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死とは怖いものなのか

1976年1月18日 午後 荘子講堂にて
あるサニヤシンが言う。グリシャンカール(瞑想)をしているとき、私は恐ろしい死の感覚に襲われました。すぐに母のことを連想しました。私は本当に心配しています。家に帰っても大丈夫なんだろうか、と。


Oshoは彼女のエネルギーをチェックする。
うむ、お母さんのことを心配する必要はない。
お母さんではなく、あなたに関係があるのだ。

瞑想があなたの内なる深みに触れるときはいつでも、
誰でもいつかは死を感じるようになる。

なぜなら、あなたが自分自身に触れたその瞬間が、
あなたの始まりであり、あなたのエゴの終わりだからだ。

だから、あなたのエゴはある種の死の感覚を経験する。
正確には死ではないが、...大パニックになる。

次にこのようなことが起こったときには、
恐れずに、ただその中に入っていきなさい。
死は生と同じくらい美しいものだ。

そして、死は恐れるべきものであるという考えは、
全く間違った考えに基づいている。

なぜならば、私たちは生命を肉体の生命だと考えているからだ。

だから、死はとても怖いもののように思えるのだ。

もしあなたが、生命とは身体以上のものであり、
身体はその表面に過ぎず、形であり、
生命そのものは形のないものであると理解したなら、
あなたは死を恐れるようになるだろう。

体はその表面、形に過ぎず、
生命そのものは形のないものだと理解したなら、
死はただのドアでしかない。
それは、源に戻ることだ。

あなたが自分の源に落ちれば、
それを許せば、あなたは初めて生きていることになる。
初めて生きている状態になる。

その時、あなたは自分が無死であることを知る。
あなたを破壊できるものは何もなく、死でさえない。

人が死を経験しない限り、死は残る。
あなたがそれを受け入れれば、死は消える。

だから、それは早ければ早いほど良いのだ。
それは良い経験だったが、あなたはそれを誤解している。
それはただ、遅かれ早かれ、
あなたが再びそれを深く感じるようになることを示しているだけだ。
それを受け入れなさい。

そして、もしあなたが本当にとても怖くなり、
リラックスするのが難しくなったら....
なぜなら、人はリラックスしなければならないからだ。
死は睡眠と同じで、リラックスしていなければ訪れることはない。
緊張したままだと、
どうやって眠りにつくことができるだろうか。

だから、もしあなたがほんの少しでも怖がっていたら、
それでもリラックスすることはできない。

だから、それが来る瞬間に、
深い眠りに入っていくようにリラックスしなさい。
それを受け入れ、歓迎しなさい。
自分自身を捧げて、乗り移られなさい。
憑依するのだ。

難しい場合は、ロケットを手に持って、私を思い出しなさい

  • そうすればすぐに、すぐに解放されるからね?
    やってみなさい。

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