象山とミサイル
佐久間象山について。
『中公バックス 日本の名著30』松浦玲著。中央公論社。1984年初版。1995年再版。より
佐久間象山は幕末を生きたサムライ。信州松代藩の君主である真田家に仕えた。
象山の生れた武家は代々女児ばかり生まれたらしく、婿入りに婿入りを重ねている。そんな中ただ一人と言っていい男児、しかも長男として生まれた。
てなわけで、家からはものすごく寵愛を受けた。君主真田貫教も象山を起用しすごくかわいがった。だいぶ恵まれた若年をすごす。
そのせいなのか、人生の最期の最期まで自信家だった。最近の自己肯定感ブーム形なしであるくらいの自信家である。その時代の他のサムライには「傲岸」とまで評された。サムライというのはだいたいにして自信家なのだから、そんなサムライたちに傲岸とまで言われているほどだ。
40代ころ、弟子の吉田松陰とともに違反出国を企てたカドで牢屋に入れられる。象山本人は「国防に関して勉強をかさね、先輩たちを超えてしまったので牢に入れられ」たと考えていた。ナルシシズムもここまでくると逆にすがすがしい。
でも実際、その当時の幕府連中の国防に関する知識は象山のはるか下にいた。
(ちなみに、このとき弟子の吉田松陰は薄い壁を隔ててとなりの牢屋にいれられている。松陰は夜ごと象山が『孟子』の一節を誦読するのを聞き、師の偉大さを再確認した)
象山は「君主は力を貴ぶべきである」と述べる武断派で、兵法を最重要視している。象山はその当時にあって、なによりも海軍を設置することを急務と考えていた。この考えは義父である勝海舟にも通ずる。
幕府はすでに大砲を作っていた。外国のやってくる浦湊に設置していた。しかし、弾の飛距離が短く、相手に届かない。なによりも砲台が丸見えだから、ここを打ってくださいといわんばかりに手薄な防御だった。
象山は武力を大事にしていたが、最も大事にしていたのは「防御」だった。当時の砲台をみて象山は防御が手薄過ぎて「涙を流した」と書いてある。
なにより届かないのですから意味がない。外国船の砲撃の射程のほうがはるかに長く、こちらの砲台は敵方に届かない。
さて、日本の国防を考えるにおいて、幕末とほとんど同じともいえる兵法上の矛盾がある。この矛盾を、武力を放逐してしまった日本社会は考えることができずに今日にまで至っている。
つまり、北朝鮮や中国のミサイルはめちゃくちゃ届く。がしかし、日本は反撃能力がない。ということです。
北朝鮮のミサイルは精度実験と威嚇をかねて飛ばしている。本当に当たったら困るのは北朝鮮も同じ。とにもかくにも兵器はコントロールできないのが一番困る。中国のミサイルは狙いに対してほぼ確実にあたるでしょう。中国は海に対してミサイル実験をしていないものの、その広大な国土を使って軍事的実験を重ねてきた。能ある鷹は爪を隠す。
封建主義
象山は、熱心な保守主義者だったから、幕閣改革には反対していた。幕末、雄藩の開明君主をも交えて幕閣を立て直すべきだという問題が立ちはだかっていた。
幕府というのは、譜代大名など徳川家にとって忠誠が担保されている家柄しか中枢政治に携わることができない。実にオカシイ。200年以上も前の戦争で徳川家によく仕えた家柄しか中枢政治に携われない。
このオカシイ構造が幕末に露呈する。日本の危機が国の端からやってきてしまったためだ。日本の端には外様大名が配置されている。
九州や奥州は外様大名が多いから、いくら先見の明がある開明なサムライたちがいようとも、幕府はこれを重用することができない。ところがロシアは北から見え、イギリスやアメリカは南から日本に侵入してきたのだった。
ところがこのアタオカな時代にあってギリギリ日本の存続が保たれたのは、封建制だからであったとも言える。諸藩は”一所懸命”土地を自分たちの武力によって守ることが義務であり、その武力は各自が担保していた。
現代、民主的制度によって封建政治の守旧的弊害は打破されたかに見える。しかし、自分の土地を守ろうという積極的な意思さえ失ってきた。迎撃システムが配備されるのさえ住民は嫌がる始末です。
今が幕末で、あなたが開明君主なら、自分の藩内に自費かつ独学でミサイルを建造しているかもしれない。しかしながら今日、日本には開明君主などいません。
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