名誉男性 男性と同じ地位を与えられた性的対象とは見られない女性
しかし男性としては扱われない 二流の男
名誉男性の女性も、男たちと一緒に女性を蔑視 ミソジニーを抱えている
名誉白人の問題と似ている
男の生きがい≠女に愛されることではない
男の生きがい=男から男だと認められること
鎌倉の殿の13人 三浦義村 自分より強い男の女にちょっかいを出す
この女性を落とすことでその男を越えることが出来ると錯覚
女性のホモソーシャルな集団
富と権力を独占していないので配分することが出来ない=ただの集まり
家父長制、セクシュアリティのあり方は歴史や社会的背景の影響を受ける
イギリス 18世紀後半 ブルジョワジーの台頭 家父長制が広がる
貴族階級の同性愛を含む性的で自由な傾向から
勤勉で生殖中心の性愛=異性愛が励行されるようになって行った
社会構造の変化が家父長制を進め、ミソジニーやホモフォビアを強化
貴族社会:貴族=アルファ・オス が女を独占
平等な市民社会:一夫一婦制 女の分配平等 ホモソーシャルの連帯の確立
(女性が)結婚、出産 子育て するのが当たり前という常識 歴史は浅い 市民社会の台頭から 100年ちょっとぐらい
日本における女性の比率
国会議員 参議院9.9% 衆議院25.8%
国家公務員(指定職相当)3.9%
OECD(経済協力開発機構)の30%にしたら極端に低い
=日本はホモソーシャルを形成する人達がミソジニーに熱中する文化が強い
「パワーゲームから下りられない」…男性性の核にある
男性:組織に滅私奉公で全身で関わっている 他の男性に認められることが大事
女性:組織に半身で関わっている すべてを捧げない=正気の関わり方
ホモソーシャル内のアイデンティティが自分の全てではない。そのほかの部分もあると気付くべき=正気の選択→男も社会も変わる
若い男性 変化の兆しが見える
育児介護 半身で関わることになりうる要因
育児介護などを通して人と人との関わり合い 存在の実感がある
職場では代わりはいる 育児介護では代わりはいない=自己の存在意義
フェミニズムの未来
その時代を生きている人にしかわからない
押し戻す流れがある 諦めない 立ち止まらない
感想
私はフェミニズムについてはスゴク知識が浅い人間です。
女性の地位向上委員会的な活動?ぐらいにしか考えていなかった。
その詳しい内容もあまり深く考えようともしてきませんでした。
(もちろん青踏、伊藤野枝、ウーマンリブとかは知識としては知っていましたが)
しかし最近ジェンダー平等、ジェンダーレスと言われる中、
なぜこの役割は男じゃないとダメなんだろう?これは女じゃないとダメなんだろうか?そもそもそれはどこに由来するのか?なんてことを考えることが多くなりました。
そして自分が、ものすごく家父長制の呪縛に囚われているんだなあと実感するのです。
たとえば女らしい言葉遣い。なぜか私は女性が「お前な~」などと他人を呼ぶのに嫌悪感を覚えるのです。ではそれはなぜなのだろう?どうして女性に丁寧な言葉遣いを求めてしまうんだろう? まあ男でも汚い言葉遣いの人物は嫌いですけど、それ以上に女性が使うとより嫌悪感が強い。
これは家父長制の強い家庭で育ったことによる、女性は従属物的な考えが刷り込まれているからなのか、と思ったりしていました。
そして私はテニスが好きで、昔からテニス選手のツイッターをフォローし、彼らの言動を見てきました。
その中で女性の権利向上に尽力し、WTAというプロ女性テニス協会を立ち上げた70年代の名選手、ビリー・ジーン・キングがフェミニズムの旗手の1人であることから、テニスはものすごくフェミニズムに対する意識が高いスポーツという印象があります。
しかし男性選手との意識の剥離が凄そうだというのも感じます。
男性テニス選手はホモソーシャルの度合いが高いようで、ホモフォビア傾向が強いと感じるのです。
他のメジャースポーツでは現役選手のカミングアウトが相次いでいる中(女子選手はキング女史、ナブラチロワと80年代ごろから現在にいたるまでカミングアウトは割とある)、男性テニス選手における現役でのカミングアウトは皆無。そして有名選手がモデル等のトロフィーワイフと結婚するニュースもよく聞きます。
そんな中、昨年男子TOP10にいるギリシャのチチパス選手の発言が物議を醸しました。
(ここでいう女性であることを誇りに思う女性=アルファ・メールから評価される女性のことだと思われる。つまりホモソーシャル内で価値がある女性 男の獲物としての価値のある女性)
これが大炎上。
テニス界、女性選手のフェミニズムの旗手たちだけでなく、各方面から批判されたりしたように記憶しています。
そして、コレが男子選手間のトレンド、潮流、一般的な見方であるのかと危惧されたそうです。
キリオスという別の男子選手も、レイプされるのは女性側にも責任があると言って、各SNSからバンされたタレントを賞賛したというのが話題になったばかりだったので。
それでこの時に、私自身もフェミニズムとは何ぞや?とwikiを読んだりしてみました。
”フェミニズムとは、性差別をなくし、性差別による不当な扱いや不利益を解消しようとする思想や運動のことである。 フェミニズムはその歴史から女性権利向上・女性尊重の運動だと捉えられがちだが、男性嫌悪や女性だけを支持するものではなく、男女両方の平等な権利を訴える運動である”
どうしてもフェミニンと言う言葉と近いので、フェミニズムというと女性だけに限定される気がしていたのですが、この運動には男性も含まれるんだと、結構、目からウロコな発見でした。
現代のホモソーシャルが強い社会のなかで、そこから降りたい、プレッシャーに苦しんでると思う男性もいるわけで、そういう人をホモソーシャルの呪縛から解放することも含まれるのかな?と思うと、男女関わらず人類をより自由に、平等に解放する運動なのかな、と思い至りました(違っていたらゴメンナサイ)。
女だから、男だから…って考えるのが本当にメンドクサイというか、そのプレッシャーが鬱陶しいと常々思っていたので、今回、この番組を観て、特にホモソーシャルの解説が凄く腑に落ちる部分が多くて勉強になりました。
余談:チチパスのツイッターでのひとり語りがマンスプレイニングだとも言われていました。
”マンスプレイニング(Mansplaining)は、主に男性が(相手を無知と決めつけて)何かを解説したり、知識をひけらかしたりすることを指す言葉。 「man(男性)」と「explaining(説明・解説する)」をかけあわせた用語である”
これを確認するチャートも作られていました↓
https://www.bbc.com/worklife/article/20180727-mansplaining-explained-in-one-chart
確かにこうやって語る男、いますね。とくにこういう影響力のある人物、人気のある人物がすることによって、これで正論を言ってると錯覚する人もいるでしょう。こういうのもホモソーシャルの洗脳の一種なんでしょうかね?
そして今回、私がふと思ったのは、日本でBLがこんなに流行った理由は、ホモソーシャル社会が強すぎるというのもあるのではないか?と言うことです。
日本の女性は堅固に張り巡らされたホモソーシャルの壁が至る所にあり、それを打破することも悉く邪魔されている。おかしいと思う思考を奪われ、従属的立場にいることが賞賛され、当たり前だと思い込まされてる部分もある。
そんな中でBLという同性愛、ホモソーシャルから逸脱した世界を愛でることが盛り上がるということ、それはホモソーシャルへのアンチテーゼだったのではないだろうか?と思ったわけです。
BLでよく扱われるのが、まさしくホモソーシャル内での男同士の愛。
その男同士の絆はお前らが毛嫌いしている男同士の愛と実は同じではないのか?と突き付けることで彼らに復讐している、嘲笑っている部分があるのではないのかと思うわけです。どこまで意識しているかはわかりませんが。
そして気になったのが同性愛は昔からあった訳で、では平安時代の紫式部や清少納言の時代にも腐女子はいたのか?
平安貴族の中には同性愛の関係がそこら中であったはずなのに、それを傍から見て喜んで記した文学作品や日記などがあったのだろうか?
私は古典に詳しくないのでよくわかりません。
平安期の「台記」は、左大臣・藤原頼長の日記で同性愛描写で溢れているのは知っているのですが、女性視点で書かれたものではないし、多少はあったとしても今の様に隆盛したわけではない気がします。
では70年代の女性マンガ家らの活躍から始まり、80年代のやおい、そして90年代から続くBL、これはやはり明治期の富国強兵から、戦後に続くホモソーシャルの強化によるアンチテーゼとして現れてきたのではないのかな?と思うわけです。
世界「男女平等ランキング2022」において、日本は116位で史上ワースト3。G7ダントツ最下位。韓国、中国よりも低い。
意識的、無意識的にBLがこの格差のはけ口になってる部分もある気がしないでもないです。
私自身、結構長いこと腐っているのは自覚しているのですが(70年代の「風と木の詩」等をリアルタイムでは知らない世代。80年代のやおい漫画くらいからはボチボチ知っている)、自分の家が自営業で、家父長制の強い家だったのも影響しているのだなとなんとなく腑に落ちました。
とにかく、家父長制の頂点にいる父親がず~っと嫌いでした。
母親、子供は父親の従属物。母親に決定権なんかあったことがない。
私たちはいつも父親の機嫌を伺って怯えていました。
暴力、モラハラでずっと支配されていた気がします。
母親が深夜、事後に体を洗っているのを何度も見たことがあります。
直接本人に聞いたことはありませんが、夫婦間レイプのようなものもあったのでは?と想像します。そしてそれが楽しいわけではないので、父親に多少なりとも罪悪感を抱かせる。そして父親は外に女を作ることもずっとありました。
母親が数年前に死んだときも、父親は「俺の女を死なせやがって!」と私を責めたことがあります。
そもそも母親は、父親に「殺してやる」と言われたことに耐え切れず、父親から逃げるように長年別居していました。彼女の最期の世話なんかまるでしてこなかった自分のことを棚に上げて、まるで自分の所有物を私が失くしたかのように言われた時、私はショックで言葉を失いました。
そんなホモソーシャル、ホモフォビアの権化みたいな父親に反抗するような感覚が私のBL嗜好の土壌にあるのかもしれないなと、この番組を観て気付かされた気がします。
番組内の気になった所
「習俗打破!!」
これは本当に難しい問題。常識なんて時代によって変わるのに、常識って言葉で縛られてるものの多いこと、多いこと。そこで思考ストップしてること、自分にもいっぱいある。
夫婦別姓が自民党の反対、中絶、アフターピルは医学会、
既得権益が邪魔してるんだろうな~と思うこと、いっぱいある。
どれもホモソーシャルが強そうな世界。政界、医師会。
「侍女の物語」は何もアメリカだけの話じゃないと思う。日本もそんなに変わらない気がする。
今の政権見てて感じるのは、国民は駒と思っているだろうこと。
税金を献上する駒。いざとなったら戦闘力に使う捨て駒。
女性はそんな駒を産む道具の駒。
「女性は子を産む機械」って実際発言した大臣がいたんだから、政治の中枢にいる連中はたぶんそう思ってるんでしょう。
(まあその割に少子化対策は遅々として進みませんけどね)
彼ら支配層は自分たちで最前線で身体を張ることなんて絶対ない。
失言、不祥事したら病院に逃げる議員ばかりなのだから、なにかあったら絶対逃げるに決まっている。逃げるどころか、侵略する国からお金貰って売り渡す気満々の可能性もある。ディストピアに片足半分ツッコんでるからこそ、転生物なんてジャンルが流行ってるのかなとも思う。
戦争負傷者が性的被害者と同じ症状が出たことによって、性的被害者のほうにも光が当たったというのが興味深かった。
回復の過程の中で、「話を聞く」ということの重要性が語られたのも、
アル中、ヤク中、鬱、自傷、そういう物の対処療法の中でアノニマス・ミーティングっていうのをよく聞くので、納得。海外のドラマでもそういう会合に行って、自分の体験談を語ったりするのをよく見ます。
私も過去に、アダルトチルドレンのアノニマス・ミーティングに参加したことがあります。とはいっても何も発言できませんでしたが。
語ることで回復への一歩になるんだと、当時はそこまでわかっていませんでした。人前で話すことの意味が分からなかった。
主体的に話したい、とならない限りは治療にもならないということですね。
知識がないと、どう行動したらいいのかわからないけど、今回みたいに少しずつでも知識を得て、理解していって、自分なりのフェミニズム活動をしていけたら、そして未来はもっと男女ともに自由で平等な世界になっていればな…と思った次第です。
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