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日々の気づき、みえないもののこと

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日々のなかで気づいたこと、感じたこと、スピリチュアルなこと。
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#本

The Having~「ない」から「ある」へ

「あと2憶しかない!」 裕福な高齢者が入る施設に入居している人が言ったという言葉。 以前職場の人から聞いた話ですが、いまだに印象に残っています。 寿命を考えて、あと残り何年で2憶円使うつもりだったのだろう。 私なら、2憶もあったらどうしよう~!! ひゃっほ~~~!!! となるんだけどな。 人って結局、いくら持っているかは関係ない。 「ある」ほうに目を向けるか、 「無い」ほうに目を向けるか、なんですね。 友人から教えてもらって先日読んだのは、 『The Having 富と

肉体は想念にすぎない、らしい

しばらく前から、シャーリー・マクレーンのことを時々思い出していました。 彼女はアメリカの俳優ですが、80年代から90年代にかけて自身の神秘体験を綴った本を何冊か出していて、「アウト・オン・ア・リム」は特に、日本でも霊的な世界を紹介する本として有名になっていました。 私が目に見えない世界について本格的に知り始めたのは、「アウト・オン・ア・リム」の少しあとで、本の名前はよく知っていましたが、読もうという気にはなりませんでした。 しばらくして、4冊目の本「ゴーイング・ウィズイン

左脳と言葉、右脳と余白

私はずっと、自分は右脳人間だと思ってきました。 右脳人間というのは、右脳が優位な人、感覚人間。 いろんなことをビジュアルや感覚、感性で捉えるといったらいいのか。 逆に理論だてて説明するのが苦手。 数学の証明なんかも大の苦手だったし 理詰めでこられると思考が停止します。 でも「なんかこの人、変」とか「言ってることおかしい」というのは、感覚でわかったりする。理屈で言ってることを、「その理屈、ポイントずれてるぞ、、」と説明できるのは、時間がたってからだったりして(ちょっと悔しい)

『偶然の一致』と「聖なる予言」

シンクロニシティという言葉を聞いたことがあるでしょうか。 共時性といわれたり、『偶然の一致』といわれたりもします。 物事には何か意味があって起こる。偶然のように見えるけれども、なにか必然なことが起こっている。そんなことを感じ始めたのは90年代の中頃でした。 当時発売され話題になったのが、ジェームズ・レッドフィールドの小説「聖なる予言」です。 日本での初版は1994年。 書店では平積みにされて、気になって手に取ってはまた戻したりしていました。 そんなおり、イタリア好きの仲間

自己の内を見よ、内にこそ善への泉がある・・・マルクス・アウレリウス

2月21日に放送されたドラマ「ミステリという勿れ」のラストに引用されていた、マルクス・アウレリウスによる『自省録』の中の言葉。 なんだかグっとくるものがありました。 個人的には、本当に必要な機会ならば、形を変えて戻ってくることはあると思っていますが。 この「君」というのは誰かに向かっていっているのではなく、自己に対する呼びかけなのだそうです。 マルクス・アウレリウス(121-180)は古代ローマ帝国の哲人皇帝といわれる人物で、ヤマザキマリの「テルマエロマエ」の中では、ハドリ