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【気まぐれDiary】10代で憧れていた「大人の理想像」

突然ですが、あなたは今何歳?
あなたが憧れる「大人の理想像」ってどんな人?

かれこれ、ウン10年も遥か昔。
私にも10代という時があったのよ(笑)


●どんな大人になりたいの?


将来自分はどんな大人になりたいのか?
ということを真剣に考えていた時期があった。
10代あるあるよね。

どんな仕事をしていたいのか?とかではなくて、
人間的にどんな大人になっていたいのか?を考えていた。

私は、ずいぶん小さい時から「かなり年上」の大人に憧れる傾向があった。
これを話すとかなりびっくりされるんだけど、まだ幼稚園児だった頃に、
当時無名に近い俳優だった「緒方 拳(おがたけん)」さんに一目惚れしていたことがあったのよね。

結構小さかったから、一目惚れかどうだったか、本当のところはよく分からないんだけど、推しのアイドルにキャアキャア言っているのに近い感情だったのは確か(笑)

緒方さんが浪人侍の役でテレビに出演されていた時、ブラウン管の前で(ザ・ど昭和!!若い子は博物館で見るやつ笑)釘付けになったのを今でも覚えてる。

きちんとした身なりとは程遠い格好(着物+袴姿)で、
緒方さんがりんごをかじりながら江戸の町を闊歩するシーンを見た時、
私はりんごじゃなくて、テレビにかじりついていた(笑)

「めっちゃ、かっこいい〜〜💕」

一般的に言う「おませな女の子」を通り越して、引くでしょ?
だって、10代でもなく、ヒトケタ代!まだ5歳とかそこらでっせ・・相当変わってるでしょ(笑)

私って変なのか?
と思うことはこれまで他にも多々あったけど、確実に今言えることは、私が母親なら真剣に心配する・・爆笑

●オーラってやつ。多分、そんなんに憧れてたんじゃないかな。


私の理想の大人像は、

「真似したくても出来ない”雰囲気”を持っている人」
感性が滲み出ている人」

当時の私は、緒方さんにそれを感じ取ってたんだろうね。
そう考えるとすごい感覚なんだろうけど、ただの変人という説もある(笑)

その後の緒方さんの活躍はやはり凄くて、誰も入り込めない世界観をずっと持ち続けていた。今でもやっぱり凄いなと思う。

頭の中やセンスと一緒で、醸し出してる雰囲気って、その人から奪うことはできない。いわゆる、オーラがある人ってヤツ?
キラッと煌めくダイヤの原石を秘めている人ね。

そんな人に私もなりたい。。

原石とか、オーラとか、そういう言葉を持たなかった幼い頃は、この感覚が分からなかったけど、ある程度の大きくなってから「そういうことだ」と分かった。

大人になってから分かった事がもう一つ。
この感情の延長線上に、人が「妬ましい」という感情があるということも分かった。これはまた別の機会でお話ししたい。

年齢とか、男女の違いでもなく、その人しか出せない「独特な雰囲気」を持っている人に、私は今も憧れる。

●生き方自体がアートなんだ!


10代の時からファッション誌(当時はOliveやananとか)を買っては、誌面を飾るモデルさんや、街角でスカウトされた、おしゃれな格好をしてる一般の人の写真を眺めては、どうしたらこんな雰囲気が出るんだろう?着ている服か?髪型か?それとも小物づかいが上手いから?と真剣に研究していた。

中学生、高校生と大きくなるにつれ、友人や関わる大人も変わっていき、好きなアートも音楽も、読書の内容も変わっていき、何かに刺激され、時には凹まされ、新たな発見がその都度あり、ついに自分なりの答えに辿り着いた時・・

「服とか髪型だけがかっこいいんじゃない。その人の”生き方自体”がかっこいいんだ」
”生き方自体”がアートになっているんだ!」

そう感じたのである。。

●自分なりに見つけた答えの後に…?


自分なりの答えは見つけたものの、それはどうやったら手に入るのか?

憧れた人のプロフィールや本があればそれを読んでみたりもしたけど、まだ子供だった私には、そういう憧れの方々の壮絶なまでのストイックな人生を知った時、「私には叶わない、到達できない」心境になり、結構なショックを受けたもんでした。(まぁ、憧れる相手は大概いい大人だからね…苦笑)

だけど、諦めの悪い私は、どうにか理想に近づきたくて、「現実味のある努力の方法」を考えていた。

いわゆる「アーティスト」が当時の答えであったんだけど、うちの父親なんかは「画家で飯が食えるんか!?あぁ?」と、子供相手に根性がひん曲がった言い方をする奴だった。(誰が画家って言ったんや?決めつけすんごい親笑)

他にこんな道はあるけど考えたらどうだ?とか、そんなことは聞いてもくれなかったので、この道はすぐに断たれた。(高校受験時の娘が一生懸命探してきた学校の願書を破るヤツで、相談なんか無駄な事でした)

それでもなお、諦めきれない私は、心の中で「どんな仕事ならそれに近いことが出来るのか?」と、ずっと根に持っていた。(うん、この表現に近い感情だったな、、しつこっ笑笑)

学歴コンプレックスのキツかった私は、「世に形として残るもの」を仕事で叩き出し、成果を上げる仕事に就く!という、ダブル効果を狙ったのである(大阪人らしいわ〜)

●無から有を生み出せ!


いろいろな人生の波に飲まれながら、20代の最初に「コピーライター」という職業を見つけることができた。(結局、コピーライターにはなれず、日本で唯一のネーミング専門の会社で仕事に従事することになる)

当時はコピーライターって何する人?!
っていう時代。

ビビるくらい、私の周囲は遅れてる…こんなんじゃ、私の感覚が洗練されてるのかどうかも判断つかんやないか〜!泣 と、真剣に嘆いてたっけ。。

随分、話が遠回りしてしまったけど、広告業界に入ってある意味「正解」が得られたと思った。

無から有を創り出す人」は「一種独特な雰囲気」を持っていた。
私もその一員になったような気がして、将来の自分のため(かなり先だろうに笑)になるような気がしてた。

その後、35歳で建築業界に入って内装デザインの仕事に就くまで、鞄のデザインをやったり、商品企画をしたりと、「無から有を創り出す仕事」にご縁があって、いろいろと挑戦させてもらえた。

特別に何かに秀でていたわけじゃない。
むしろ、無い無い尽くしの自分だった。
持っていたのは、やる気しかない。本当にそう言って面接に挑んでいた。
だが、世間はそんな甘く無い。実績がモノをいう世界だけに、何も無ければただのほら吹き同然である。

私は、広告と建築という、全く何の繋がりもない業界において、実績を積みたいがためだけに、どちらも法律ギリギリ(平たく言えば、ブラック企業)の会社で働いていた(笑)

そこで得たもの。失ったもの。
両方あるな。どちらにも、有形無形。
今思えば、こういった仕事に就きたいといったことの発端なんて、大したことないフワッとしたもの。

でも、それが一番大切。
ニンゲン、理屈なんてへの突っ張りにもならない。
だって、感情で生きてる動物なんだから。

これが心底分かったのは、今かも知れない。
現在、私は5◯歳。(ゲー、もうそんなに…笑)
果たして、10代の時に憧れていた大人になれているのだろうか。

いや、まだまだそこまでいってない。
でも、まだ到達してないから努力できるのかな。

きっと追い求めることが楽しくもあるから、これからも理想の大人像を追いかけていくと思うんだろうな。

Kimi

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