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忘れられない先生とのつづき


今日は、今晩は、ハタマタおはようございます。セオです。皆さまいつもnoteもお読みいただきありがとうございます3ヶ月ぶりのnoteです、いつも言っているような気もするのですが、たまに、極稀に、すごく偶発的に活字を欲することがあります。読むのもそうだし書くのもそう。今日はどちらかと言うと書きたい気分なので書いてみようと思います。


タイトルにもある通り、皆さんには忘れられない人っていますか?
きっと自分にとって大切な人であることには間違いなくて、私の人生を今まで彩ってくれた人の話を今日はしてみたいと思います。忘れられない人は誰ですか?と聞かれてきっとこの人の話をするだろうと思う人が何人かいるのですがそのうちの1人の話をしようと思います。

この人はわたしに「サックスの吹き方を教えてくれた人」です。小学3年生から高校3年生まで吹奏楽をやってきました。習い事として、そして部活として。今ではもうなくなってしまったのですが地元の小学生を集めたいわゆるスポ少の吹奏楽verみたいなものがあって、それに参加したことがこの吹奏楽人生のスタートでした。そこで私にサックスを教え続けてくれた人、その人こそが吉井先生です。吉井先生は私のひとつ下の学年に娘さんがいて、それもあってか私の母ともとても親しくしてくれて、先生と教え子の垣根を超えてとても親交の深い方でした。大学進学を機に吹奏楽を離れ、先生とも段々と疎遠になりましたが、先生が所属している吹奏楽団のコンサートスタッフの手伝いに行ったことがありました。久しぶりの再会がとてもうれしく、たのしかったことを覚えています。また顔を出そう、そう思っていました。


ここでどうして実名を出してしまうのか?と気になる方がいるかも知れませんが、先生は数年前に亡くなっていると人伝えで聞いたのです。だからと言って出していい理由にはもちろんならないのですが‥地元の吹奏楽団が人口減少により継続ができなくなり、最後に有志で集まったメンバーでラストコンサートをしようという企画がありました。私は仲の良いトランペットの先輩と参加することにしました。そのときに先生と会えると思っていたのです。先生と交流があったであろう他の先生に「吉井先生はいないんですか?」と聞いてみたら、「癌で亡くなったらしいよ」とその人は言いました。あまりにも予想していなかった返事に戸惑い、私は今でもそれがにわかに信じがたいのです。信じたくない部分ももちろんありますし、人から聞いた話であるため現実だと受け止めきれない部分もあります。もし生きていてくれればこのnoteが目に入ることがあるかもしれない、だからこそそんな奇跡みたいなことを信じたかったりするのです。


きっと先生に出会っていなければ、わたしはとっくに吹奏楽をやめていたと思います。中学でバスケ部に入ったかもしれないし、高校で帰宅部だったかもしれない。それでも吹奏楽の道を選んだのは、音楽が好きで、サックスが好きで、先生に会えるあのコンサート会場が好きだったからです。私にだけ当たるスポットライトも、誰にも邪魔されないソロパートも、音楽を聞くことだけではなく演奏する楽しさを、たくさん教えてくれた人でした。


先生ともう一度ステージに立ちたいと、今でもその夢を見ています。


私は音楽を好きになった理由の一つに人との出会いがありました。音楽は音と音はもちろんのこと、人と人ともつなぐんですよね。みんなで息を吸い込んで一斉に吐き出すあの瞬間が好きだった。メロディーじゃなくてもそれを支える副旋律を誰よりもかっこよく吹けると思っていた。コンクール前にみんなで楽器を持ち帰って練習するために集まったあの公園も、誰もいない学校で誰よりも早く始める朝練も、全部、全部忘れることはありません。


少ししんみりしてしまいましたが、そんな思い出もいつかは笑い話にしたいので、どこかのタイミングで一旦置いてこようと思ってますよ。あれ、もしかしてそれが今なのかな。先生、私は一旦置いて先を進むので、私がそちら側にいくときにはまたセッションしてください。思い出のマツケンサンバでも吹きますか?


また月曜日に会いましょう。いつもの場所で。本日もお読みいただきありがとうございました。


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