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人間の選択は川の流れのように

おはようございます。

という時間でもないですね。笑

先週に続き今週も忙しくなりそう(特に週末に向けて徐々に)だったので月曜日から書くことにしました。

いつもの日付を確認する作業も昨日書いたばかりで連番ですが4月24日です。

今日はベトナム人と話したことについて書いてみます。

世界の漢字文化圏

この前食事会に誘ってもらった時にベトナム人の夫婦がいたので久しぶりに海外の話をしました。

余談ですが、ベトナムの料理はさっぱりした物が多くて日本人の口には合うと思います。

で、自分もベトナムに行った時のこととかお互いの国のこととか色々と話したわけなんですけど。

歴史的な話もしてみました。

というのも、ベトナムも漢字文化圏だったって知ってました?

日本や中国、台湾はいまでも漢字を使ってるのでその文化圏なんですけど、実はベトナムもそれに含まれてるんですよ。

(正確には含まれてたって表現が正しいと思う)

Wikipediaの情報ですが、漢字文化圏の範囲が示されてる中にはベトナムがあります。

韓国が漢字文化圏というのは知っている方も多いんじゃないですかね。

でも韓国も現在はほぼハングル語のみで漢字は基本的に使わないですよね。

ただ韓国と比べてもベトナムは違いがあります。

なぜなら韓国はまだ漢字が残ってますが、ベトナムはもうほぼ皆無です。

まさかベトナムでも同様に過去は漢字文化だったというのはかなり驚きです。

難しいことは浸透しない可能性もある

ベトナムで漢字が最も当たり前に使われていたのはどうやらフランス植民地化前までのようです。

植民地政策の一環で、ローマ字化が進んでいって完全に漢字を無くしたのは第二次世界大戦後らしいですから、歴史の軸で見るとまだ最近な感じはありますね。

それでベトナムが漢字を撤廃してしまった理由を聞いてみたところ。

「漢字を覚えるのが難しかったから」

という答えが返ってきました。

これまで使ってきてた漢字であっても、やはりそれを継承していくのは大変だったみたいです。

さらにフランスの植民地化によってローマ字主流の言葉が生まれたそうで、そちらの方が現地人にとっても簡単にコミュニケーションが取れたんだと思います。

ま、これはスマホで簡単に変換できるようになった現代社会において日本人が漢字を覚えることができないってやつと同じかと。

確かに日本語でも古文とかで出てくる漢字(旧書体みたいなやつ)は書くことが難しいですもんね。

例えば「國→国」とか。

(↑まだ旧書体の苗字を使っている家は大変だなぁと)

中国語でも繁体語と簡体語があるようにどんどん省略されて記述できるようになってきてますよね。

例えば「歡迎→欢迎」みたいな。

この流れはベトナムに限らず人間である以上、合理化や簡略化されていくものなのだろうと。

大河が河川ルートを切り替え、三日月湖ができる。

自然もまた選んでいる、まるで川の流れのように。

プログラミングでも同じ可能性

さて、一通り、まとまりました。

ここまでがベトナムの漢字の歴史から考察した内容です。

で、ここからが自分ごとといいますか、現在やっているプログラミングのことについて。

先ほどのベトナム人が漢字文化を撤廃して現在のような言語コミュニケーションに変わった話と混ぜてみたいと思います。

というのも、プログラミングも難しいという言葉はよく当てはまるなと思うんです。

実際にそう思う人も多いと思います。

で、これってやはりベトナム人が漢字文化を無くしたのと同じで、プログラミングもできないからやならいって選択肢にはなるのかなと。

やらないって選択肢は別に悪くないし、プログラミングに限った話ではないなと思うんですが、自分はプログラミングを教える側の立場でもありまして、本人が希望するのであればやはり適切なスキルを身につけてもらいたいと思ってます。

なのでその辺は努力しているつもりですが、やはり一定数の人が覚えるのに本当に苦戦している現状があります。

もちろん自分もまだ覚える必要があることがたくさんあるし、学習は今後も継続していくでしょう。

しかし、ここで言っている苦戦とはプログラミングにおいて最も基本となる構造の理解などを示します。

代替案が出れば不要説も現実的

例えば苦戦する内容に「反復処理」や「構造体」「配列」などが該当します。

「反復処理」とは繰り返し実施される処理のことです。

プログラミングで書くとfor文やwhile文などが該当するものです。

「構造体」「配列」などは言語によっては異なりますが、クラスやオブジェクト、コレクションなどの考え方もここに含まれます。

確かにこの辺になると難易度は高いのは理解できますが、それでもプログラミングを実施するのであれば必須で覚えなければいけない基礎中の基礎になるかと。

あとは関数(メソッド)ですかねー。

で、これらの要素について理解しなければプログラミングは書けないとなると、そもそもプログラミングなんてやらないーって人が出てくるのも理解できます。

だって難しいですから。

ってなるとやはり代替案が出ればプログラミング学習は不要になるのか。

代替案とは、例えば今で言われているノーコードとか、ChatGPTなどにコーディング案を出してもらうなど。

まだ上記の範囲ではできないことも多いし、クリエイティブな領域って定性的なやり方じゃないんだろうなとは思ってます。

しかしそれは陶器が人間の手で全て作られるわけでなく、機械の生産ラインの量産型にシフトするように、プログラミングも玄人の人間だけが実施するシロモノになるんじゃないかなと。

義務教育でプログラミング

これから学校でもプログラミングが当たり前のように科目になるわけですけども、上記の意見を考えた際にどうかなっと。

英語だってもともと必須科目でなく、徐々に若年層でも学習していこうみたいな取り組みの結果、今があるわけですが。

でも、英語とプログラミングって違うよなーって思うんです。

自分は日本人ですから、英語もなんか勉強して覚えたって感覚はなくないです。

プログラミングも同じく勉強して覚えたです。

だからどっちも難しかったーという感想はありますが。

でも英語ってそれを当たり前にできる人たち(英語話者)が存在するわけで、それってプログラミングと違うよねって話。

だから英語は難しいから無くそうとはならないって思うんですよ。

(むしろ世界スタンダードだと日本語のがムズいらしい)

でもプログラミングってやはりコンピュータ言語ですから、勉強から入るのが人間からしたら当たり前だと思ってて。

そうなると必ず難しいーって思う瞬間はどんなにプログラミング好きって人でもあるはずで。

それってベトナム人がコミュニケーションは取れるのに漢字で覚えるのちょーめんどくせーって叫んでたんだろうなーってのと同じ気がしてます。

こういうレベルのことってやはり代替案があると撤廃される可能性があるだろうなーと思います。

プログラミング代替案が出てきたら今の仕事は縮小すると思いますが、それがより良いパフォーマンスになるのであれば自分はその流れに賛成派です。


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