理解することが必要だ

サニヤシンが言う。でも、ニラカー(彼女の恋人)と一緒に体験していることは、瞑想のようなものですが、今までやったことのないほど強いものです。自分を見失っているようで、何かしなければならないのではないかと無力感に襲われています。

いいえ、人には何もできないし、
何かをする必要もない。

唯一覚えておくべきことは
それは、することよりもしないことに近いのだ。
美しいものはすべて起こるし、できない。

しかし、あなたはそれを
防ぐことができるので、
それが起こるのを許さなければならない。

行うことは、ある意味、
障壁を作ることだ。
現実には、何もする必要はない。

あなたは生まれたのに、
何もしていない。

誕生という途方もない現象が
何もしなくても生まれてきた。
あなたは成長したが、
あなたは何もしていない。

今、あなたは恋をしているが、
あなたは何かをしたのかね?
だからこそ、「恋に落ちる」
という表現を使うのだ。

抵抗して、
落ちないようにすることはできる。
あなたは頑固になったり、
硬くなったりして、
恋に落ちないようにする。

しかし、恋に落ちると
あなたは何もしない。
あなたはただ、
乗っ取られるのを許しているのだ。

誕生し、成長し、恋をして、
いつかは死を迎える。
起こることばかりで、
自分では何もできない。
起こっているプロセスに
協力するだけだ。

例えば、あなたは今、
恋をしているのだから、
恋に協力して
愛に協力する。

恋愛に協力している人は
あまり見かけない。
むしろ、愛は争いになり、
恋人たちは敵になる。

些細なことで喧嘩をしたり、
操ったり、
支配しようとしたりする。

  • 無意味なことだ。

恋人たちは協力し合い、
エネルギーが一つになるべきなのだ。

協力したらどうなるか、
想像してみてください。
争いがなく、深い調和が保たれ、
二人が一つになり、
境界線が拡散して曖昧になることを
想像してみてください。

境界線が曖昧になってしまったとしたら。

どこまでが自分で、
どこからが恋人なのかわからなくなる。

お互いに深く入り込んでいるので、
どの領域がどの領域なのか、
誰が誰なのかわからなくなっている。

深い愛の中では、女性が男性になり、
男性が女性になる瞬間がある。
その調和が起きれば、
広い空が永遠に手に入るのだ。
そうなれば、それは単なる垣間見えるものではなく、
むしろあなたにとっての存在の状態になるのだ。

私たちは不必要に多くのものを失っている。
見逃す必要はない。
深く理解することが必要なのだ。

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