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姪っ子のTikTokを見て湧き上がる不安と畏怖。(シーズン野田)

生きていると恥ずかしいことがたくさんある。

恥ずかしさとどう付き合っていくかが人生である、と言っても過言ではない。このややこしい自意識が自分の行動を決定づけ、ある人は乗り越え偉大になり、またある人は恥ずかしがったまま死んでいく。

どちらがどうというわけでもないのだが、できれば恥ずかしがらずに大胆に生きたいものだと思う。そしてそれは歳をとればとるほどに難しい。

年代によって何を恥ずかしがるのかは異なるが、基本的には「痛い人」ほど恥ずかしい。

痛さとは、痛々しさ。自意識のありようだ。自分で仕上げた自分のキャッチコピーと、他者の評価とのズレ具合で「痛度」が決まる。

「いいことあるぞ、ミスタードーナツ」

は有名なコピーだが、実際ミスタードーナツ本人が「俺といるといいことあるよ」と宣うのだから、よっぽどいいことがないとただのミスター痛い人になってしまう。

「よく自分で言えるよな」。ポイントはこれである。

就活が始まり、どことなく気はずかしい人物になっていくのは、就活生になり、面接などで自分の良さを語らなければならないからだ。

就活生のドキュメンタリーを撮っていたことがあるが、面接時に「私の強みは問題解決能力です!」と言ってたのを目にした時は、イスから転げ落ちた。問題解決能力を公言する人間に、問題解決能力があるわけがない。

要するに自分を良く見せることへの臆面のなさが、痛さにつながるのだ。

朝井リョウ『何者』は、この辺の自意識をうまく描いているのでぜひ読んでほしい。小説も映画も傑作だ。

さて、最近何かと話題になるTikTokは、SNSが度々もたらす「よく自分で言えるよな」問題の一つの達成である。

ちょっと前は、フェイスブックで、自身の子供や豪華なランチをアップして「我こそ真のリア充なり」と声高々にあげる人たちへの冷笑が生きていたが、次第にその健全な恥ずかしさも飼い慣らされ、今は何も思わなくなってしまった。

だがしかし、再びその恥ずかしさに火をつけたのがTikTokだ。

TikTokが凄いのが、恥ずかしさをも利用したその開き直りにある。可愛い音楽に合わせて、可愛いこぶったその顔で口パクしながら”アヒル口”で決め込む自撮り動画は、5年前なら晒し首同様の効果を持つ。

しかし、恥ずかしさに慣れきってしまった今の我々はそれをただただ「恥ずかしい」と言いながらも楽しめるようになった。これは人間の知性にもたらされた高度な進化である。

純粋なる「痛さ」がエンターテイメントの一つのジャンルとして確立されたのだ。とりわけ小中高生がこのTikTokにハマるのもまた、自意識バリバリで世間知らずの絶大なる痛さ、すなわちドリップされる初期衝動を持て余す世代であるからだろう。痛くてもいいのだ。いや、痛くなくてはならない。

実は、最近自分もTikTokを始めたが、正直全然続かない。おそらく初期衝動でものを作る時期じゃないからだろう。有名なタレントがビジネスとしてそれをやるのはわかるが、ただただ持て余した痛さをTikTok消費するほどには痛くは無くなってしまった(なんてつまらない人間なのだろう)。「あえて」それをやることは可能だが、「あえて」やってない人たちには到底かなうわけない世界である。

姪っ子(妹の娘)が骨太のティックトッカー(ティックトックやってる人)で、TikTokで流行っているコンテンツをまんまパクった自撮り動画をコンスタントにあげている。むろん本気だ。本気で可愛いと思っている。フォロワーも1600人くらいいる。妹と笑いながら姪っ子たちの動画を見ていたのだが、もちろん「よくこんなことやれるよ」という恥ずかしさがあるのだが、なにより「頼もしさ」がその上をいく。

それは大人が持つ、無知蒙昧な子供に対しての冷めた憧れなのかもしれないが、一人でどうどうと立派に編集をこなし、アップロードし、着々とフォロワーを伸ばしている。とんでもないコミュニケーション能力だ。

ただ、姪っ子たちもそれを「恥ずかしいこと」として捉えているのが面白い。

絶対に撮っている現場を親に見せないというのだ。

「絶対に部屋に入ってこないでよ!」

鶴の恩返し以来の警告である。一連の「作品」を見ていると、そんなことを気にしないくらいのどうどうとした佇まいなのだが、彼女は彼女たちなりに色々と距離を考えながらTikTokと向き合っている。

「最近、自分が出ない動画ばっかり投稿してるんだよね」と、妹が言っていたが、どうやら学校でおそらく「かわいこぶっている」だの「調子に乗ってる」だの、心ないことを言われたのだろう。

そうやって傷つきながらも彼女たちは動画を発表し続ける。そんなことを小学生のうちから経験するのだから、やっぱり頼もしい。

そして、自分なんかよりもコンスタントに動画を発表している点では、けっこう恐ろしい。これがこのまま続けばいいと思う。ふと我に返らずに、ある人のように、乗り越え偉大になってほしい。

でも本人は「そういうんじゃないの」ってことなんだろうな。偉大になれなんて時代錯誤だ。

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