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学校ぎらいの三学期

 冬休みがおわった。小二のむすめにとってはつらいつらい三学期の始まり。いつも長期休みの最終日は翌日の登校を思って眠れなくなる我がむすめ。はっきりとした原因(いじめとか)は無いようなんだけれど、ひとつは今の担任の先生への不信感があるらしく、あとは元々あった彼女のこだわりが主な要因。
 ①とにかく自分のペースで行動したい、②好きなことしかやりたくない、③どこへも出かけず家にいたい、④お母さんとずっと一緒にいたい。
 これらがとてつもなく強い人なのです。

 二学期の最終日、むすめが持ち帰った成績表をひらいた私は多少なりとも顔が青ざめていたと思う、成績は一学期と比べてひどく落ちていた。
 この二学期でむすめに何が起こったかといえば、もともと幼稚園時代からあった集団生活嫌いがとうとう爆発して、頑として教室に入らなくなったのだった。
 学校側はむすめの気持ちを優先してくれて教室に入らなくてもよいように取り計らってくれたので、むすめは空き教室で手の空いている先生に付き合ってもらって学習したり、担任の先生から出されたプリントをやったりしながら過ごした。「友達と遊ぶより、ひとりでいる方が好き」と断言するむすめは休み時間もひとりで、本を読んだり校舎をお散歩したりして過ごしているらしい。
 むすめが本格的に教室へ入るのを拒否しはじめた秋のはじめ頃、校長先生(むすめの味方をしてくださるありがたい存在)と面談したときに先生から「申し訳ありませんが、授業に出ないということは、どうしても成績には現れます。」と言われていたので覚悟はしていたつもりだったのだけど。

 学校の成績は、やっぱり授業に出てこそのものなわけで、むすめは教室に入らずとも勉強をしなかったわけではないのでテストはだいたいいつも100点とか95点とかでそれなりに授業も身についている感じではあったし、体育はほぼすべて欠席だったが(オイ)、それでも体育の授業でやっていた『後転』を、毎晩家の布団で泣きながら猛練習してできるようにもなった。ピアノなんか習ったこともないけれど(習い事をしないのが彼女のポリシー)、家で鍵盤を叩いているうちに絶対音感もついた、それから寝る前に伝記を読みまくって歴史や偉人のことも自然とおぼえた(学校の図書館ではゾロリ一択だがな)。けれど、教室に入らないということは、それだけでやる気がないと見做 みなされてしまうのか、ついそんなことを思ってしまった。むすめは、与えられた勉強をするのは嫌いだけど、自ら学ぶ力は結構あると思う(要するに超がつく天邪鬼で、人から教わるのがきらい)。

 二学期はどうにか無理にでも学校へ通わせていたのだけど、むすめは12月に入ると家での態度がひどくなり、私にひたすら反抗する、口答えする、弟に難癖つけて喧嘩をふっかけるの繰り返しで、家の雰囲気は最悪になってしまっていた。こんな調子で冬休みに入ったらどうなるのかと疲れ切った頭を抱えていたのだけど、終業式が終わった途端、むすめはそれまでとは別人のようにけろりとしていた。弟と楽しく遊んでいるし、私に変な口答えもしない。悪魔が抜けたみたいに本来の天真爛漫なかわいいむすめに戻ったのだった。

 やはり、それだけ彼女のなかで学校がストレスだったのだろうか。世間一般から見たら「ただのワガママ」、しかしその実態は?

 冬休み中のむすめは学校というストレスから解放されて、朝は7時に起きて(彼女のベストな起床時間)、急ぐことなく朝食をたべ(ゆっくり咀嚼するので、たべるのがとてもおそい)、好きなことをしてひたすら遊び(集中力はあるので始めるとやめられない)、どうにか区切りをつけてまたゆっくりお昼をたべ(給食はいつも時間内にたべ終われないらしい)、午後も好きなことをして遊び、夕飯もたのしくたべ、風呂は2日に1回(遊びが優先になってどうしても風呂に入れない)、歯磨きをして(まだ親に甘えて磨いてもらっている)、夜寝る前にすきなだけ本を読み(さらに最後は私に読んでもらい)、満足して眠るという、夢のような生活を楽しんでいた。

 むすめは確実に「普通」ではない。(親が甘やかしすぎって思われるかもしれないけど、こういう子供を育ててみてくださいと言いたい。)そんなこと、わざわざ病院に行って『発達障害』という診断を下されなくたってわかる(けれどこのたび、ちゃんと専門医へ相談にいきます)。
 先日はむすめが七五三の着物を着なかったと書いたけれど、幼稚園の卒園式だって、小学校の入学式だって、「よそゆき」は絶対着なかったし、小学校の体操服も、1年くらいは頑として着なかった(それでも二年生になって着るようになったんだから成長はしているらしい)。

 最近は時代の流れで個性を大切にと言うけれど、まだまだ個性派の人間は生きづらい世の中で、学校は特にそう。決まりごとが多いし、それでは自分のことを自分で決める力がつかないじゃないの、学校がわるいところとはいわないけれど、そういう一面も少なからずあるとは思う。

 むすめのことを話した何人かの友人は、
「むすめちゃんは、いやなことをいやだと言えるんだから、えらいよ。」と言ってくれた。
 私も生きづらさを抱えた一人だからこそ、むすめの気持ちもよくわかる。発達障害の子を追ったドキュメンタリーなど観るととくに、彼女自身が持っている宝物を大切にして育ててあげなくてはと思う(思ってはいても実行するのは至難のワザ)。自分のことをきちんと認められて、自分が心地よいと思える場所をちゃんと知っていれば、人は概ね幸せに生きていけるような気がする。むすめにはその力がある。
 「社会」と「自分」をうまく擦り合わせて生きていかなくてはならないのだなぁ、人間は。
 とりあえず三学期は、私の仕事などできるだけ整理して、むすめが自分らしく過ごせるよう家時間を多めに取ってみようと思います。

学校がない朝は私も気が楽、好きな本と紅茶とトーストでのんびり朝食。



2023/02/25 一部、加筆修正しました。

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