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レシピは積極的に晒しましょう 今すぐ全世界に晒しましょう

今回はだいぶ黒いと思います。覚悟がある方はぜひどうぞ。

あなたの「レシピ」に守る価値はあるか

僕が知り合ってきた料理人の多くは、こう言いました。

「レシピを教えてくれって言う人がたくさんいるけど、これは自分が努力の末見つけたものだから簡単には教えたくない」

はい、申し訳ないんですが、もう令和の時代になったのでこの考えは捨てましょう。少なくとも飲食業界の発展を望むあなたなら、捨てましょう。

この「現世でのみ」「一瞬のあなたの繁栄のみ」を望むのならどうぞご自由に。きっとあなたが生きている間はその秘蔵のレシピはあなたに売り上げをもたらすでしょうし、あなたは良い生活ができるでしょう。よかったですね。

さて、ではあなたの息子はどうでしょう。そうか、なるほどあなたは一子相伝でそのレシピを教え続けるんですね。確かにそういう道もありますね。ではあなたに問いましょう。「そういう業態が続いているものを一つでもいいです、教えてくれませんか?」

盛者必衰、栄枯盛衰。春の夜の夢の如し。こんなことは中学高校の授業でも習ってきたはずです(宇多田ヒカルじゃないですよ?)。今の繁栄が未来永劫続くとどの歴史が証明していますか? そう思えば歴史を学ぶ意味というのはとても大きいものだと僕は思います。過去の先達が「これではダメだ!」と教えてくれているわけです。でもあなたがたは「勉強嫌いだから」とそれを見ぬふりを続けているから、今でも自分の「レシピ」に固執するのでしょう。

情報の価値というのは、相対的に下がっています。それが重大な価値を持っていた時代は確かにありました。それこそ一子相伝の技術が家を成り立たせていた時代があったことは知っています。

しかし、今や開業1〜2年目の店がミシュランの星をとったりします。「串うち3年」とか言われていた飲食業界の情報の価値が一気に下がったことの表れだと思いませんか。本当は修行なんて必要なかったのかもしれません。今までの店が秘密にしていた「情報」なんて実は価値がないのかもしれませんよ?

世の中にはA5等級の肉があふれ、どこもかしこも「おもてなし」を重視したサービスをし、CS(顧客満足度)を指標にして経営戦略を練っている。この世の中のどこに情報に価値があるというんですか。あなたが大切だと思っているものは、きっと100年後には死んでいる情報なのです。そこまで考えてあなたはあなたのレシピが大切なものだと思っていますか?

「レシピ」を公開しても完全な再現はできない

僕はこの半年、自分の接客技術を公開してきました。

それらは確かに有料でした。しかし、それは100円でした。発泡酒一杯より安い値段です。価値なんてあってないようなものでしょう。(ちなみに僕はただ読みたくもない人に届けたいと思わなかったので有料という形にしました)

でも、申し訳ないけれど、この接客技術「レシピ」を読んだからといって、誰もが僕と同じ接客ができるなんて思ってもいません。正直なところ、無理でしょう。僕の真似は実は誰にもできないのです。それくらい、僕は死ぬ気で自分の「レシピ」を作り上げてきました。

料理は化学です。一定の工程を踏まえれば同じものが出来上がります。それは知っています。いつかは糖度計を使いながらドルチェを作ったことがありました。こんなに料理というのは化学なのかと感動したこともあります。

しかし、目の前にいるのは「生きている人間」です。

その「人間」に美味しく届けるには、リアルタイムの情報がものすごく大切になってきます。お酒を飲まない人、たばこを吸いたくてしょっちゅう離席する人、初めてレストランに来る人。それらのお客様に満足してもらうためには、その「人」を見ることが不可欠なはずです。少なくとも僕が尊敬してきた料理人はそういう人ばかりでした。

僕は、この目の前の「人間を見る」というところまでは正直言語化する自信はありません。

なぜか。それは刹那的すぎるからです。ためらったその1秒で失われる感動がそこにあるからです。そういうものを「プロ」なら知っているはずです。あのテーブルにはこのコンマ数秒の火入れが大切なことをあなたは知っているはずです。

なら堂々とレシピを公開しましょう。どうせあなたの真似はできません。パクられる心配なんていりません。どうせ「プロ」であるあなたの真似は誰もできませんから。

あなたの「レシピ」はどこから?

さあ、ここで一つ問題が出てきます。「レシピ」を公開したところで何か良いことがあるのか? いい疑問ですね。お答えしましょう。あります。というかそもそも論として、あなた自身その恩恵にあずかっているのになぜ同じことをしないのか、と僕は思います。

あなたが学んできたいくつもの料理のレシピは誰が作ったんでしょうか。まさかあなたが全てオリジナルで作った、という人はいませんよね。

知っていますか。あなたは先達によって生かされているのです。もっとはっきり言いましょう。あなたは、自分の先輩たちの作ったレシピによって、今のあなたが思いつけただけなのです。

これは高校までの勉強をきちんとしていれば本来分かることです。

僕は理系なので数学が好きなのですが、すごいですよ、数学って。僕らの何百年も前から、世の中のことを数字で解き明かそうとしてきたんですよ。

数字は苦手かもしれませんが、ちょっとだけ付き合ってください。

黄金比って知っていますか? デザインなどでもよくつかわれる比率の話です。バランスよく美しく見える比率の話ですね。

それは8:13とか5:8とか言われるんですけど、盛り付けのきれいに見える比率って、これに近いんですよね。

たぶん8:13とか5:8とかが分かりづらいのできっと一般的には7:10で書かれているかもしれません。

8/13=0.6153...
5/8=0.625
7/10=0.7

さすがに7/10は近い値とするには言い過ぎな気もしますが、でもだいたい同じ値だというのはわかってもらえますでしょうか。少なくとも1:2とかではない。ぜひあなたの店のお皿の盛り付けを明日見て、料理と皿全体の割合が綺麗に見えるものを感じてください。料理7:皿10(つまり料理7:余白3)に近くなっているでしょう。

僕らは知らず知らずのうちにある一定の法則に魅了されていて、それは実は自分たちの先輩が数学という分野ですでに見つけているわけです。ねぇ、高校までの勉強が無駄だなんてうそぶくのは今日限りやめましょう。不良っぽく振る舞ったって、かっこ悪いだけですよ。

さて、それと同じ具合で、僕らの先輩は最強のレシピをすでに作り上げているんです。「プロ」なら先達の技術によって僕らが生かされていることなんて知ってますよね?

もしわからないなら教えてあげましょう。どこの誰が「低温の油でじっくり火を通す」と美味しいことを見つけたんですか? どこの誰が過熱による糖とアミノ酸の反応を見つけたんですか? それらは今で言えば「コンフィ」だし、「メイラード反応」でしょう?

あなた自身が先達の「レシピ」によって生かされているのに、どうしてあなたはそれを後世に残そうとしないのですか? 理由があるならぜひ教えてほしい。そこまで自分が大切ですか? 僕は正直にそう思います。

「レシピ」を公開するメリット

では「レシピ」を公開するのにメリットはあるのか? あるでしょう。感じないのならそれはあなたの「レシピ」には実は魅力がないだけです。

僕が働いていた星つきのレストランにはいくらでも人が集まってきました。

今で言えばブラックとも言える環境でも、絶えず人はやってきました。そのシェフは積極的にメディアに出ていたしレシピも絶えず公開していました。その料理観でさえ本にしていました。

「本っていうのは一回書いちゃうと修正がきかないからつらいよね」なんて言っていましたが、僕もそのレストラン観に魅了された一人でした。

あなたがこの文章を価値があるものと思ってもらえるのなら、わかるでしょう。自分の「レシピ」を公開することでそこには優秀な人材が集まりやすくなります。

逆に考えればわかることです。すごい「レシピ」には人が魅力を感じる。そうしたら人が集まる。一生、未来永劫今いる家族だけで経営をしたいならどうぞ、でも飲食の未来というのを少しでも考えるのなら、ぜひ「レシピ」を公開しませんか。

あなたが公開したその情報によって、未来の飲食のスターが登場するかもしれないと思えば、一生にそういう人材には一人くらいしか出会えないそのレアリティをふまえた上でも、僕は価値があることだと思いますし、あなたの名前を歴史に残すことになると思うんですけどね。ここまでお話してそれでも「おらが村」を大切にするのならどうぞ。僕は業界を引き上げる方向に行きたいです。

僕ね、でも知ってるんですよ。グッチっていうナイロンバッグを高く売る会社があるってこと。きっと製造方法ってすごく大事なんでしょうね。すごく黒い黒ワインでした。ではまた。

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追記7/1 12:03

Twitterの反響を紹介させてください。この文章の補足にもなると思います。

こうした「レシピ」公開の考え方が突飛なものではないし、また飲食以外で受け入れられている業界があることが伝わればと思います。

今回敢えて「レシピ」と括弧をつけて書いてあるのできちんと読んでくださればわかると思いますが、何も料理だけのことを言っているつもりはありません。むしろ料理以外にこそ大事な話のような気もします。これを書くのもなんか野暮ですが、多くの人の目に触れるようになってきたので、補足します。

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