見えてるつもりで見えていないこと
きのうの投稿は思いのほか初めましての方にも読んでいただいたようで、ありがとうございます。
きのうの続きというわけではないけど、書いておきたいと思っていたことがありました。
もうすっかり盛夏といった季節になってときどき見かけるのは、炎天下で杖をついてゆっくり歩く高齢者。
心配なんです・・。
こんな日差しの中あんなにゆっくり歩いていて、だいじょうぶかしら、この時間に出かけないといけなかったのかな、病院の予約?などと、追い越しながらつい思ったりして。
余計に悪いのはマスクで、そういう人に限ってきっちり鼻まで覆っていて。
まわり誰もいないからはずしてえええ!と、
よほど声をかけてしまおうかと思ったこともあるくらい。
厚労省もテレビで「はずして」って言ってるわけだし・・・
と言いたいところなんですが
はっ!
と思い出したことがありました。
最近なにかで見聞きしたのです、
「自分は呼吸器に持病を持っていてマスクをはずせないのだけど、みんながはずした時に自分だけしていたら、なんて思われるか不安」
という話。
これを聞いたとき、わかってるつもりでわかってないなあ自分・・・
と思ったのでした。
炎天下の高齢者がみんなそうだというわけではないけれど、
自分が正しい、
自分はわかっている、
と思っている時ほど気を付けないといけないなと。
地下鉄構内にあるちょこっとだけのエスカレーターってありますよね。
もっとずっと若いころ、なんでこんなのつけるんだろう、階段上がればいいのに勿体ない、と思ったのです。
つくづく、若いってのは・・・と思うのだけど、
いやいや、若いからじゃなくて、経験が足りなくてモノが見えてないのだけど、親が高齢になったときはじめて、ちょっとの高さでもエスカレーターがあることがどれだけ有難いかわかったのでした。
もちろんベビーカーなんかもそうですよね。
東北の震災のあと、地下鉄構内の電気をあまり暗くしないでいたら、電気がもったいないと苦情がきたという記事を読みました。
でも、弱視の人は暗いと見えないし表示が読めないんですね。
エスカレーターに乗るとき片側に立つってやつも、首都圏は左に立つのが普通なんだけど、身体の左側が動かせない人がいて、乗る時につかまれないので、右側でつかまって乗ってから、左に寄ってつかまらないで乗っている、という話を聞いて胸が痛くなりました。
右でつかまっていると邪魔にされるんですね。
ちなみにエスカレーターの片側を空けるというのを初めて見たのは、80年代のロンドンでした。
確か木製のエスカレーターだったのだけど、片側をどんどん上がっていく人がいて、なるほど~と思ったものです。
一般の日本人が海外に出ていくようになって真似したのかと思ったけど、どうなんでしょう。
それはいいとして。
こういうことっていっぱいある。
それを全て把握したり想像したりすることは無理なのだけど、自分が見えてないことがあるのかもしれない、と思っておくことは大事だなとつくづく思うのでした。
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記事をいろいろ書き散らしてきたので、すこしマガジンも整理しようと思います。
固定記事も旅のことだし(笑)、変えようと思うのだけど、noteを始めたときの「旅のはなしをまとめたい」という感覚は、自分自身でも忘れたくないので、やはりマガジンをもうちょっとちゃんとするか、と思います。
書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。