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★セーター伝説ベスト5SPECIAL 本当の第1位!
先日、メンバーとして6年前から在籍しているハイエナズクラブに、ようやくとうとう初めて書いた、「セーター伝説ベスト5」というタイトルの記事が掲載されました!
(画像をおすと下らないですけど読めます!)
どんなにつまらなくて恥かいても載せて頂けただけで感激しました。自分の中のセーター伝説を出し切りました。悔いはないーー
と言いつつ、セーター伝説の第1位は本当は違うものでした。
理由は察していただくしかありませんが、
「これを『ハイエナズクラブの記事』として書くと様々な業界、分野でご活躍されている素晴らしいハイエナズメンバーの皆さんにご迷惑がかかる恐れがある」がゆえにです。
しかし、わたしのnoteに書いてあることは全てわたしの責任に於いてわたしがやっている事なので、ご気分を害された方、不利益を被ったという方がいらっしゃいましたらわたしの方で承り太郎ます!
そして誰かに伝えなければ永遠に失われてしまうストーリーでもあるこの話を、ここに記させていただきます。
さあ、いよいよセーター伝説も残すところ本当にあと1つ、真・第一位の発表です!
第1位 凶運(セーター)の男性(ひと)
2019年2月ーー
「えっ! テレビですか!?」
ハイエナズクラブのからのひみつ連絡にわたしは驚いた。
「しかもあのーー」
話はさらに23年前まで遡るーーーー
ーーTECHNO。
1996年の年末、映画「トレインスポッティング」(ダニー・ボイル監督)を観たわたしはエンディングに流れるunderworldの「Born Slippy- Nuxx」(1994)で初めてそれに触れた。
オーロラのようなシンセサイザーの音色が、壮大で切なく、しかし力強く前を見据えた進行のコードを奏でている。そこに、滝に打たれ震えながらも必死に経を唱え続ける真言密教の修験者のようなボーカルが稲妻のように切り込んでくると、頭の中の空っぽな場所に拳を固く握りしめた自分が立ち尽くしている。ハイハットが16分を刻み始めるころには体中の血が急速に沸き立ち始めて、その4小節後には雷神の鉄槌のような重い4つ打ちのキックにBPM140でけつを蹴られ、この世界の理不尽、無関心、無感情へのどうしようもない怒りに気づかされそれをめちゃくちゃなダンスによって爆発させられている!さんざん暴れまわったあと再びあらわれたオーロラと共に何ものにも代えがたい幸福感に包まれて曲は終わるーーと思ったら映画のスタッフロールのようにドラムトラックだけが延々とループし続けるーー祭りだ!豊年祭りだ!
わたしは衝撃を受けた。気がつくと下北沢のレコファンでunderworldのCDを買っていた。これがテクノかーーいや、これは新時代のパンクロックだ!と勝手に解釈し、underworldのCDをパンクコーナーに置いたり、友人たちにザ・プロディジーをパンクだと紹介していたりしたが、怒られた。
ちなみにスラッシュ・メタルをやるために上京したわたしでしたが、この頃は早くも迷いが生じ二人編成のデス渋谷系バンドになっていました。
この頃奇跡のようなタイミングで、様々なテクノアーティストが伝説のアンセムを発表。JOEY BELTRAM「The Start it up」(1995)、JEFF MILLS「The Bells」(1996)、PLANETARY ASSAULT SYSTEM「Voodoo」(1998)、SQUAREPUSHER「Come on my selector」(1997)…
今も色褪せない名曲たち。スラッシュ・メタルが勢いを失いメタリカのバンド・ロゴが鋭角さを失いがっかりするほどダサく変わった時代(メタリカ「LOAD」1996年、メタリカ「RELOAD」1997年)、わたしはテクノに急激に惹かれていき、1998年鶴見済氏の「檻の中のダンス」を読んで(拙note記事「クスリのリスク」参照)、ライブハウスからクラブへとスラッシュする場所を替えた。
そして当然のように電気グルーヴに出会った。
電気グルーヴーー
それまでポンキッキのグループだと誤解していたが、1996年の「ORANGE」、1997年の「A」と傑作テクノアルバムを連発した。中でもクラッシックはORANGE収録の「Tシャツで雪まつり including燃えよドラゴンのテーマ」(作詞:ピエール瀧 作曲:電気グルーヴ/ラロシフリン)。「あなた顔がそっくりですね」というサンプリングから始まる「燃えよドラゴン」のハイテンションなテクノアレンジをバックに、野球選手の応援歌のような3・3・7拍子を元にしたリズムとメロディーから繰り出される「ツラが大事件 素朴すぎる」や「かたやオラウータン 顔が臭い」などの素晴らしい歌詞の中でも特に3番、
『親が金持ちだ 家もデカい だけど家族が全員オヤジとおんなじツラ構え しかも一人娘 悩みのタネ どこをどうすりゃいいのかじっくりツラ見て大爆笑』には衝撃を受けた。こんなヒドい歌があってもいいのがテクノなのだ!古いブルースの歌にも「俺のカツラを返せ」という歌詞があるが、この衝撃はわたしの文化的けつの穴を大きく拡げた。そして今の時代では許されない表現であることも分かっている。
しかし自由がそこにあった。
わたしはこの「Tシャツで雪まつり」を、クラブで大音量で聴きながら踊りたかった。
そしていろいろなイベントに行ったが、この曲をかけるDJは終ぞ現れなかった。
誰もかけないなら俺がかける!
実現したのはそれから10年後ぐらい、横浜の関内でのダンスホール・レゲエのイベントでDJをやった際、客が1人も来なかったのでかけたら次のイベントからDJとしての声がかからなくなりました。ざんねん
余談
わたしにDJのイロハを教えてくれたのは自衛隊出身でレゲエひとすじ、レゲエのやりすぎで除隊されたのちレゲエで得たリーガルで神奈川県でレゲエバーを開くまでに至った大変珍しい経歴のレゲエ人物であった。わたしはいまだにボブ・マーリィでさえ聴いたことがないのに、レゲエDJとして彼のイベントに出演していた。その時のわたしのDJネームは「AUDIO平八郎」だった。
また、日本のテクノで面白かったのが「サンプリング文化」だ。co-fusionの超名曲「TOKYO FUNKY BEAT!」のみならず、テレビ番組やCMからのサンプリングを大胆に使ったスペランカーズの作品群、「おら東京さ行くだ」をリミックスし「NO DISCO CITY」(ディスコもねぇ!のフレーズのリフレインが最高)を作った高野政所氏のレオパルドンなど、今の時代では権利関係が難しく新作がなかなか出せない状況ゆえよりいっそう輝きを増している。電気グルーヴ最大のヒットシングル「Shangri-la」(1997年)もシルベッティの「Spring rain」のサンプリングが使われているが、これにより曲に華やかさと「これは『真面目に売れようとしている』というジョークである」という遊び心が加わり傑作となっている。しかし遊び心さえ許されないのが現代だ。今、このような『遊び』はリスクを伴い非営利活動として行うしかない。1997年当時でさえ、電気グルーヴはシルベッティ側に印税の半分を支払っている。
当時のクラブファッションについても記しておきたい。男女みんなTシャツにジーパンかゴアパン。わたしは高円寺で買ったベルボトムを引きずるように履いていた。Tシャツにかいてある文字は面白ければ面白いほど良いとされていた。となりのトトロのイラストの下に「なとり」とかいてあるTシャツを着ていた方お元気でしょうか。
中には体操服にブルマーの方(そして手首に包帯)やサイバーゴスの衣装に身を包んだガスマスクの方(そして手首に包帯)、丈が短い業務用ナース服の方(ナースなのに手首に包帯)もいたりしたが、みんなカネは持ってなさそうな感じだった。
でもみんな笑顔だった。
ブレイクのドラムロールで手を上げれば、必ず誰かがハイタッチしてきた。男も女もみんながみんな、手を繋いで、
次のキックとクラッシュを待っていた!
カネはなくとも、
希望がそこにあった。
このように、当時のわたしたちに自由と希望をもたらし、わたしたちの文化の中心にいたのは、
電気グルーヴという存在に他ならないとわたしは思う。
富士山やケンタウロスの着ぐるみを身につけながら100万人を動員するドイツでの愛の祭典LOVE PARADEで活躍するその姿は、わたしたちに
「もっとふざけていい、気楽でいいんだ」
という心の豊かさをもたらしてくれた。
今でもわたしの感性は当時の衝撃を元に形作られているのは間違いない。
そしてクラブがカネを持ってそうな人々がきちんとした身なりで集まる場所になっ(てしまっ)た今も、わたしは「Tシャツで雪まつり」で踊れる場所と空気を求め続けている。
ありがとうテクノ、
ありがとう石野卓球、
ありがとうピエール瀧!
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23年後
「えっ! テレビですか!?」
「しかもあの『ピエール瀧のしょんないTV』ですか!?」
わたしに出演を依頼したいという。なんて事だーーまず、先方の番組制作会社の方に連絡をとってみた。
ダサセーターの専門家として、ピエール氏とともにセーターを買うロケに同行してほしいという。そのための、いいダサセーターがあるロケ地の情報も求められた。
わたしは悩んだ。
twitterアカウント『ダサセーター画像』はあくまで非営利だ。テレビに出演したり、ましてやギャラをいただいては全ての前提が壊れてしまう。
讃えられるべきは一生懸命セーターをデザインし、苦労して編んだ人々なのだ。
しかしピエール瀧に会いたい…会って感謝をお伝えしたい…卓球氏には渋谷のWOMBのフロアでお話させていただいたことがある。愛に溢れた、広くてDOPEな温泉のような方だった…しかしピエール氏には
正月の恵比寿LIQUIDROOMで篠原ともえとついた餅をもらった
事しかない。是非とも一緒にテレビに出て、面白い番組にすることによって恩返しがしたい!出演を承諾するにあたって条件を出した。
・ノーギャラ
・twitter「ダサセーター画像」の事に触れない
・わたしの肩書きは「セーターの人」か「建設作業員」で
さっそく企画がスタートした。先方の方はロケ地に「高円寺」「下北沢」を提案してきたが、わたしは「北千住」を推薦した。
たまたま当時の担当現場が北千住で、ちょうど高層マンションを建てている最中だった
ので、上空から北千住を見おろして気になった場所を休み時間にさんぽしていたおかげで、既にありえないほど素晴らしいセーターの店がたくさんあることを調査済みだった。セーター以外にも素晴らしい店や、見晴らしのいい河川敷がある事を知っていた。ロケ地は北千住に決まった。
(素晴らしい店の例 ここで電気グルーヴの名曲「虹」(1994)を歌うハイライトを勝手に考えていた。)
(素晴らしいポップコーンの自販機)
さあ、次はテレビにDELLときの服装だ。
ハイエナズクラブのメンバーとの初顔合わせの時のように、あえて無地のセーターを着ていこうと思ったが(ハイエナズクラブ記事参照)、あまりにテレビ映えしないので茨城県の山奥のリサイクルショップで見つけた「ホット・パンツがついているセーター」を着ていくことに決めた。無地のセーターを着ていったら「メロン牧場」(連載:ロッキング・オン・ジャパン)でネタにしてくれていたかもしれないが。
これ
あとは勉強のため「タモリ倶楽部」を観まくって結局「空耳アワー」ばかりみていたり、妻をピエール瀧に見立ててさんぽしながら街レポの練習をしたりした。
ピエールさんに感謝を伝えるための原稿を書き暗記するまで朗読したりもした。
そして先方との打ち合わせも順調に進みいよいよ本番が近づいてきた。体調も万全。全力で臨みます!と思ったその時ーー
2019年 3月 ピエール瀧 麻薬取締法違反(コカイン使用)で逮捕
ーー3月15日「ピエール瀧のしょんないTV」打ち切り。
…。
ニュースを知ったわたしの第一声は
「そっち!?」
でした。
(「セーター伝説ベスト5」おわり 完)
つづく
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