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歌手になりたい!

子供の頃から歌うのが大好きで歌手になりたかったから、何度かオーディションのようなものを受けたことがあります。と言っても地方に住んでいたので、とうてい歌手になんてなれない自己満足のようなものでしたが。


中学生の頃、映画のオーディションに写真と履歴書を送ったのが最初だったと思います。数日後に封筒が届き、中には一次審査合格の通知が。東京で二次審査が行われるので案内とセリフを書いた資料が入っていました。こんな経験初めてです。当時テレビで見ていたアイドルのドラマばりにセリフを喋ってみます。下手くそです。照れもあるし、そもそもお手本のアイドルの演技が微妙なんですからどうしようもありません。そこで初めて母にオーディションのことを話してみました。帰ってきた答えは「東京へ行くなんてダメ」でした。親にそう言われると、無駄にお金も行動力も持ち合わせていない田舎の中学生ですから、諦めることになります。喋ることを紙に書いて何度も練習してオーディションの事務局へ辞退の電話を入れました。変に真面目な子供だったんですね。


部屋ではいつもAMラジオを聴いていました。毎週日曜日の午後になると某ショッピングセンターからの中継でカラオケのコーナーがあり、1日3組の人たちが出演していました。高校の頃仲がよかった友達も出たことがあるらしく、その時は西城秀樹さんの「ギャランドゥー」を歌って優勝したそうです。その子とはよく一緒にカラオケに行っていたのですが、女の子なのにパワフルでビブラートを効かせてすごく上手に歌うのです。とは言え毎回他の出演者は正直パッとせず、私の方が上手に歌えるのになーなんて思っていました。コーナーでは歌の1番目だけを歌うので、最近の曲でいちばん長いのはなにかなんてよく考えていました。だって、どうせ出場するなら長く歌いたいですよね。当時の私の見解では渡辺美里の「悲しいね」が長くていいんじゃないかなと思っていましたが、ちょっとネガテイブな感じの歌なのでちょっとなぁ〜なんて思いながら結局一度も出場することはありませんでした。


高校3年の時だったかな、地元にNHKのど自慢が来ることを知りました。もちろん私としては出場したいわけです。でも当時土曜日はまだ授業があって、学校に行っていると予選に間に合いません。なので担任だけににこっそりと、早退してのど自慢に行く旨を伝えました。先生は、予選を通過した場合だけ連絡をくれと言ってくれました。予選には譜面が必要なので前もって分厚い歌の本を買っていて、歌うのは当時友達の間で流行った「恋のバカンス」に決めていました。リアルタイムで聴いていたわけではないのですがね。世代が違いますから。予選には300組くらいの人たちが来ていました。学校帰りにそのまま行ったので、制服のスカートを膝上まで短くして紺のハイソックス、髪型は腰まである髪をツインテールにして校則では禁止されている赤いギンガムチェックのリボンを結ぶといった格好で行きました。当時私は歌がうまいと言われていましたが、拳をコロコロさせながら演歌を歌い切る本格派とは違い、声自体はアイドルみたいな感じです。よっぽど目立った面白いことをしなければ本線に出られるはずもなく、わたしの挑戦は幕を閉じました。週明け登校してみると生徒指導の怖〜い女の先生に声を掛けられ「私さ〜ん、テレビ見たわよ〜」と言われてしまった。どうやら予選の様子がニュースに出ていたようです。oh…。


卒業して働き出しても私の歌好きは変わりませんでした。ある時AMラジオ主催の会社対抗OLカラオケ大会があることを知ります。もちろん出場します。誰にも相談せずに決めました。でも結果的に会社みんなで応援に来てくれることになり、2人の女の先輩が私の両隣でダンスを踊ってくれることになりました。松田聖子さんの「輝いた季節へ旅立とう」を、全身真っ白のピンクハウスを着て歌うことになりました。観客は出場者の会社関係ばかりで、客席は飲み会状態です。私は飲むのが大好きで若い頃は結構ザルだったのですが、飲んでも結構しっかりしていてちゃんと記憶が残ります。そのかわり飲むと怖いものがなくなり、とても面白い人になってしまいます。ステージでカラオケを歌う時もすでに酔っていて、アドリブで会社の宣伝を勝手にやったりしてとても楽しく歌うことができました。その日は予選大会だったのですが、本戦に出られる1組を決めるはずが、3組でもう一度次の日に選考を行うことになりました。もちろん3組の中には私も無事入りました。
帰って作戦を考えました。今度は衣装をレンタルしてきました。ベアトップの白いドレスで、スカート部分を外すとミニのタイトスカートになります。若かったよなぁと思います。先輩方も全身タイツで黒猫になって踊ってくれることになりました。当日は例によって本番前からベロベロでした。ニュース用にテレビカメラが入っていて、その辺を歩いている人がインタビューされていました。もちろん衣装着用の私もインタビューされたのですが、その頃すでに出来上がっていて怖いものがなくなっていた私は松田聖子になりきってインタビューを受け、みごとにオンエアされませんでした。先輩方は2人ともちゃんとニュースに出ていました。ステージでは前日よりもパワーアップした内容で歌い上げ、途中でスカートを外し、歌の最後ではAMラジオの有名アナウンサーを引っ張って来て壇上に上げ、腕を組んだ状態で歌いました。酔っ払いバンザイ!結果は本線には行けませんでしたが、私たちはやり切りました。
次の日残業をしていると例のアナウンサーのラジオ番組が始まって、昨日の大会の様子を話していたので予め用意していた文章を局にFAXしました。もちろん番組内で私のFAXは読まれ、アナウンサーに「結構かわいい子だった」なんて言われてご満悦だったわけです。


それと同時期に世間ではEAST END×YURIの「DA・YO・NE」が流行っていました。これを全国各地の方言で作るのが一時期流行、私の地元でもオーディションがありました。「YURI」ってひらがなで2文字の名前ですが、じつは私もひらがなで2文字の名前。ゴロもバッチリ!というわけでオーディションに参加することにしました。当日はその時お気に入りだったヘンリーネックのTシャツを重ね着して、ペインターパンツをスカートにしたようなデザインのスカートと、頭には赤いバンダナをかぶって行きました。妹と一緒に行ったのですが、道中声を掛けられた古着屋の店員に服装を褒められてすごく嬉しかったです。肝心のオーディションですが、会場の小さなホールには女の子が何人も来ていて、中にはOLカラオケの再選考で一緒だった子もいました。順番に前へ出て1人づつ「DA・YO・NE」を歌うという内容。私の番になり、歌い始めたけど、あれ?何か変?…じつは私は「DA・YO・NE」よりも先に関西弁の「SO・YA・NA」から入ってかなり歌い込んでおり、オーディションのために初めて「DA・YO・NE」を練習していたのでちょっと気を抜くと「SO・YA・NA」に釣られるという始末。一応最後まで歌ったもののなんかぐだぐだで、選ばれることはありませんでした。


目立ったオーディションはこんな感じですが、小さなカラオケ大会だったら何度か出ています。表彰されたことも2度ほどあります。今も歌うのは大好きですが、昔のような声はもう出なくなりました。でも時々歌ってみては「YouTubeで動画を出そうかな。給付金でマイクを買わなきゃ」とか「どこかで私の歌を聴いた藤井フミヤがスカウトしてくれて一緒に曲を出すことにならないかな」とか妄想したりしています。今日の記事を書いてまた当時のいろんなことを思い出しました。まだまだこれからも夢を持ち続けようと思います。

未来はいつも面白い!