東京ふたり時間

子どもたちが早帰りする水曜日。
外は眩暈がするほどの暑さ。
仕事はお休み。

午後からの出勤を前に「お昼どうする?」と身支度しながら聞いてきた夫に「私は家で済まそうかな〜」と一度は返事をしたはずだった。だけど、きっかりお昼時、私は新宿南口の駅上にあるラーメン屋さんにいた。

10代が終わるころ予備校帰りによく立ち寄ったそのビルは、40を目前にした夫婦で入るには少し気恥ずかしい青い空気を相変わらず纏っていた。冷たいものが食べたいねと入った店で注文した冷やし坦々麺は、綺麗なガラスの器でやってきた。濃厚スープがキリリと冷え、湯むきした甘いミニトマトや茄子の煮付け、そしてクミンのガツンとした香りを放った牛蒡の唐揚げがお行儀よく麺の上に並んでいた。美味しくてちょっとびっくりした。

外出するつもりがなくてお化粧もせず、ルームウェアのワンピースを着て使い古したトートバッグをぶら下げたヨレヨレの私が新宿まで来てしまったのは、たぶん導かれたからなんだと思う。坦々麺に、ではない。これは私とBRUSCOLIの出会いの話だ。

冷やし坦々麺を平らげて満腹になった私は、チーズを求めてデパ地下に行くことにした。蒸留酒でウォッシュされたチーズを齧りながら冷えたワインを飲む夜更けについて数日前から思いを巡らせていたから。地下鉄へと向かう夫と一緒に下階へ向かう。移動中、デパートの婦人服フロアを通りがかったところで「私ブラブラしてチーズ買って帰るから。ここでバイバイ」と夫に声をかけた。洋服を見ようとしたものの、新しい服はいらないな…と思い直し、少し先を行ってしまっていた夫に駆け足で追いついた。地下に続くエスカレーターを探していると、フロアの途中から服ではなく鞄売り場に切り替わっていた。

そこで目に飛び込んできたのは、よくある天井の低い老舗デパートの鞄売り場には、なんだかしっくりこない金装飾の刻印で装丁された革張りの洋書・・・ではなく、書物の背表紙が連なって形どられた鞄だった。1800年代からフィレンツェで続く装丁工房で作られたものだという。Finta Libreria=フェイクの本棚という名前のシリーズのそのクラッチは私の心を捉えて離さなくなった。眺めていると来日中の職人さんがバッグが生まれるまでのストーリーを紹介してくれた。鞄のデザイン自体も素敵だったけど、その物語がひたすらに魅力的だった。

22カラットの金装飾が施されたバッグは手に取るのも憚られるお値段だったけど、少しお手頃のものもありますよとイミテーションゴールドで装飾したものも見せてくれた。ゴールドのチェーンやゾウさんの刻印がなんとも可愛く、思わずため息。1人の時に見かけたら及び腰になって諦めちゃってたと思う。でも「気に入ったなら買えば〜」と呑気なんだか頼もしいんだか背中を押してくれる人が隣にいたので、その場で私の名前のイニシャルを刻印してもらった。

この出会いのときめきは、どんなに映える写真が撮れても伝わらない。だから忘れないうちにここに書き留めておく。いつか、フィレンツェの工房に行ってみたい。

当初の目的のエポワスを求めてチーズ屋さんに寄った時、イルパルコサンジョバンニのブラータも買ってしまった。だって浮かれたイタリア気分からなかなか抜け出せなかったから。