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後回しにしていて、後になって後悔しないか?

〜人生のオーナーシップを自らの手に〜Vol.2
15年前に、
21年間勤めた会社を退職し、新たな道でチャレンジをしようと
独立したことの理由の一つにも
「人生のオーナーシップを自らの手に」しようとしたことがあります。
「自分はどのような人生を送りたいのか?」と突き詰めた結果、取得した資格(中小企業診断士)を活かした仕事に就きたいと考え、会社に提出した異動希望を通してもらえた私は、子会社の経営支援をする部署におり7年が過ぎておりました。
自分としては、自分の資格と入社以来携わった営業での経験を活かしながら
子会社も含めたグループ全体の運営について、考え、関われる仕事に
非常にやりがいを感じていました。
そんなときに、僕に落雷のようなインパクトを与えたニュースが
父への余命宣告でした。
父は、定年まで勤め上げた後に、若い頃から大好きだった自然教育ボランティアとして、ネイチャーガイドや、ネイチャークラフト授業に勤しんでいました。
始めて5年ほど。これからもっともっと活動の幅を広げていこうとしている矢先の宣告でした。
結局、宣告されてわずか半年ほどで亡くなった父ですが、
亡くなる2日前に病床に僕を呼びつけてもらした一言が
僕は今でも忘れられません。

「なぁ。おれ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・・。」

悔しかったんだと思います。
こんなはずじゃなかった(苦)。
もっともっとやりたかったのに。
そんな気持ちを洩らしてくれたのだと思います。
その言葉を聞いたとき、
父の無念さを子供としてはどうしてもあげられない悲しさと同時に

「今、自分がもしも半年の余命宣告をされたら、何を後悔するだろう?」

と咄嗟に自分に問いかけたことを憶えています。
何か、後回しにしていることがあるような。
見ないようにしている渇望があるような。
そんな気がしてなりませんでした。
その問いに対して、僕の内側から帰ってきた答えは、

【会社員という安心感に安住し、チャレンジしたいと思っていることを先延
ばしして、結果としてチャレンジする機会を逸したこと】
でした。

仕事を通した充実感を追求するということは30代からして来ました。
一方で、これまで背にして来た会社の金看板を外して、自分の能力と知見、キャラクター力でどこまで通用するのか?
可能性に挑戦してみたいという渇望というか、好奇心も湧いていました。
そして父が遺してくれたメッセージを目の当たりにすると
「定年退職後になっていざチャレンジしようとした時に、自分が元気でバイタリティに溢れている保証など、どこにも無いよなぁ」とも思いました。
このまま続けた方が良い理由は、挙げようと思えばいくらでも挙げられました。

でも、「自分の人生のオーナーシップを自らの手に」する生き方をしていきたいと思っていた僕には、決して看過できない渇望でした。
(その頃、母の面倒を看る必要が出てきたという
独立した方が都合が良い理由もありましたので、結果としては上記の出来事が自分を強く後押しする動機になりました)

そうして、自分の新たな道での挑戦に飛び出ることを選択しました。
今となっては、父が僕に最後に呟いた言葉は、父が生き様を通して僕に施してくれた最期の教育だったんだなぁと深く感謝しています。

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さて、
「万が一、あなたが余命宣告を受けたとして、
もっと元気な内にこれをやっておけば良かった!なんて後悔を
最小限に済ますには、何が必要でしょうか?」

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自分が大切にしている「人生のオーナーシップを自らの手に」という世界観や
この言葉の言霊が僕らに与えてくれる叡智を発信していく時期に
来たという感覚に従い、不定期ではあるものの、発信を始めてみました。
ご覧になって頂いた方の何かしらの参考や刺激になれば嬉しいです。
では、また。
エグゼクティブ・コーチ
ヴィニー垂水


自分の人生のオーナーとして主体的に生きることで、自分が持つリソースを気づき、最大限に活かすマネジメント・リーダーシップを発揮したいという方は↓


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