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サル・ガヴォーで2夜連続バロックコンサート その1 ル・バンケ・セレスト

3月終わりに、パリのサル・ガヴォーで、2夜連続でバロックアンサンブルのコンサートを聴いた。
一つは3月23日、ダミアン・ギヨン Damien Guillon指揮のル・バンケ・セレスト Le Banquet Célesteで、パーセルの王のための頌歌。もう一つは3月24日、エミリアーノ・ゴンザレス・トロ Emiliano Gonzalez Toro が創設したイ・ジェメリ I Gemelliで、イタリアの後期ルネサンスから初期バロックへの移行期の作品。どちらも、歌を中心に、それぞれのアンサンブルのこだわりが表れたプログラムだった。
今回はル・バンケ・セレストのコンサートについてレポートする。

ダミアン・ギヨンとル・バンケ・セレスト

まず、ル・バンケ・セレストというアンサンブルについて触れておこう。この名前は直訳すると「天上の饗宴」。
ダミアン・ギヨンはバッハ・コレギウム・ジャパンと度々共演していることもあり、日本ではとくにバッハのレパートリーで知られているが、イギリスのこの時代の作品は彼が得意とするものの一つ。ちなみに最初のソロアルバムは2011年にリリースしたダウランドの「リュートソング」(アルファ)だったし、昨年はパーセルのソングを集めて一つの物語に仕立てた「ドリーム」という演出つきのプログラムを上演している。(ドリームにあたっての仏語インタビューはこちら

ダミアン・ギヨンの初ソロCD


ル・バンケ・セレストは2009年にギヨンが創立。演奏する曲によって編成およびメンバーが自由に変わる。(フランスでは、中心となる奏者はいても固定メンバーを定めずこのような形態をとるアンサンブルがほとんど。)2016年からフランス・ブルターニュ地方のレンヌ・オペラのレジダンスアンサンブルとなり、オペラをはじめとするレパートリーを着実に広げつつ、教育プログラムなども含めたさまざまな企画を活発に実現している。ギヨンは最近では指揮に力を入れており、2015〜16年にヘンデルの『エイシスとガラテア』を皮切りに、指揮者として舞台やオケピットに立つことが増えてきた。今年も数カ所でヘンデルの『リナルド』を指揮して好評を博した。(仏語レヴューはこちら
3月23日のサル・ガヴォーでのコンサートでも指揮者として登場している。

The British Orpheus

この日のコンサートでは、パーセルの頌歌(オード, Odes)の中から3曲を選んた。演奏会は最近アルファレーベルから出たCDのリリースツアーの一環で組まれたもので、プログラムはCDの曲目と同じ。録音ではギヨンは3度にわたって歌声を披露しているが、コンサートでは指揮に徹した。

パーセルのオードとウェルカム・ソングを集めた『ザ・ブリティッシュ・オーフェアス The British Orpheus』と呼ばれる作品集には24曲あるが、こんにち演奏されるのは『聖チェチリアへの頌歌』などごく限られている。

ダミアン・ギヨンとル・バンケ・セレストの最新アルバム

ウェルカム・ソング

宮廷用のオードは英国で独自に発展した音楽ジャンルで、フランスにもイタリアにも(王を讃えるというコンテクストで演奏される音楽はあっても)これに相当するものは見つからない。夏を田舎で過ごした王とその家族は、政府のあるロンドンに帰還した際、古典作法に則った新作の詩で迎えられた。この詩にパーセルが音楽をつけ、帰還セレモニーで演奏されたものがウェルカムソングである。純粋に王の入場を歓迎するものもあれば、当時の時事に関連して、策謀などの経過を語り、これを破った王の優越性を賛嘆するものもある。

バーニーのパーセル評価

CDの解説にもあるように、『ザ・ブリティッシュ・オーフェアス』はパーセルの死後18世紀に出版された声楽曲集。英国の音楽学者チャールズ・バーニーは、1789年、フランス革命の年に出版した『音楽史概論』で、王付きオルガニストだったパーセルのことを、この曲集にちなんで「我らが英国のオルフェウス、というより我らが音楽のシェークスピア」と書いている。この著書でバーニーはパーセルを他の同時代の作曲家や状況と切り離して記述しており、その正当性には疑いの余地があるものの、パーセルをこのように扱った背景には、この作曲家が既に英国を代表する巨匠として認められていたことがあるのだろう。それはシェークスピアと比較していることからもわかる

コンサートのプログラム

この日のコンサート(とCD)では、24曲の中から、 
From those serene and rapturous joys (1684)、
Fly, bold rebellion (1683) 
Why, why are all the Muses mute? (1685) 
を選んでいる。
それぞれ11曲から13曲の声楽曲(二重唱から合唱まで)と器楽曲からなっており、声と楽器をいろいろに組み合わせ、詩の構成にしたがって自由な形式で書かれている。歌手8人と楽器奏者8人で、歌手はソプラノ、アルト(うち1人はカウンターテナー)、テノール、バス各2人、楽器はヴァイオリン2、ヴィオラ1に通奏低音(チェロ、コントラバス、リュート、オルガン、チェンバロ)。アンサンブルのメンバーはCDとは若干異なっている。歌手陣も8人中3人を残して別のメンバーだ。

熟練の歌手陣

ソプラノでは、ギヨンの舞台上のパートナーとして幾度となく共演しているセリーヌ・シーン Céline Scheen が、シュザンヌ・ジェローム Suzanne Jerosme と見事なデュオを聴かせた。真珠にように光る高音がことさら美しいシーンと、中音域に深みを見せるジェロームの声が重なると、音楽の幅が一気に広がる。バスは、エドワード・グリント Edward Grint が開かれた音色で歌う一方で、急上昇中のフランスの歌手ニコラ・ブロイマン Nicolas Brooymans がFrom those serene and rapturous joys で驚くほどの低音域を披露。変化に富んだ音楽にさらに豊かさをもたらした。
アルトのメロディ・リュヴィオ Mélodie Ruvio もギヨンとは共演が長い。音域も声の質もコントラアルトと言うべき彼女の歌唱で、全体に厚みが出る。ソロではしっとりと歌い上げた。リュビオとアルトパートを分かちあったポール・フィギエ Paul Figuier も最近注目されているカウンターテナーだ。装飾音の扱いが非常にうまく、繊細な表現力に富んでいる。しかし、低音域でもいわゆる「頭声」で歌うため、少々厚みに欠けるきらいがある。
テナーはまずダヴィッド・トリクー David Tricou のトランペットを模した歌声が驚きだった。かと思えば、ミューズの沈黙を問いかけるWhy, why are all the Muses mute? では、溶け入るような歌唱が印象的だった。日本でもよく知られているトーマス・ホッブズ Thomas Hobbs はこのレパートリーを得意とすることがすぐにわかる堂に入った歌いっぷりで、自然なフレーズづくりが見事。
熟練の歌手陣を集めた演奏が、これらの曲が演奏されたセレモニーを彷彿とさせた。

演奏家への尊敬の念が表れたギヨンの指揮

ダミアン・ギヨンの指揮つまり演奏解釈は、それぞれの演奏家への尊敬の念が表れ、その長所を最大限に引き出すもので、彼の音楽観を映し出していると言えよう。音楽を通して一人一人の人間性の素晴らしさを聴衆に紹介しているような感さえ与える。感じる音楽の喜びをそのまま伝えたい、という彼の思いを、聴く人がどれだけ受け取れるか。そんなことを考えさせる演奏だった。

サル・ガヴォーは、著名な演奏家でも席を埋めることが難しいという曰く付きのホールなのだが、この日は最上階まで満杯だった。ギヨンとル・バンケ・セレストに対する期待の程がうかがえる、素晴らしい夜となった。



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