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偽物のギフテッド23

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

 場面転換の際に発生する光にもずいぶん慣れてきた。このVRの構成はおそらくチャプターで区切られており、カリキュラムをこなすとクリア。次のチャプタースタートとなるわけだ。
日はだいぶ傾き外灯がちらつく。ここはあの母親の家の前だ。これは中に入れと言う事なのだろう。
 まるで旅行から帰ってきたときのような、心地よい疲労感と共に玄関を開ける。
 
「ただい――おじゃまします」
 
 なぜか実家の空気感を感じ、ただいまと言いそうになった。しかし、そこには母親もルマンド氏もおらず、玄関も廊下の電気も消えている。しかし奥のふすまから漏れる明かりに気が付くと、そこから喧騒とも呼べるような音が聞こえてきた。ゆっくりと近づくにつれその音は徐々に大きくなっていき、私がふすまを開けた瞬間、それは最大ボリュームで私を揺らした。笑い声である。
 
「あらあらあら、またお客さんいらしたねぇ。どなたさんか」
 
 そう答えたのはこの家の主である母親ではなく、別の年配の女性だった。五~六人の女性が長テーブルを囲んで酒盛りをしていたのだ。持ち寄ったであろう料理やおつまみ、瓶ビールなどが所せましとテーブルを占領しており、皆とても楽しそうだ。
 
「その時うちの旦那がさ――」
「やだぁ。アハハハッ」
 
 各々が好きに話をしており、私にすぐ気が付いたのは入り口にいた声をかけてきた女性と、あの母親の二人だ。
 
「この子はさっき言っていたうちの同級生の――」
「ああ、ああ。ひゃくまんぺを勧めてくれた子だねぇ。それじゃお酒どうぞってわけにはいかないねぇ。がはは」
 
 みんなの視線が私に集まる。彼女たちの勢いに呆然と立ち尽くしていた私は、手招きされ母親の隣に座らせられた。ちょこんと座布団に正座したは良いものの、全く知らない集団に一人投げ込まれてしまうと、途端にどうしてよいかわからなくなりキョロキョロしてしまう。
 
「お酒はだめだけどジュースならいいねぇ?」
「はい! ジュース好きです!」
 
 身も心も学生になりきり返事をする。お酌をうけ、アップルジュースを注いでもらった。私も馬鹿ではない。さっきのような失態を犯すような真似はしない。飲むふり飲むふり。グラスを口元に持ってきてクンクンと匂いを嗅ぐ。あれ? すごくいい匂い。もしかして‥‥‥。
 頭の中で『飲むふり飲むふり』と唱えながらグラスをわずかに傾ける。
 
「あ、おいし‥‥‥」
「おいしいでしょう。清野さんのリンゴのいい奴で作った特別なジュースだから」
 
 はす向かいに居て焼酎を飲んでいる人のよさそうなメガネの女性がグラスを持ち上げて「でしょー」と言っていた。彼女が清野さんなのだろう。
 すごいすごい! 本当に飲めたぞ。今の仮想空間ってすごいんだなぁ。さっきのはきっとお菓子だからとか、包装紙に包まれていたからとか、何か制約があったに違いない。きっとこの目の前の唐揚げだって――。
 
 ご、が、ごごががっ
 
 ‥‥‥ブロックデバイスでした。だめでした。私という人間は学習能力の無い愚かな人間なのです。口を手で覆いかわいそうなブロックさんをリリースする。何度も口に入れてしまい誠に申し訳ございませんでした。
 私のそのような失態は幸い誰も見ておらず、各々が楽しそうに会話していた。あの母親も隣の女性と楽しそうに笑いあっている。これがルマンド氏の言っていた地蔵奉納の後の食事会というやつなのだろう。正直お通夜のようなものを想像していたが、こちらの方が良いことは理解できる。子を思うことは大切だが、自身を殺すことはあってはならないのだ。
 
「昔、子供の命は安いものでした」
 
 一瞬理解できない単語が聞こえてきたが、あたりを見回すと発言したのは案の定ルマンド氏であった。私は視線をもとに戻し何事もなかったかのように、アップルジュースを一口すする。他の奥様方には全く見えていないようだし、ルマンド氏はそれでよいというように、構わず言葉を続ける。
 
「人間に限らず、地球上にいるいかなる生物も命を失いやすい時期は幼児期です。人類は長らく平均寿命が三十~四十代でした。それは四十歳まで生きられなかったのではありません。圧倒的に子供が死んでいたため、平均が下がっただけなのです。今の人類増加は食糧問題の解決など様々な要素が存在しますが、何より幼児が命を失うことが少なくなったから今の繁栄があると言っても過言ではないでしょう。しかし、人間は愚かでした。今度は跡取りとなる男の子でなかったり、病気であったりすると堕胎や間引きを行うようになったのです。今の倫理観では考えられませんが、日本でこれが法により殺児行為とされたのは戦後からです」
「急に来たと思ったら、随分と語るね。奥様方の楽しいひと時を邪魔するのが趣味なのかい?」
「すべてが終わったら説明すると言いました。それが今であるという事です」
「それは、つまり‥‥‥」
「はい。あの子は無事に成仏したということです」
「‥‥‥そっか」
 
 少しうれしくなり、もう一口だけアップルジュースを口に運ぶ。知らずに口元も緩んでいた。
 
「それでは説明を続けましょう。この殺児行為が違法となった昭和二十~三十年代以降は罪悪感と共に水子供養が高まったのが、今回我々がおこなった供養の始まりです」
「お地蔵さまって昔話にもでてくるから、もっと古いものかと思った」
「はい。水子供養は古くは古事記に書かれているイザナギとイザナミの第一子水蛭子(ヒルコ)が海に流された事故からが素になっていると言われておりますし、十八世紀頃には日本に実際賽の河原が各地に存在していましたので、時代とともにバージョンアップしていったという考えが正解でしょう」
「うん」
 
 相変わらずルマンド氏の説明は回りくどいなと思いながらも辛抱強く耳を傾ける。それはきっとこいつも私と同じギフテッドの症状を引きずっていることが原因であることが容易に想像できたからだ。黙って聞いているのは同類のよしみというやつである。
 
「本題に入ります。昔子供の命は安かった。そのため『子を悲しませる親は地獄に落ちてしまう』という子供蔑視の姿勢から生まれたようなルールが設けられてしまいました。しかし、それは本質からあまりにずれた大きな誤解なのです。本来の教えは『親が子供の事で悲しみ、苦しむから子供は地獄から出ることができないのです。愛する我が子を救いたいのならば、同じくらいの愛でまず自分を幸せにして見せなさい。そうすれば、子供の為に苦しむ親はこの世に居なくなり子供は成仏するだろう』という事なのです」
 
 私はぽかんと口を開けていた。そして、鳥肌が全身を包み込んだ。
 
「これだったんだ。私の言いたいこと‥‥‥」
 
 あの時母親に言えなかった言葉。共感したいわけでも励ましたいわけでもなかった。ただ、もう少しで解けそうなパズルの答えを説明しようとしていたのだ。そう。これは合理的な最適解なのだ。親の苦しみを救うのはたった一つの条件付けであった。
 
 自分が苦しまなくなれば、子も救われる。
 
 子供の死と言う最も乗り越えがたい不幸に対して、どのように抗えば良いのか。愛する我が子の命と同様の価値などこの世にはすでにない。そんな世に絶望するのは当然だ。もう我が子には何も与えられないし、我が子はもう何者にも奪えない。自分の心の中の牢獄に死ぬまで自分と共にいるのである。しかし、人類は愚かではなかったのだ。愛する我が子と同じ価値のもの。それは愛する我が子に他ならない。そこで、あえてもう一度子供から奪おうとするのである。そんな非人道的な事をする場所。それが『地獄』なのだ。
 その地獄から救うためには必要なものは自分の幸福だ。子供に対する愛情が深ければ深いほど、行動原理は『いかに自分を幸福にするか』というベクトルへ向かう。人類として生き延びるために、現世利益を優先させるというリアリズムがそこにはあるのだ。
 
「この教えはどこかの聖人や僧侶が生んだものではありません。地蔵の俗信から発生したのです。あの母親もそうですが‥‥‥人間と言う生き物は、自分が思う以上に強い生き物のようです」
「‥‥‥うん」
 
 私はもう一度笑いあっている奥様方の顔を見た。みんな本当に楽しそうで、とても幸せそうで、とても居心地が良い空間だからこそ、もうここにはいたくなかった。
 残りわずかとなっていた清野さんちのリンゴジュースを最後ぐいっと飲み干し、コップをテーブルに置いた。
 もう悲しくはない。嬉しくもない。スッキリしたわけでもない。ただ、自分の中にパズルのピースが吸い込まれていき、それががぱちりとはまったような、そんな不思議な感覚だった。
 
「あなたの中でこの『お化けとは何か』という物語ももう終盤のようですね。これを渡すのも最後です」
 
 ルマンド氏からモノサシが出てきた。そういえばこんなのあったな。最初はチュパカブラに投げたりしてたっけ。それを受け取ると、最後に母親の横顔を見る。相変わらず隣の奥様と盛り上がっており、笑う姿はとても楽しそうだった。それが本当の楽しさなのか、悲しさの裏返しなのか私には全然わからなかったが、これで良いのだと思えた。じっと見つめる私に気が付きこちらに視線を向ける。彼女に私はどう映っているのだろうか。同級生という設定であったし、まさか幼児という事はないだろうが、中学生くらいには思われているのかもしれない。彼女は薄く微笑むと、一言だけ「ありがとうね」とあの時と同じようにやさしく声をかけてくれた。私は小さくうなずくとモノサシを空中に放った。
 
 
 デフォルトルームに飛ぶのかと思ったが、登場人物が消えた客間の一角に、まだ私は座っていた。響いていた笑い声はぴたりと消え、まるで耳が痛くなるほどの静寂ではあったが、それより私が驚いたのは料理の代わりに置かれていた、札束の山であった。こんな大金を見たことは生まれてから一度もないが、優に億は超えていると思われた。
 
「え? なにこれ?」
「これが、あなたも追い求めていたものの正体です」
「いや、さすがに理解不能なんですけど」
 
 語彙力や品性が疑われるので使わなかったが、あえて言おう。こいつマジでやっべーな。
 
「別にふざけているわけではありません。ただ、確かにこの札束の山も正体として正確ではないと言えるでしょう。つまり、これは経済活動が大きくかかわっているという事なのです。ワタシはこれらを錯覚エコノミーと呼んでいます」
「いきなり造語ですか。ぶっとんでますね」
「ワタシはあなたです。本当はもう気が付いているのではないのですか? ワタシは確かにギフテッドシステムの恩恵により、様々な情報にアクセスしピックアップすることが出来ます。しかし、今回全ての情報をあなたに開示したため、ワタシが今持っている結論と同じ答えがすでにあなたの中にあるのではないかと推測しています」
 
 どきりとした。実は、先ほどのルマンド氏の話を聞いて、俯瞰した時に全ての共通項が確かに見えてきたのだ。しかし、言えないでいた。私の発想は独特で、発言は長く、回りくどい。それだけならまだしも多くの場合問題解決にも適さない。だから、こんな仮想空間でも頭の中でしまっておいた。
 
けれど‥‥‥。
ここでなら‥‥‥。
 
 人間が誰もいないここでなら、言ってもいいのかもしれない。
 
「どうぞ。言ってみてください」
 
 促された私は、まるで自分の中の扉を開けるように、頭の中を解放していった。
 
「わかった‥‥‥」

 私は立ち上がり、左手の握りこぶしを口元に持っていき、人差し指を一度噛む。あふれ出てくるダムの決壊のように流れ込んでくる思考を制御するためだ。
 
「まずオカルトって概念なんだけど‥‥‥」
 
 慎重に言葉を進める。今の私の思考は、やんちゃな犬を散歩する時のリードのように、油断するとするりと、手から離れてしまう。
 
「途中で言っていた『古い科学』ってやつで結論付けていいと思うんだ。『飛べるブタを見てしまった人間は説得できない』っていう、人間の特性は関係している。私だってハンスを最初見た時はそうだったからね。ただそれは、その時にどれだけ選択肢を持っているかが信じるか、信じないかを決めていると思うんだ。そして、その選択肢の多くは科学が持っている。『古い時代』という言葉を使う時、それは古い価値観を指すけどさ、いつだって新しい価値観は『新しい科学や技術』が作ってきているでしょ? 科学はほぼ唯一の少数が多数をひっくり返すことの出来る手段だから。スカイフィッシュは、カメラの性能が原因で生まれたかもしれないという選択肢をもった人がいた。これにはカメラなどのテクノロジーの技術に精通していればわかる事だった。交霊術も、マジシャンには幼稚なトリックだったかもしれない。いつだって信じるのは『それ以外選択肢が想像できない人たち』だったんだ。それに――」
 
 私はすでに拳をあけ、身振り手振りを交えながらの大演説を虚空に向かって披露していた。
 
「どうしても騙されたい人もいた。愛する息子を失ったコナン・ドイル氏のようにね。交霊術を信じた彼は愚かだったのだろうか。それは、大きな誤りだ。たとえ交霊術であろうと、召喚術であろうと、なんだって信じたはずだ。そうすることで彼は最も重要な心のよりどころを失わずに済むんだからね。そういう意味で彼はとても合理的で、論理的だ」
 
 言葉に熱を帯びてきた私は、辺りを見回し、良さそうな空のビールケースをひっくり返し、その上に乗り、声のボリュームもマックスになる。完全に街頭演説だ。
 
「次に出てきた疑問が『じゃあ、継続するオカルトと、そうでないものの違いは何か』ってことだったんだけど。交霊術は未だに支持を得ているのに、エクトプラズムはダメな理由。それは交霊術を受ける人は、すでに亡くなった大切な人と交信できるという利益を得ることが出来るから。長い間水子供養が支持されているのにUMAは消えてしまった理由は、殺児行為の罪悪感を逃れるという利益に比べ、モンスター出没というエンターテイメントの利益は、はるかに重要性が低いものだったからだ。地蔵奉納と言うお寺も墓石屋さんも、心のよりどころを救うことの出来る供養する本人にも利益が生まれる構造。これらを俯瞰して考えた場合、共通するキーワードは『経済活動』になる。オカルトやお化けのような、錯覚の経済活動。ルマンド氏の言葉を借りるのならばそこに『錯覚エコノミー』が上手く機能していたか、そうでないかの違いではないのかと思ったんだ。消えていったオカルトは、つぶれてしまう個人商店と一緒で需要がなくなったことで消滅した‥‥‥」
 
 私の熱は話の終わりが近づくにつれ、収束に向かっていった。声のボリュームは小さくなり、私はビールケースから降り、うつむくように最後ぽつりとつぶやいた。
 
「お化けの正体は、古い科学。今でも続いているオカルトは需要が途切れないで利益構造もしっかりしているものだったんだ」
 
 自分で口にして、なんだかとても可笑しなことを言っているなと思って笑ってしまった。私が探偵だったならば、この後犯人の悲しい過去を語る一幕が待っているのだろう。しかし、この推理に正解は無く、恐らくそうだという感想が一つ生まれただけに過ぎない。誰も救っていない。私自身救われているのかもわからない。ただ唯一言えることは、もう私の中にかつてのお化けも、幽霊も、ゾンビも、奇跡も、信仰も同じ形で存在しては居なかった。この地道な解析の果ての景色は、思ったより嫌いなものでは無かった。
 
「解析は完全に終了いたしました。お疲れさまでした。楽しかったです」
 
気まぐれで、AIが生んだ言葉なのだろうが、どうやらこの球体は楽しかったようだ。なんだか長い間潜っていたこの仮想空間ともお別れだ。私も‥‥‥結構楽しかったかも。
 全ての景色は光も形も失い、モニターの明かりとは違う本物の照明がスポットライトのように私を照らす。こうして私の冒険の一つが幕を閉じた。

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