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正月の3日間を過ごしてみて

さてさて、こんにちは。

週1ペースで書こうというnoteなんですけど、なぜかまだ4日しか経っていないのにすでに筆を下ろそうとしている今日この頃です。

どんなことを書こうかと思いましがた、正月の過ごし方について、これまでと違う過ごし方をしたので書きたいと思います。

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正月の過ごし方は人それぞれ違うと思うんですが、自分は今年は地元で過ごしました。

多分この過ごし方は多くの人が行った過ごし方じゃないですかね。

なので過ごし方に特筆べき点はないと思うんですが、自分の場合はここ数年、正月を地元以外で1人で過ごしていました。

それもあって地元で家族と過ごすのは久しぶりだったのです。

しかもカウントダウンとか初日の出とか初詣とかそういう正月らしいことも一切していないという。笑

何もない日常のように過ごしてみたらなんかこれまでとまた違うなと思った気づきがありました。

行動肥満型

まずここ数年間の正月の過ごし方を振り返ってみます。

2022年は長野県にある志賀高原で厳冬期の雪山リゾバをやっていました。

もちろん知り合いゼロ!

土地勘ゼロ!

リゾバも初体験!

厳冬期の雪山で元旦は吹雪いてて氷点下15度という地元では体験しない気温の中で過ごしていました。

趣味の登山もあり、志賀高原にある岩菅山(いわすげやま)に登ったのもいい思い出です。

これが2022年。

2021年は大阪府から鹿児島県志布志市行きの船の中で新年を迎えました。

初日の出は太平洋から上がる太陽を拝んで志布志港へ着岸。

日本一『志』の多い街というキャッチフレーズが書かれたモニュメントとともにスタートした一年でした。

その前の2020年は高知県室戸岬で最後の夕日を見届けて車中泊からの日の出。

こちらも美しい自然を眺めならが新年を迎えました。

こんな感じで正月は常にどこぞかしこへ行っていたんですね。

なんか話聞いたらただの旅行話じゃないか。

と思ったかもしれませんが、今年対照的な過ごし方をして気づきを得ました。

確かに「旅行三昧で楽しそう」と、そう言う側面がありますが、新年の迎え方ははっきりと今年の方が質が高いなと感じました。

幼少期のような過ごし方が原点

今年は幼少期のような過ごし方をしました。

特に遠くへ行くわけでもなく、特別なことをするわけでもなく、例えるなら学校が冬休みに入ったので家でダラダラしているような、そんな表現が的確な状態でした。

SNSをひらけば、たくさんの人様の後ろ頭の先に神社の鳥居がある写真をあげていて、みんな初詣行ってるな〜とか、正月あるあるな写真だなぁと思うわけでしてそれは興行のようなものなのかもしれません。

SNSでアップロードされる正月あるあるはこんな感じ

コロナ規制も緩和されてきたので海外組の写真なんかもポツポツ今年はあったりしました。

あと山登ってる人も。笑

(雪山登りはやはり行きたい気持ちにちょっとなりましたが)

この辺りは去年までの自分も同じ行動を取ってました。

ですが、今年はSNSでの「あけおめ」挨拶はしたものの、それ以外の特別さはなく、本当に冬休みを家族と過ごす正月にしました。

これが意外に退屈しなかったので、当初思ってたより質の高い正月だったと気づいたんです。

『特別』と思っているうちは無理してる

今回の過ごし方で一番思ったのは、こんな感情です。

特別なことはしなくても世界は勝手に回っているし、世の中は勝手に進んでいる

みたいな感覚ですかねー。

たぶん、肩の力が入った過ごし方をこれまでしてきたから、そう思ったのかもしれませんが、特に今年は「冬休み」を満喫したなと。

それによるペースがとても心地よく思いました。

力の抜き加減が少しわかってきた感じですかね。

具体的に言えば「〜あるべきだ」とか「〜じゃないといけない」みたいな概念が緩んだ感じです。

多分、深層心理にまだ「〜べき」みたいな概念って完全になくなったとは思いませんが、去年までの過ごし方に比べて今年は格段にそれを緩めることができたと思います。

いやいやそんなこと考えて旅行なんてしてないし!

って思う人もいると思いますが、正月だから〜の時点で特別感はあるなと。

で、この特別感ってちょっと「〜べき」的な強さも持ってるような気がします。

特別ってのはやはり「特別」で「普段」のソレとは違うんすよね。

ってことで結果的に正月から疲れてしまったり、疲れるくらいなら休めばいいですが、気持ちの整理に十分に時間を割くことができないで新年をスタートさせることになるなと。

特別なことが悪いわけではないですが、特別な状態だと内面的な事柄に目をむける暇がない。苦笑

新年という区切り良い時間にしっかりと気持ちの整理とか向き合う時間を作った方が「今年」という期間に真剣に向き合えた気がします。

そして正月は家族という原点にも向き合うには良い機会(なぜなら集まったりする可能性が高いから)なので、気持ちも安定しやすい環境があるからこそ、より効率が良いなと思えたわけです。

ちなみに、特別な過ごし方を批判しているわけでなく、冒頭でも書きましたが良い思い出でもあるので全く悪くないです。

ただ今年のような過ごし方を行った結果、平凡な過ごし方な方が「正月」という時間の質が高かったなと思えました。

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