何もわからなくなりました

1976年1月6日 午後 荘子講堂にて
あるサニヤシンが言います:私は常に変化しています...。グループをやってから、私はわからなくなりました...。話すことも、笑うのも嫌だし、泣きたくなるし......。

何が起こっても、受け入れて楽しんで、
何も強制しないでください。

話したいと思ったら話せばいい。
黙っていたいと思ったら、黙っていなさい。
ただ感じたままに動けばいいのだ。
一瞬たりとも無理をしてはいけない。

なぜなら、何かを強要すると、
あなたは2つに分かれてしまうからだ
-そして、それが問題を引き起こすのだ。
あなたの人生全体が分裂してしまう。

それが問題となり、
人生全体が分裂してしまうのだ。
笑いたい部分と、
笑うことを許さない部分が別々になる。

そうすると、人間は2つに分かれてしまう。
トップ・ドッグとアンダー・ドッグができてしまい、
争いが起きてしまうのだ。

その対立が生み出す溝は、
どんどん大きくなっていくる。
そこで問題になるのが、
どうやってその溝を埋めるか、
どうやってこれ以上溝を作らないようにするかだ。

禅にはとても美しい言葉がある。
その言葉とは

座ること。
ただ座ればいい。
歩く。
ただ歩けばいい...

何をするにしても、
可能な限り完全に行うこと。
何事も、力みのないリラックスした状態で行うこと。
努力する必要はあらない。
歩くのが楽しければ、
それでいい。突然、
動きたいという気持ちがなくなったことに気がついたら
一歩たりとも動いてはいけない。

引きずってはいけない。
引きずっているのは、エゴのすべてのメカニズムだ。
操られているのだ。

しかし、そこに判断が入る。
突然、途中で話をやめてしまったら、
他の人にどう思われるか恥ずかしい。

急に黙ってしまうと理解してもらえないので、
なんとか文章を完成させる。

興味を持っているようなふりをして、
最後には逃げる。
それは非常にコストがかかるので、
やる必要はない。
会話が成立しないと言えばいい。

今は、失礼しますと言って、
黙っていればいいのだ。

数日間は少し面倒かもしれないが、
だんだんと理解してもらえるようになる。
沈黙した理由を自分で判断したり、
良くないと自分に言い聞かせたりしないようにしなさい。
すべては良いのだ。

深く受け入れることで、
すべてが祝福されるのだ。

このようにして、あなたの全存在が沈黙を望んだのだ。
それに従いなさい。
あなたは、全体の影になればいいのだ、
そしてそれがどこに行こうとも
それ以外にゴールはないのだから。

あなたは、とてつもないリラックスを
感じ始めるだろう。

人生には無限の恵みがあるが、
私たちは争いのためにそれを見逃している。
恵みは美をもたらする。
それは単に、
完全なリラックスを包み込むオーラを意味する。

自発的に動けば、
それぞれの瞬間がどのようになるかを決定する。
この瞬間が次の瞬間を決めるわけではないので、
あなたは単にオープンエンドのままだ。

次の瞬間は、自分自身の存在を決定する。
あなたには、計画もパターンも期待もない。
今日だけで十分だ。
明日や次の瞬間のために計画を立てる必要はない。

今日が終わり、そして
明日は新鮮で無邪気にやってきて、
操る人もなく開く。

それは自分の意志で開くものであり
過去にとらわれずに。これが恵みだ。

朝、花が開くのを見なさい。
ただ見ているだけ...それが優しさだ。
何の努力もしていない。
自然のままに動いているだけだ。

また、猫が目を覚ますのを見なさい。
優しさに包まれている。
自然界全体が優美さに満ちているが、
人間は分裂のために優美である能力を失っている。

だから、ただ動いて、その場の判断に任せ、
コントロールしようとしないように。
これを私は「放任」と呼ぶが、
そこからすべてが起こる。

だから、チャンスを与えなさい。OSHO

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?