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掃除の気配

私がまだ小学生の頃、朝起きると母は台所へ立ち、祖母も何かしらの家事をしていました。居間で荷物の準備をしていると祖母が雑巾を持ってやってきて炬燵の天板を拭くのですが、その気配を感じながら準備をする私は何か体の中から洗われるような気持ちよさを感じていたのです。


・・・という場面をある日突然思い出しました。その時は前に働いていた職場で仕事中だったのですが、会社がオフィスビルの中にあったので窓掃除の業者の人がやって来たのです。その時私の席はいちばん窓側で、窓に対して横向きに座ると言った配置でした。ワイパーを使ったり窓を拭いたりするときの振動音や気配を感じながらCADを操作する私は、とてつもなく心が洗われるような浄化されるような気持ちよさを感じていたのです。この感じ…前にもあったなと考えたときに思い出したのが冒頭の朝の風景だったのです。


どうやら人が掃除をしているのを見たり気配を感じたときに気持ちよさを感じるらしい。特に拭き掃除の場合その傾向が強いということに気付きました。そういえば仕事帰りバスを待っているときに時々バス停掃除のおじさん達が軽トラに乗り合わせてやって来るのですが、その時ばかりはスマホをしまって掃除に見入ってしまいます。短時間でバタバタとその辺を掃除してバス停を拭き上げて去っていくおじさん達にとても心地よさを感じて「ありがとうございます」と心の中で手を合わせるのです。


ところで私は自宅のトイレ掃除を毎日かかさずやるという生活をもう何年も続けているのですが、その行為に対して特に楽しさや気持ちよさを感じているわけではありません。いえ、確かにトイレはきれいになるわけですからある程度の気持ちよさはあるのですが、窓掃除のお兄さんやバス停のおじさん達に比べたら全然足りない。ある日トイレ掃除をしながらふと思ったのですが、自分がトイレを磨いている姿を第三者視点で見ることができたら気持ちよさが倍増するのかな。想像してみると、確かになんとなく気持ちの良い気がする。うまく説明できないけど、そんな感じの浄化の仕方もアリなのかななんて思いました。


ただトイレ掃除に楽しさを感じないと言っても毎日続けているとだんだんトイレを生き物のように感じて愛着が湧いて来ます。すると自然に挨拶をしたり手を合わせたりがあたりまえになります。不思議ですね。

未来はいつも面白い!