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名企業に名番頭あり

こんにちは!
足立佑介です。

HONDAの藤澤武夫氏、SONYの盛田昭夫氏

名企業に名番頭あり。

優れた開発力とカリスマ性を持った本田宗一郎氏。

良い製品を生み出す才能はあったものの、それをうまく売り、利益を上げる才覚に伸びしろがあったようだ。そんな宗一郎を支えたのが、藤澤武夫氏だったという。

太平洋戦争後、藤澤武夫氏は復興には木材ニーズが高まると予測して、山林を購入し製材業を営み、目覚ましい成果を創り出したそうだ。

その目覚ましい成果を引っ提げて、1949年(昭和24年)10月に、藤澤氏はHONDAに常務取締役として参画される。

常務取締役として参画された当初行ったことはまずは以下だった。

・100万円の増資で資本金を倍に
・朝鮮戦争による特需
・マルーン色の車体カラーで認知獲得
・店舗数が格段に多い自転車販売店を販売チャネルにする
・5万を超える店舗にDMを送り、販路の拡大

当時は昭和24年なので、AIDMA理論でいうA(認知)をいかにアナログに獲得するかが勝負の分け目だったのだろう。マルーン色の車体カラーこそが、世間の目を引き、認知獲得に効果的だったと想定できる。

また当時は高度経済成長期真っ盛りで、オートバイク販売店が自転車販売店よりも少ないと判断し、販売チャネルを切り替えたのも名案である。

名番頭、藤澤武夫氏の経営力と優れた開発力&カリスマ性の本田宗一郎氏。
この二人の二人三脚、バディシップが成立していたからこそ、世界のHONDAが誕生した。

そして、戦後の小さな町工場を「世界のSONY」に育て上げた、天才技術屋の井深大氏と、名番頭盛田昭夫氏。

盛田昭夫氏が行ったことは以下だ。

・盛田昭夫氏自身がセールスマンとなり、小型化したテープレコーダーで
 1億2千万円を売上
・盛田昭夫氏自身がアメリカに移住して販路を開拓
・盛田昭夫氏が社内の反対を押し切って開発・生産・販売し、
 世界的大ヒットとなったウォークマンを世の中に送り出す

世界のHONDAと同じく、世界のSONYもやはり名番頭の存在が、
目覚ましい成果を創り出してきたのだ。

歴史から学び、先人から学んで経営を執り行うことはとても重要で、
私も自分の会社経営には、常に名番頭がいるかどうかを大事にしている。

幸い、2社共に名番頭が存在している。
この名番頭を探し、見つけ、任せられるか否か。

自営業気質の経営者や、自分で何もかも管理したい経営者は、
番頭の存在に気づいても、明け渡さないことが多い。

しかしそれでは、レバレッジが効かないのだ。

名企業に名番頭あり。
改めて、人選力を養い続ける必要性を感じる今日この頃だ。

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