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オーナーシップを握るとは我を通すということか?


〜人生のオーナーシップを自らの手に〜Vol.3

第1弾、第2弾と「人生のオーナシップを自らの手に」に纏わる
僕の物語を紹介させて頂きました。
第1弾は、他者からの評価軸に巻き取られるのではなく、
自らが何をやりたいのか?人生で何を体験したいのか?を軸にする。

第2弾は、人生で後回しにしていることが、あればそれに日の目を当てる

といった物語でした。
どちらも、だいぶアグレッシブな姿勢でもあり、
僕にとっても、尖った行動を起こしていったトップ2の出来事でもあります。
なので、ご覧になった方の中には
「そりゃ、理想的にはそうなんだろうけど、そんなこと簡単には、出来ないよ!」
という気持ちが湧いたり、
「それって、結局何が何でも自分の思い通りにやろうとするわがままなんじゃないの?」
という気持ちが湧いたりした方もいるのではないでしょうか?
また、自分ではどうにも抗えないことに巻き込まれてしまい、
自分のやりたいこと、気持ちなんかを優先することが許されないことだってあるじゃないか!
何をきれいごとを並べていやがるんだ!
という怒りを感じていた方もいらしゃるかもしれません。

結局のところ、
・「人生のオーナシップを自らの手に」するには、周囲との軋轢にも屈せず
我が道を通していくことなのか?
そして、これは、
・何不自由なく生きてこられている幸せボケした人間や、しがらみの少ない人にしか通用しない理想論
なのではないか?
この2つの疑問は、実のところ僕も、永く自分に問い続けてきたことでした。

第1弾、第2弾でご紹介した物語は
自分で自分を縛り付けてきた(周囲や相手からの期待を勝手に想定した)立ち位置から自分を解放(自分のニーズを蔑ろにしない)するという意味では
振り子を右から反対側の左に大きく振り切るという効果があり、永年続けてきた自分の生き癖という慣性の法則から抜け出すには、僕にとっては充分に有用で必要なステップだったのだろうと思います。

もう一方で、極端な話し、こればかりやっていると、孤独になっていくのではないか?という不安も湧いていましたし、組織の論理を重要視する人に会うと、敵対視し攻撃的な反応をしがちとなり、僕を扱いにくい人物と思っていた(今も変わらず扱いづらいおっさんかも知れませんが 苦笑)方が
少なからず居たことも判っていました。

これはたぶん
「周囲や相手の期待に応えたり意向に従う」のか「自分のニーズを優先して生きる」のか?
そのどちらが大事か?といったような二元論的な問いかけ
が、僕を苦しめていたのだろうと思います。

そして、
自分を制限し束縛しかねない「周囲や相手からの期待や意向」から自分を解放し、「自分のニーズを優先して生きる」ことにしか喜びはない!といったような極端で思い上がった自己解放欲が自分を支配していたのだろうと思います。

そしてその後、プロセスワーク、アドラー心理学、パスワークといった心理系の智恵たちを体験し学んだ末に僕が辿り着いた考えは次の通りです。
(僕なりに辿り着いた考えなので、「これが真理だ!」などと言い切るつもりはありません。
これも1つの参考として、みなさん独自の生き方を追求されると良いと思います)
まず、「周囲のニーズ」と「自分のニーズ」とにズレがあるなと思った場合、
・周囲の反対を押し切って、自分の思い通りに生きるもアリ
・自分のニーズよりも周囲や家族、相手のニーズを優先させるのもアリ
・自分の気持ちと、周囲の期待やニーズとが折り合うところを見つけるのもアリ

だと思います。どれを選ぶにせよ、次の3つのステップに亘るスタンスが重要であり、
そこに「人生のオーナーシップを自らの手に」のエッセンスが宿るのだと思っています。
1、何を選択したとしても、全ては自分が選択したことであることを認める
(いやいや致し方無くであっても、だいぶ譲歩したとしても)
(物理的に強制連行されたり、投獄されるなど余程の強制で無ければ)

2、自分が選択したからこそ、それによって起こる結果に不満があっても誰かに責任を転嫁しない。結果を引き受ける。
(自分を環境の被害者にしない。被害者にはまりこまない)

3,結果に不満がある場合は、不満の解消に向けて自分に出来る事はないか?を探求していく姿勢を持つ

1では、何を選択するにせよ、論理的面では自分が1番納得できたり、現状では最善であろうと考えられるものを、感情面では、1番気持ちがのるものを選ぶことが重要であろうと思います。
ここで、自分で選択したと自覚できないと、結果を目の前にすると被害者意識が湧き、途端に人生のオーナーシップが他者に奪われることを何度も体験しました。

2は、世に言われる「自己責任」なのだろうと思うのですが、自己責任と聞くと「自分には責任がある」と捉え、自分を断罪する方向に
行きかねないのですが、それではあまりに窮屈ですし、反省だけして思考停止に陥りかねません。
加えて、反省と称して自分批判したり、責めたりすることも役に立ちません。
僕も旨く行かない時、自己批判し始め、その痛みに耐えかねて、被害者意識へ逆戻りしたくなる衝動に何度も呑み込まれました。
旨く行かなかった時は、選択をして、行動を起こした自分に対する労いがまずは大事ですよね。

そうして鋭気を養った上で、
「自分が選択し、産まれてきた結果なのだから、自分にはこの状況を打開できるだけの能力や智恵が何かしら必ずある」と信じてみる。
そう信じて、まずは何かしら手立てがないか?に思いを馳せてみる。
そうした捉え方が自己批判による挫折や他者への責任になすりつけが生まれずに済んだ覚えがあります。
(当然、他の選択肢に鞍替えするというのもアリでしょう)
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さて、
【現れる結果を引き受けてでも、あなたがやりたいこと、体験したいことは何でしょうか?】
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自分が大切にしている「人生のオーナーシップを自らの手に」という世界観や
この言葉の言霊が僕に体験させてくれたこと、僕が思っていることを発信していく時期に
来たという感覚に従い、不定期ではあるものの、発信を始めてみました。
(何も真理を説くつもりはありません。
あくまでも私の私見です。)
ご覧になって頂いた方の何かしらの参考や刺激になれば嬉しいです。
では、また。
エグゼクティブ・コーチ
ヴィニー垂水
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(最後に)
本当は、
「自分ではどうにも抗えないことに巻き込まれてしまい、自分のやりたいこと、気持ちなんかを優先することが許されない」
という場合(こう見えて僕にもこういう体験があるんですよ 苦笑)のことにも言及したい気持ちもあるのですが、
今回もあまりに長文になってしまったので、これに対する素晴らしい言葉を紹介し、
僕の経験や考えをお伝えするのはまた別の機会にしようかと思います。
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ヴィクトール・フランクル
(ナチスの強制収容所での凄惨な体験を記した世界的ベストセラー『夜と霧』の作家、オースリア出身の精神科医・心理学者。)
著書:『それでも人生にイエスという』からの抜粋
「私は人生にまだなにを期待できるか?」と問うのではなく「人生は私になにを期待しているのか?」を問う。
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(おまけ)
今回書いた事、おまえ、本当にしっかりとできているのか?
いや。できていません・・・・。
七転八倒しながら探求しています。
時に、被害者モードに陥るときもあります。
こういう考えを体現していきたい!という自分もいるけど
へなちょこで、弱虫で、臆病で、愚痴をこぼしたがる弱気な自分もいます。
そういった「二人の自分」の間でのやりとりなども、公開してみたいと思います。
(乞うご期待・・・。いや、期待されていないかもしれないけど、)
ヴィニーかつみ


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