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人々が神への信頼を失ったのではない。信頼を失ったからこそ、神を失ったのだ。

私はどこかにたどり着いたような気がします。エンカウンターグループとタタータをやって、今は瞑想をしています。人と率直に、そして信頼を持って関わることができています。

とてもいいね。
何があっても不信感は許されないということを常に忘れないようにしなさい。
たとえ、あなたの信頼が人に
騙される可能性があるとしても、
それは良いことだ。
信頼したために騙されたとしても、
信頼しないよりはましだ。

 誰もが愛していて美しく、
誰もあなたを騙していなければ、
信頼するのはとても簡単だ。

 しかし、たとえ全世界が欺瞞に満ちていて、
誰もがあなたを欺こうとしていたとしても、
彼らはあなたを欺くことはできない。
信頼しているときだけ、
あなたを欺くことができる。

 どんな犠牲を払っても、
信頼の中の信頼を失ってはならない。
信頼はそれ自体が究極の目的であるからだ。

 それは他の何かのための
手段であってはいけない。
信頼することができれば、
オープンでいられる。

 人は、誰にも騙されたり利用されたりしないように、
防衛手段として閉鎖的になる。

 相手に利用されてしまえばいいのだ。
その美しさを考えてみてみなさい。
相手に利用されても、あなたが信頼し続けると、
美しい花が咲くのだ。
なぜなら、そこには恐れがないからだ。

 怖いのは、人に騙されることだけだが、
それを受け入れてしまえば、怖いものはないから、
あなたのオープンさを妨げるものはない。

 恐れは、
誰かがあなたに与えるどんな害よりも
危険だ。
恐怖は毒であり、
あなたの人生を蝕む可能性がある。

 だからこそ、オープンであり続け、
無邪気に、無条件に信頼するのだ。

誰もあなたを騙したり、
利用したりしないと言っているのではない。
彼らはそうするだろうし、それは受け入れらる。
しかし、それは価値のあることだ。

あなたは彼らの愚かさを笑い飛ばし、
彼らがあなたの信頼を破壊できなかったことを知るだろう。
あなたは誰かの人間性をとてつもなく信頼しているので、
その人が何をするかは関係はない。
あなたは彼らを信頼している。

最終的には彼らを信頼しているのだから、
彼らが何をしようと何の違いもない。

自分が少しでもあなたを騙していたのではなく、
他の人があなたを騙していたことに気づけば、
あなたは花開き、他の人が花開くのを助けるだろう。

人があなたを信頼し続けるなら、
あなたは人を延々と騙し続けることはできまない。
その人の信頼そのものが、
あなたを何度も自分自身に引き戻すことになる。
ただ、それを見守り、許し、楽しむのだ。

信頼というものを大切にしていけば、神など必要ない。
人は「神を信じなさい」と言う。
私は『信頼は神』と言う。

人々が神への信頼を失ったのではない。
信頼を失ったからこそ、神を失ったのだ。

信頼は神である。
神と呼ばれる力を信頼することではない。
信頼そのものが神なのだ。
だから、Good だ!

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