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無宗教とゆる信仰の自覚

ロシアとウクライナの戦争は気づいたら始まっていたという印象があり、とりあえず経緯を調べて、あとはニュースで軽く動向を見る程度。

会社の業績や企画内容に多少影響したり、燃料や原価値上げの一因になっているので無関係ではないし、
この時代に戦争をしていることが信じられないので
一刻も早く終わってほしいと思いつつも、大きく関心を持てていなかった。
幸せなことに、愚かに平和ボケしている。

だけど、つい先日大きく報道されたイスラエルとパレスチナとの対立は何故かやけに気になり、
無知なレベルから何も知らない家族にざっくりと概要を説明できる程度には少しだけ背景を理解した。

日本でもここまで大きく取り上げられていることの理由に、双方の国の民間人を巻き込んでいることや
宗教への信仰が薄い国だからこそ戦いの意義や理由が理解できないということがあると思う。

元々争いの絶えない地域とはいえ、日常のワンシーンとしてイベントに参加中に急に襲撃され、人質として他国の組織に攫われるなんてあまりに現代のこととは思えない。

動物じゃないんだから敵だからといってむやみやたらと攻撃するようなことはあってはならないはずだけど、

彼らにはそれぞれに何物にも代え難い神がいて、信仰心があり、それゆえに民族を非常に大切にしている。
それを脅かすような人は、もはや人じゃないんだろう。

神の教えと聖地が重要で、それぞれの民族が何者にも脅かされず暮らせる土地が必要で、
その気持ちは比較的平和な地理に守られてきた日本に生まれた私には計り知れないことだと思う。

理解はできないけど、理解できないということを知っただけでも、とりあえず調べてみてよかったとは思った。
無知の知的な。


神の教えが止まらない限り終わらないように感じる怨恨の歴史。どうしたら収束するのか、世界各国でひたすら説得し続け解決するのならいいけれど、悲しいことに先が見えない。

多数の犠牲者が出ているのに、正義は人の数だけあるので誰にも審判はできない。
人間として生まれてきた以上、受け入れるしかないのかもしれない。

私は特定の宗教を信仰しておらず、人の命より大事な神の教えがあるということが事実として認められても自分ごととしては考えられない。

それは平和な日本の宗教観のもとで育ってきたのだから不思議なことではないんだろう。

小・中学生の時に「お寺と神社は違う」ということを知ってそこそこ驚いた記憶があるくらいには無関心というか、この雑多な文化に慣れ親しんでしまっている。


おばあちゃんちにいったらまず仏壇に手を合わせるけど、どの仏教の宗派とか理解したのはもっとずっとあとのことだったし、
バレンタインもハロウィンもクリスマスもキリスト教の祭典だしそれなりに楽しんでいるけど、別に聖書を読んだことなんて一度もないな、という矛盾に大人になってから気づく。

日頃から祈っている身じゃないと神頼みをする資格なんてないんじゃないかと思って、妊娠中の戌の日のお参りもスルーした。今思えばお宮参りもしなかった。

いくら日本の神々が心が広いとはいえ、生命に関わる大事な祈りだけ頼っていいのかなんて変なところが真面目な性格ゆえに結局せずに終わってしまった。

とはいえ、日本人の宗教への付き合い方は悪くないと思う。
大人になるにつれ、神様なんていないと考えながらも
いざという時は「神様!」と縋ってみたりする。

無宗教だけれど無信仰ではないというか、
ぼんやりとした神様的存在や仏様に祈ることが生活や文化に根付いているのは、

きっとそうしたほうがしないよりもいいと考えて残されてきたのではと思うし
日本人にとっては信仰というより「祈る」「願う」ことによって自分の心の整理やけじめをつける行為が必要なのだろうなと思う。 

こんな気持ちでいること、欧米や中東の人からしたら信じられないんだろうな。


サムネイルは京都の広隆寺敷地内で撮った写真。

仏教は日本史B程度の知識しかないけど、仏像は美術品として好き。詳しくはないけど。
特に広隆寺の半跏思惟像は強烈に印象に残るほど感動して、数少ない京都歴のなかでも2回拝観しに行った。

日本の「八百万神」というほど当たり前のように数多くの神様が存在しているシステム(システムとか言っちゃいけない)から感じられる大らかさが好きだし
仏教の無神論的な側面は私にとって息苦しくないので好ましい。
ただ、仏教のなかでもこの宗派という考えがまだない。

入国審査の際に宗教を答えられないと普通におかしなやつ認定されることもあるそうなので
もしその機会があった際は「神道」と答えようかなと考えている。



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