なんで緑色の薬って少ないの?

90分、一時間半、一時間三十分……時間の中でも特に90分だけ妙に表現方法が優遇されている気がする。人間にとっての90分には何か意味があるんじゃないか?使い分け方法があるのかな?など、どうでもいい事に脳を使っている時間が長い。そして、ただ考えてるだけで終わる。

ある日、深夜に目覚めた私は暇に任せて、枕もとに置いてある目薬ポーチの中身を脳裏で再現してみる事にした。現在、目薬は5本入っている。キャップの色は赤・ピンク・水色・青・白、だ。10歳の時に目の病気になってから、結構な種類の目薬を見てきた気がするし、両親も高齢になってから目薬をよく使っていたので、そこそこは目薬の目利き(?)のはずだ。しかし、緑色のキャップの目薬をみたのは数回しかないと気づいた。しかも緑というよりは黄緑寄りの色ばかりだったように思う。

飲み薬についてはどうだろう。錠剤が緑色だった薬の記憶は、父が飲んでいた便秘の薬、その名も「ヨーデル」しか思い浮かばない。ダメだ。ネーミングのセンスが強烈過ぎて他の記憶が霞んでしまう。私と小林製薬とスイスに向かって全力で謝れ。あと何百回も説明する事になる薬剤師にもな…!しかしこれも黄緑と言った方がいい色なのである。

昔は薬と言えば薬草、つまり緑色の草だったと考えると、薬も緑にしたくなるのが人情。それなのになぜ緑色の薬剤は少ないのだろうか。病気や高齢になると見えにくい色なんだろうか?特定の効果のあるものだけ緑色にしていいとか?ああ気になる。そして今回も中途半端に考えるだけで終わるわけだが、今後の「チコちゃんに叱られる!」に期待したい。

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