もしかしたらこれを見ている憎き人よ

転職が決まって会社に報告をしてから、矢継ぎ早に浴びる言葉たち。「なんで辞めるの?」「人間関係?」「きつかったの?」「あたしも人間関係きついけどやってるし」「どんな会社?」「次の会社どこ?」「自分のこと過大評価してるんじゃない?」「ハートが弱い」「怒られているときのお前の顔が好かん」「こんなに福利厚生がいいのに」「部署的に聞こえがいいけど見た目だけだし」

頼むから放っておいてほしい。お願いだから。いや、私が信頼している人、例えば一度は酒を共に飲んだ人、例えば私の愚痴を聞いてくれた人、そういった人であればいい。そうであれば、むしろ私なんかに心配してくれて感謝でしかない。ただ、問題はそうでない人たちだ。

「そうでない人たち」は私の何を知るのだろう。大学受験を失敗して、就活だけは絶対に成功させたいと願い努力してきた大学4年間を知っているのだろうか。就職活動の息抜きに母とパスタを食べていたら、目の前で母が苦しそうな顔をして、その後食道がんと診断されたことを知っているのだろうか。行きたい業界について両親に否定され、あんたには受かるわけがないと、地元の安定した企業に就けと懇願されたことを知っているのだろうか。第一志望の会社に落ちて、会社から家までの約1時間、電車でも人目を憚らず泣いた私を知っているのだろうか。大学のハラスメント教授の声が木霊して、卒論を書く手が震えたことを知っているのだろうか。卒業式の袴姿を撮るときの母が寝たきりだったことを知っているのだろうか。

新人研修後家に帰ると、がんが全身に転移して脳に腫瘍ができ、認知症とおぼしき状態の母に私が作った料理を否定され続けたことを知っているのだろうか。翌日も研修である夜中、母の様態を確認し病院まで車を走らせてばかりだった日々を知っているのだろうか。母が死に、目の前で燃やされて骨になる姿を見届けた時、どんな気持ちになったか知っているのだろうか。父の病気が発覚し、手術などで急遽会社を休む時、有給ではなく欠勤扱いになったことを知っているのだろうか。

自らの性別を忌み嫌う私が、女だからと下に見られる生活がどんなに耐えられなかったか知っているのだろうか。信頼しているから話しているのに、それが信頼の欠片もないような人間に広まっていることにどれほど嫌悪を感じるか知っているのだろうか。母のことを悪く言われるのがどんなに嫌いか知っているのだろうか。その理由が私が母の生き写しのような性格をしているからと知っているのだろうか。

私が、どれだけ醜く汚いか、知っているのだろうか。

何も知らない人に、私はどうして偉そうに語られないといけないのだろう。とはいえ、私のことを深く知ってもらいたくも、ないけれど。

地元を離れ、誰も私を知らない人しかいない環境に行くのが、とても楽しみだ。知っていてくれているという期待を、そもそもしなくて済むから。


あとがき
泣きながら、貪るように文章を書いた。書き始めは泣きじゃくっていたのに、今となっては冷静だ。この世で信じられるものは唯一、文章だけだと切に思う。

私の文章を好きになって、お金まで払ってくださる人がいましたら幸福です。