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グレトリーのオペラ『カイロのキャラヴァン』がトゥールで上演

アンドレ・エルネスト・モデスト・グレトリー作曲の『カイロのキャラヴァン Le Caravane du Caire 』が、4月24日と26日にトゥール・オペラで上演された。最近徐々に復権が進んでいるグレトリーだが、まだまだ彼のオペラが上演されることは稀で、この作品を初めて聴くという人が多かった。

アンドレ・エルネスト・モデスト・グレトリーとその時代

アンドレ・エルネスト・モデスト・グレトリー André Esnest Modest Gretry(1741〜1813)は現在のベルギー、リエージュの音楽一家に生まれ、1760年から66年までローマに住んだのち、一時期ジュネーヴに滞在。哲学者ヴォルテールからパリに渡ることを勧められ、1768年にパリに移住。当時のパリは啓蒙思想が盛んで、アンシャン・レジームの絶対王政と徐々に衝突し、結局、時代は1789年のフランス革命へと突入していく。
音楽的には、フランスの音楽モデルを築いたリュリやラモーの後を継ぐ音楽家がおらず、ルイ王朝で一世を風靡したトラジェディ・リリック(音楽悲劇)などは廃れる一方だった。イタリアで過ごしたばかりのグレトリーにはフランス音楽は精彩ないものとうつり、かつてのリュリのような様式とは全く異なった音楽を書いた。一方、かねてからオフィシャルな宮廷音楽をもじったパロディが盛んに「市」の劇場で上演され、身分の差なく多くの人々が訪れ、大人気を取っていた。これが発展してオペラ・コミック(台詞と音楽が交互に現れるジャンル。「コミック」とは演劇を意味する「コメディ」の形容詞)というジャンルが生まれ、さらに容れ物としてのオペラ・コミック劇場が誕生する。これらの作品はリズムのよさと展開の素早さが特徴で、グレトリーの新しいスタイルの作品もそのテンポの良さを引き継いでいる。そんな彼の音楽は大人気を博し、上流階級からも大衆からも喝采を受けた。彼は、1774年にはマリー=アントワネットの音楽教師となり、さらに1780年にはオペラ座で作品が上演されるという、当時最高の栄誉を得た。革命後の1795年にはフランス学士院の会員となり、栄光の頂点に達したが、フランス革命によって王室からの年金を失い、家族の死にも遭遇した。1803年にナポレオンからレジオン・ドヌールのシュヴァリエ勲章を授けられた以外は、質素な生活を送り、晩年はパリから20キロほど北にあるモンモランシーにあった哲学者ルソーの屋敷を買い取り、ここで回想録を書いた。

『カイロのキャラヴァン』

今回上演された『カイロのキャラヴァン Le Caravane du Caire』(「カイロの隊商」とも訳されている)は1783年10月30日にフォンテーヌブローの王立劇場で初演されたオペラ・バレ(コメディ・バレ、実質的にはコメディ・リリック)。台本は、ルイ16世の弟の官房秘書だったエティエンヌ・モレル・ド・シェドヴィル Etienne Morel de Chédeville。この時代のオペラに詳しい人なら、モーツァルトの『魔笛』をフランス語でリメイクした、1801年パリ初演の『イシスの神秘』の台本作家だと言えばわかりやすいだろうか。『イシス…』は、ル・コンセール・スピリテュエルが録音を出しているのでご存知の方もいるかもしれない。

『カイロのキャラヴァン』はグレトリーのオペラの中でも最も成功した作品の一つで、1829年までに500回も上演されている。1814年の「政治・文芸論争新聞 Journal des débats politiques et littéraires」で、

『キャラヴァン』の音楽は街に溢れている。我々の記憶に刻み込まれ、これでもかというほど聴いているにもかかわらず、いまだに劇場で我々を魅了するのだ。それは常に斬新で、絶え間なく群衆を呼び込んでいる。

Journal des débats politiques et littéraires, 1814

と評されるほどの人気だった。

序曲は、ざっと検索しただけでYouTubeに二つのバージョンが見つかるが、モダン楽器とペリオド楽器の演奏で、ピッチもテンポも解釈もかなり違っていて興味深いので聴き比べされることをお勧めする。
ペリオド楽器 https://www.youtube.com/watch?v=hd_ZZdTxclk

モダン楽器 https://www.youtube.com/watch?v=995zRJ14AHU

異国趣味とテンポのよい台本

あらすじは次の通り。

第1幕

カイロに向かう隊商の一員で奴隷商人のユスカは、手に入れたばかりの選りすぐりの奴隷たちを良い値段で売ろうと企んでいる。その中に美女ゼリムとその夫サン・ファールがいた。その隊商を盗賊が襲撃してくる。ユスカは、勇敢に戦って盗賊を退散させたサン・ファールに自由を与えるが、サン・ファールは自分よりも妻を自由にしてほしいと嘆願する。ユスカは願いを拒否して旅を続ける。

第1幕 奴隷たち © Marine Pétry
第1幕 戦いで負傷したサン・ファール © Marine Pétry

第2幕

首長オスマン・パシャの宮殿に到着したユスカ一行は、宦官タモランに、パシャの期待に添えるような美女を何人も連れてきたと告げる。パシャは、その数日前に嵐の中で船を救ったフランス人艦隊長フロレスタンの勇気を讃えて、近々祝宴を開くと告げる。第一妃のアルマイドは、近頃憂鬱になっていくパシャを見て、余興で彼を楽しませて再び自分に興味を向けようと、後宮の女性たちを集める。それでもパシャの気は晴れないため、タモランがユスカ一行を入場させる。奴隷の女性たちに気を引かれたパシャは、市に行けばもっと多くの中から好みの奴隷を買えるだろうと出かけていく。市ではフランス人、イタリア人、ドイツ人などの女奴隷が歌でアピールしていた。パシャはそこでゼリムを見初めて買う。これに抗議したが叶わなかったサン・ファールは、妻を取り戻すことを誓う。

第2幕 アルマイドはパシャの気を引こうと歌う © Marine Pétry
第2幕 オスマン・パシャと宦官タモラン © Marine Pétry

第3幕

パシャの祝宴に出る準備をしているフロレスタンは、友人に息子が消息を絶ったと嘆く。後宮の奴隷からサン・ファールが近くにいることを知ったアルマイドは、ゼリムをサン・ファールと再び引き合わせて、パシャから遠ざけることを企む。祝宴が始まってパシャがフロレスタンに祝辞を述べていると、遠くからゼリムが誘拐されたと叫ぶ声が聞こえてくる。ゼリムは再び捕らえられて宮殿に連れてこられるが、そこで夫サン・ファールへの愛情を宣言する。サン・ファールの名を聞いたフロレスタンは、行方不明になった息子が奴隷になったと知って驚きを隠せなかった。ゼリム、アルマイド、フロレスタンがパシャにサン・ファールへの寛大な処置を願い出ると、パシャは彼を解放し妻のゼリムのもとに戻し、祝宴は最高潮を迎える。

第3幕 フロレスタン、サン・ファール、パシャ © Marine Pétry
第3幕 寛大なパシャによって解放されたサン・ファールとゼリム © Marine Pétry

ストーリーは、当時流行していた中近東(トルコやエジプトなど)を主題にした異国趣味とオリエンタリズムの流れをくんでおり、一部、モーツァルトの『後宮からの誘拐』との類似点が見られる。セリフはないものの、シチュエーション展開はヴォードヴィル劇に通じるものがあり、テンポの良さが台本の一番の特徴となっている。また、上の写真にあるように、パネルを使って人物やシチュエーションの紹介をするのは、オペラ・コミックやオペラ・ブッファが検閲や上演条件の制限を回避するための常套手段だ。このように当時の観客を沸かせたアイデアも取り入れ、生き生きとした舞台に仕上げている。

効率のよさが光る演出

演出はマーシャル・ピンコスキ Marshall Pynkoski。オケピットの客席側を囲むように、橋のような「せり舞台」を設け、時々登場人物がそこで歌う。
幕が開くと、美しい舞台装置(デザインはアントワーヌ・フォンテーヌ Antoine Fontaine)に思わずあちこちから拍手が湧いた。奥にナイル川の光景、上方には、キャラヴァンのテントを思わせる布幕が天井のように貼られている。両側に回転する4つの装置を設けて、ダンサーや合唱団員がこれを回転させることで、舞台がカイロの街、パシャの宮殿、市などに早変わり。第2幕で舞台がパシャの宮殿に変わると、幕が一旦、一気に落ちた後、普通のカーテン幕となり、宮殿の装飾として利用される。室内・屋外のそれぞれの場に合わせた照明(エルヴェ・ガリー Hervé Gary)もいたってしっくりとマッチしている。

第2幕 パシャの宮殿 © Marine Pétry

台本もトントン拍子に話が進むが、舞台の変わり方も全く無駄なくスムーズに素早く行われる。その上、それぞれの登場人物や合唱・ダンサーによる群衆の動きが効果的で、見ていて飽きない。例えば第1幕で隊商を襲撃する敵と戦う場面では、銃や剣を持った群衆が叫び声とともにどっと押しかけ、舞台を何度か横切って戦いを表現し、即退場。その後サン・ファールが血を流した衣装で再び登場し、次の場に進む。その間たった2分ほどに凝縮された臨場感は見事という他なく、短いとはこれっぽちも感じない。それは、台本と音楽をとことん読み込んだドラマツルギー理解の表れなのだろう。効率の良さが光る演出だ。

クラシックな中に現代性を取り入れた衣装とバレエ

衣装(カミーユ・アサフ Camille Assaf)は18世紀末という時代に見合って非常にクラシック。ところどころに現代的な要素が挿入されているが、それらがクラシックスタイルにとても自然に溶け込んでいて違和感がない。
パシャは胸のはだけた黒いシャツに大きな金ネックレスと巨大なバックルのついた金のベルトという出で立ちで、現代の若い億万長者風に仕立てているが、その上に羽織っているマントは王の肖像画で見るような重厚なもので、印象はいたって「時代的」。ゼリムのドレスの下部は蛍光色イエローグリーンのチュールで、ここにも現代的なタッチが映えている。男女4人ずつのダンサーは、イスラム圏だった頃のスペインや、イマジネーションの中の千夜一夜を思わせる衣装で、金銀を施したシックな色彩が目を楽しませる。
演出では、もともと「オペラ・バレ」として作曲された意図に忠実に、バレエに重要な位置を与えている。ジャネット・ラジュネス=ジング Jeannette Lajeunesse Zingg の振り付けは、バロックバレエとクラシックバレエを程よく混ぜたものにうっすらとモダンな香りが漂う均衡のとれたもので、見ていて大変に心地よい。

第2幕 バレエ © Marine Pétry
第2幕 バレエ © Marine Pétry

満足のいく男声歌手陣

歌手陣は、総じて男声が非常に満足がいく良い演奏をしたのに対し、女声にはかなりばらつきが見られらた。
物語はゼリムとサン・ファールが中心だが、音楽的にはパシャと宦官タモランにも重きが置かれている。今回の舞台を見た限り、後者2名の方が中心人物だと思うくらいだった。それは、二人の歌唱力と役作りが優れているからでもあろう。
オスマン・パシャ役のオリヴィエ・ラケール Olivier Laquerre はカナダのバリトンで、安定したテクニックと、細身で長身の体格を利用した「いまどきの若様」的な演技が役にはまっていた。仏語の発音が非常に明快で歌のセリフが全て難なく聞き取れるのが素晴らしい。タモラン役はテノールのエンゲラン・ド・イス Enguerrand de Hys。開演前に「体調が悪いが歌います」というアナウンスがあったが、明るく軽い声は健在だった。彼はバロックから古典派時代のフランスオペラによく合う独特の声質を持っており、19世紀後半の大規模なオペラのテノールとは全く異なった音色が特筆に値する。宦官という役柄、女性的な仕草を取り入れて喝采を受けていた。サン・ファール役のブレーズ・ラントアニナ Blaise Rantoanina はマダガスカル出身の若手テノール。彼も、オペラ・ブッファなどにも合いそうな明るい声色だが、テクニック的にまだ不安定な箇所があり、それが役作りに没頭できない、言い換えるとテクニックを気にかけながら歌っているという印象を受けた。今後の成長に期待したい。ジャン=ガブリエル・サン=マルタン Jean-Gabriel Saint Martin(バリトン)は、ユスカとフロレスタンという性格の異なる2役を歌った。衣装による視覚的な印象もあるだろうが、動的なキャラクターのユスカの方が合っている印象を受けた。オリヴィエ・ラケールと相性の良い声質で、彼も安心して聴ける。

第2幕 パシャのハーレムととらわれの身のゼリム © Marine Pétry

ばらつきが目立つ女声歌手と合唱

話の中心にいるゼリム役のソプラノ、マヤ・ヴィラヌエヴァ Maya Villanueva はペルーの血を引くパリの音楽家一家の出身。透明感のある美しい声だが、高音が伸びず、また全体的に無理に力が入ったような発声が気になった。パシャの公式の妻アルマイド役は、現在パリのフィリップ・ジャルスキー・アカデミーの研修生であるクロエ・ジャコブ Chloé Jacob。ソプラノだがメゾのような深みある色を持っている。第1幕ではあまり印象がなかったが、第3幕のアリアで存分に持ち味を出した。
さて第2幕ではパシャを楽しませるために、フランス、イタリア、ドイツの奴隷が各国の音楽様式で書かれたアリアを歌う。3人ともソプラノで、フランス奴隷のリリー・エモニノ Lili Aymonino はよく通る透明な音色が魅力。序曲の後、幕が上がった時にも歌っており、フレーズの扱いは丁寧だが、少々支えに欠けると感じられる箇所が何度かあった。イタリア奴隷のアリアは、グレトリーがローマ滞在中にマスターしたであろう典型的なイタリア様式で書かれている。もちろんイタリア語。タチアナ・プロブスト Tatiana Probst はその特徴をさりげなく誇張してコミカルな要素を加えながら朗々と歌い上げた。ドイツはアルザス地方の民族衣装をまとったトゥール・オペラ合唱団のメラニー・ガルディン Mélanie Gardyn。ニケ指揮のル・コンセール・スピリテュエルやムーティ指揮の仏国立放送合唱団などでも歌っており、アルト風のコシのある豊かな声に魅力がある。合唱団員でバリトンのヤーシャン・ルー Yaxiang Luジャン=マルク・ベルトル Jean-Marc Bertre はそれぞれ小さな役で一度だけ登場し、無難にこなした。
合唱は、最近合唱指揮者に就任したばかりのデヴィッド・ジャクソン David Jackson の指導だが、まだ合唱団としての統一性が出ていないようだ。とくにソプラノは一人一人の声質がそのまま出て、合唱というよりはソリストの共演のように聞こえた。また、どちらかというと19世紀半ば以降のオペラ合唱のイメージが強いように感じた。ジャクソンがこれからどのように変えていくかが注目される。

第2幕 せり舞台で歌うイタリア人奴隷役のタチアナ・プロボスト © Marine Pétry
第1幕 合唱団 © Marine Pétry

ステファニー=マリー・ドゥガンが初めてオケピットに

トゥール・オペラのオーケストラでもあるサントル/ヴァル・ド・ロワール地方圏交響楽団 Orchestre symphonique Région Centre-Val de Loire/Tours を指揮したのはステファニー=マリー・ドゥガン Stéphanie-Marie Degand。これまでモダンとバロックの両刀ヴァイオリニストとして活躍し(彼女はこの二つを初めから同時に、同等に学んだ最初の世代に属する)、演奏活動のかたわらパリ国立高等音楽院でヴァイオリンを教えているが、数年前に独自のアンサンブル「ラ・ディアーヌ・フランセーズ La Diane Française」を創設し、指揮活動にも乗り出した。オケピットで本格的にオペラを指揮するのは今回が初めてだ。もともとヴァイオリンで見せていた鋭い様式感が至る所で生かされ、全体感を失うことなく細部にまで綿密に仕上げている。2、3箇所に歌とのずれがあったが、いずれも歌手側からきていることは明らかで、難なく取り戻していた。
オーケストラははじめのうちは遠慮気味な部分もあって、調子が出てくるのは第2幕あたりから。しかし休憩後の第3幕では観客の反応もあってか見違えるように生き生きと響くようになった。モダン楽器によるオーケストラだったが、この曲をピリオド楽器で聞いてみたいと思わせる指揮ぶりだった。
特筆しておくと、序曲(シンフォニアという方がふさわしい)で、非常に美しいオーボエソロが際立っていた。

『カイロのキャラヴァン』は、ヴォードヴィル劇にもなり得るような軽快な展開の台本に、各国の音楽スタイルを手中に納めていたグレトリーの絶頂期に書かれたオペラ・バレだ。クラシックな中に現代性を盛り込んだ、テンポの良さが映える演出と演奏は、娯楽性たっぷりで誰もが文句なしに楽しめる。カーテンコールがやまず大成功に終わったこの作品が、各地の劇場で上演されるよう期待する。

再演情報

2023年6月11日ヴェルサイユ・オペラで再演予定(エルヴェ・ニケ指揮ル・コンセール・スピリテュエル。キャストに一部変更あり。)

グレトリーの作品をよりよく知るために

グレトリーは、『カイロのキャラヴァン』の1年後に、オペラ・コミック『獅子王リシャール』を書いている。こちらは「ヴェルサイユ宮殿スペクタクル」のレーベルからル・コンセール・スピリテュエルの演奏でCD+DVDが出ている。また、ヴェルサイユ宮殿が主催する専門音楽プラットフォームでビデオ視聴することもできる。(6ヶ月のレンタルまたはプラットフォームの有料会員登録が必要)


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