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OSHOの話について


Darshan Diariesは、1975年から1981年まで、47冊出版されました。

これは、OSHOと弟子たちの親密な面談(Darshan)の記録ですが、本自体が絶版であり、ほとんどの人たちには、知られていません。とても残念なことです。

 宗教について語った多くの本が日本語にはなっていますが、講話とはまた違った親密な触れ合いが、ここにはあります。質問者の多くは、サニヤシン(OSHOの弟子)ですが、まだ瞑想を初めて一、二年から数年の人が多く、人間関係や仕事、自己成長などのブライベートな悩みを、OSHOに問います。

 その場で、それに応えるOSHOの話は、ユーモアがあり、シンプルで、かつ絶妙です。本当は英語で、生のライブで聞きたいのですが、それはどこにもなく、この本の元の原稿もネットでやっと見つけました。

 僕は、1987年にインドに行って、サニヤシンになりました。当時は、もうDarshanはやっていなかったのですが、朝晩の講話はありました。たまには本文中にある荘子講堂での講話もあり、OSHOはとても近い距離で、講話を聞いたものです。

 その頃は、英語もわからず、ただ座っていただけですが、初めてみるOSHOの姿はきらきらとまぶしかったです。

当時はOSHOに手紙を送ることはできて、直接に面談することはできませんでしたが、質問をして、ブッタホールで答えてもらったと、友人が喜んでいたのを覚えています。自分の名前が呼ばれて、OSHOが答えるまでの間、まるでサーチライトで友人を探しているようだったと言ってました。

 だから、OSHOの言葉はひとりひとりに向けて語られています。それでいて、多くのひとのマインドを撃ち、ハートに響きます。僕たちが内側ではひとつだからです。

 OSHOを愛しているひとというのは、OSHOと今でも心の中で会話をしいます。例えば、セラピストのビレッシュがこんなことを言っていたのを聞いたことがあります。

「OSHOは奇妙なことに、何を聞いても同じ答えをします。例えば私はたまにOSHOにこう言います。OSHO、今日は私はひどい気分です。OSHOは答えます。それでいいんだよ。Good……と答えます。また、OSHO、私の人生はうまく行ってます。OSHOは答えます。Very Good……」ハートでOSHOとシンクロニシティしていたら、何を質問しても、「Yes.Good…」としか言わないのかもしれません。

本の中で「いいね」と訳していますが、その時に彼は「Good」と言っています。その雰囲気を感じていただければ幸いです。

 1989年4月に話すのを止めてから、Oshoは人々に自分の本を読んでもらいたいと、絶えず言ってました。彼はグループ・リーダーたちに、人々がそこで起こっていることをよりよく理解するために、グループで彼の本を使うべきだ、というメッセージさえ送りました。

1987年から2000年初頭までの10年以上、僕はインドに通い、そこでやっていたトレーニングやグループのほとんどに参加していました。最後にはやっと瞑想に関心を持ちましたが、とにかくたくさんのグループをやりました。

 その度に、Darshan Diariesが付録として、もれなく付いてきました。それぞれの本は、美しい写真があって、本のタイトルも装丁もデザイン、そのすべてをOSHO自身が監督したそうです。

 Good !

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