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時計の針に惑う

私がストックホルムの街中で見つける時計はなぜか、どれも時間がずれているか止まっている。
教会の時計だけは合っているのだが、それ以外の時計で正確に時を刻むものを見かけることが少ない。一時的なものかと思っていたがいつ見てもそうなので、ずれていようが止まっていようがきっと誰も気にしていないのだと思う。世界時計かと思うくらい大きくずれているものもよく目にする。
もしかすると、時計はただの飾りという位置づけなのかもしれない。

一方、東京で見かける時計の針たちは正確だ。
1分たりともずれまいとしているかのように、正しく時を刻んでいる。みな同じ角度で、同じ方向を指し示す。正確であること、間違っていないことは良いことだ。文字通り正しいのだから。
でもなぜだろう、急かされているような気分になることがある。「この針に合わせて動け。」と言われているような。
そんな私は、それぞれがそれぞれの好きな時間を示している自由な時計たちが、時折とても愛おしく思えるのだ。

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