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ピアニスト、ダヴィッド・カドゥッシュの新アルバム『ボヴァリー夫人の音楽』が秀逸で面白い

オリジナリティあふれる活動を精力的に続けるフランスのピアニスト、ダヴィッド・カドゥッシュ David Kadouch。2019年に『革命』と題し、王女マリー=アントワネットが逮捕されてからギロチンの露と消えるまでを時系列を追って音楽で捉えたCDをリリースしたが、今回の『ボヴァリー夫人の音楽』もそのアイデアを引き継いでいる。

フロベールの『ボヴァリー夫人』

ギュスターヴ・フロベール Gustave Flaubert の『ボヴァリー夫人 Madame Bovary』はフランス文学の中でも人々の心にとくに強く入り込んでいる人物で、ジュリアン・ソレル Julien Sorel(スタンダール『赤と黒』)や、ジャン・バルジャン Jean Valjean、コゼット Cosette、ジャヴェール警部 Javert(ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』)などとともに、まるで実在したかのような扱いを受けることもあるほど親しまれている。

ファニー・メンデルスゾーンの『一年』を軸とした選曲

CDでは、ファニー・メンデルスゾーン Fanny Mendelssohn(フェリックス・メンデルスゾーンの姉で作曲家)の『一年 Das Jahr 』(1841)から、5月、9月、6月、3月を選んで軸とした。これはいずれもボヴァリー夫人の人生で鍵となる出来事があった月。それぞれの曲の間には、彼女の体験を音楽で表現した。
ボヴァリー夫人は5月に田舎の医師シャルル・ボヴァリーと結婚。2曲目はポーリーヌ・ヴィアルド Pauline Viardot の『セレナード』。ヴィアルドはフロベールと親交が厚かった。スペイン風の曲(ヴィアルドはスペインの血を引いていた)は、ボヴァリー夫人のロマンチックな恋愛感にぴったりと感じた、と言う。
9月に夫シャルルとともに行った舞踏会にちなんで、レオ・ドリーブ Léo Delibes のバレエ『コッペリア』から「ワルツ」を入れた。また、最近女性作曲家に光を当てようと言大きな潮流もあって注目されている一人、ルイーズ・ファレンク Louise Farrenc の『ロシアの歌』もある。ファレンクはパリ音楽院で初めての作曲の教授で、この時代の音楽を語る上で重要な人物。
次の年の6月、エンマ・ボヴァリーは重度の「メランコリー」(現在でいう鬱)に襲われる。シャルルは妻の気を晴らそうと、夫婦でルーアンのオペラ座にドニゼッティの『ランメルモールのルチア』の鑑賞に出かける。エンマは強い衝撃を受け、ルチアという悲劇のヒロインに自分を重ね合わせる。このエピソードにはリストによるピアノ編曲『「ランメルモールのルチア」の回想』を演奏している。また、ドイツ音楽が好きだというエンマの好みを想起させるものとして、クララ・シューマンの『ロベルト・シューマンの主題による変奏曲』も聴くことができる。
最後の3月は、借金に首が回らなくなり、恋人にも捨てられたエンマが、ヒ素を飲んで自殺する。ファニー・メンデルスゾーンの「3月」は、劇的な音楽の中間部にコラール「キリストは復活したまえり」をすえており、短かったエンマの人生にも救いがあればという一縷の希望をうかがわせる。
エンマ・ボヴァリーも聴いていたかもしれないこれらの曲を集めた、19世紀半ばの雰囲気をよく伝える綿密なプログラムには脱帽だ。

カドゥッシュの突出した音楽センスが光る演奏

演奏はというと、カドゥッシュの突出した音楽センスが光るものばかり。カドゥッシュは今年までパリのフィリップ・ジャルスキー・アカデミーのピアノ講師として多くの若い逸材を育てたが、演奏家としても一流で、確かなテクニックと深い解釈で定評があるピアニスト。『コッペリア』や『ルチア』などの技巧的な曲を楽しむもよし、有名なショパンの『ノクターン』などの叙情性あふれる演奏で心を休めるもよし、ファニー・メンデルスゾーンの才能を最大限に引き出す名演奏をじっくり楽しむのもよし。自然なフレーズとドラマ性のある納得の曲づくりで、どの曲を聴いても全く飽きない。

ボヴァリー夫人の物語に思いを馳せると同時に、19世紀フランスのサロンで演奏されたであろう音楽を純粋に楽しめるこのCD。手元に置いて事あるごとに聴きたい秀逸な一枚だ。

Programme

Fanny Hensel-Mendelssohn (1805-1847) Das Jahr. n°5, Mai. Frühlingslied. Allegro vivace e gioioso 2'35
Pauline Viardot (1821-1910) Sérénade, extrait de 2 pièces pour piano VWV 3015 3'41
Frédéric Chopin (1810-1849) Nocturnes opus 9
Nocturne n°1 en si bémol mineur 5'17
Nocturne n°2 en mi bémol majeur 4'11
Nocturne n°3 en si majeur 5'59
Fanny Hensel-Mendelssohn Das Jahr. n°9, September. Am flusse. Andante con moto 2'43
Léo Delibes / Ernst Von Dohnanyi (1877-1960) Transcription pour piano de la Valse du ballet Coppélia 5'45
Louise Farrenc (1804-1875) Air russe varié opus 17 10'51
Fanny Hensel-Mendelssohn Das Jahr. n°6, Juni. Serenade. Largo, andante 4'43
Franz Liszt (1811-1886) Réminiscences de « Lucia di Lammermoor » S.397 5'30
Clara Wieck Schumann (1819-1896) Variations sur un thème de Robert Schumann opus 20 10'13
Fanny Hensel-Mendelssohn
Das Jahr. n°3, März. Agitato. Andante, allegro moderato ma con fuoco 5'09
Notturno en sol mineur 4'03
Mélodie opus 4 n°2. Allegretto 1'44

David Kadouch, piano

1CD Mirare (MIR 532), 72’24

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