名企業に名番頭あり
こんにちは!
足立佑介です。
HONDAの藤澤武夫氏、SONYの盛田昭夫氏
名企業に名番頭あり。
優れた開発力とカリスマ性を持った本田宗一郎氏。
良い製品を生み出す才能はあったものの、それをうまく売り、利益を上げる才覚に伸びしろがあったようだ。そんな宗一郎を支えたのが、藤澤武夫氏だったという。
太平洋戦争後、藤澤武夫氏は復興には木材ニーズが高まると予測して、山林を購入し製材業を営み、目覚ましい成果を創り出したそうだ。
その目覚ましい成果を引っ提げて、1949年(昭和24年)10月に、藤澤氏はHONDAに常務取締役として参画される。
常務取締役として参画された当初行ったことはまずは以下だった。
当時は昭和24年なので、AIDMA理論でいうA(認知)をいかにアナログに獲得するかが勝負の分け目だったのだろう。マルーン色の車体カラーこそが、世間の目を引き、認知獲得に効果的だったと想定できる。
また当時は高度経済成長期真っ盛りで、オートバイク販売店が自転車販売店よりも少ないと判断し、販売チャネルを切り替えたのも名案である。
名番頭、藤澤武夫氏の経営力と優れた開発力&カリスマ性の本田宗一郎氏。
この二人の二人三脚、バディシップが成立していたからこそ、世界のHONDAが誕生した。
そして、戦後の小さな町工場を「世界のSONY」に育て上げた、天才技術屋の井深大氏と、名番頭盛田昭夫氏。
盛田昭夫氏が行ったことは以下だ。
世界のHONDAと同じく、世界のSONYもやはり名番頭の存在が、
目覚ましい成果を創り出してきたのだ。
歴史から学び、先人から学んで経営を執り行うことはとても重要で、
私も自分の会社経営には、常に名番頭がいるかどうかを大事にしている。
幸い、2社共に名番頭が存在している。
この名番頭を探し、見つけ、任せられるか否か。
自営業気質の経営者や、自分で何もかも管理したい経営者は、
番頭の存在に気づいても、明け渡さないことが多い。
しかしそれでは、レバレッジが効かないのだ。
名企業に名番頭あり。
改めて、人選力を養い続ける必要性を感じる今日この頃だ。
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