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トンボの方言考 縄文語の消滅を考える

『縄文語の発見』小泉保著。2021年初版5月第三刷。青土社。をこの度読みました。

もとは1998年に出版された。小泉保先生は2009年に亡くなった。

 日本語は弥生時代に形成されたというのが通説となっている。たかが数百年の間に弥生語が縄文語を駆逐したという考えはおかしい。現代東北語や出雲弁、琉球語に縄文語は受け継がれていると考えるのが妥当ではないか。

ざっと読んだ感じはそんな感じ。

小泉先生は弥生語が縄文語に交替することの難しさを指摘している。弥生語と指摘されていたものは、縄文語の変種だとしている。近畿の政治中枢の言語が日本全体に優位にたち、ほかの方言に影響を与えたと考えている。


縄文基盤か弥生基盤か

小泉先生は弥生期に日本語の基盤ができあがったという従来の説に真っ向反対し、縄文語が基盤であると主張している。しかしながら私は、日本語が弥生期以降に存在しているように思う。

小泉先生の、従来説に対する真っ向勝負な指摘に対し、さらに真向いを張る形ですが、弥生期以降の言葉が日本語の基盤であって、縄文語というものは現代日本語にその存在の影を落としていないように思う。

トマ・ペラール氏によると日琉諸語はイネに関する語が共通している。イネは共通的であって、あくまでそのあとに分かれている。

Youtubeで宮古島方言について調べてみた。聞き取るのは至難であり、外国語のようにも思える。しかしながら文法は共通し、字幕ありなら日本語の語彙に共通するものがあるとわかる。あくまで日本語の亜種という感じを受けました。

小泉先生は琉球・先島諸島の島々に弥生語が入り込み、縄文語を駆逐するということはありえないのではないかと指摘をしているが、おそらく「そうである」。驚くべきことではあるのかもしれないですが、弥生語はある時期以降日本列島のほとんど隅々に拡散して、数百年の間に縄文語に交替してしまった。そう認めてもいいのではないでしょうか。

現代日本人は1~2割程度でしか縄文遺伝子を受け継いでない。四国や近畿や北陸方面の大部分ではほとんど縄文系の遺伝子は受け継がれていない。日本人は中国人や朝鮮人の亜種だ。そんなに特別な存在ではありません。

縄文系の影響は、青森・岩手<鹿児島<琉球諸島の順でその影響の濃い地域にあたる。しかしながら、琉球諸島における縄文系割合である約3割が、最大の影響濃度であることを考えても、日本のほとんど全域で弥生人に取り替わったと言ってもいい。

翻ってアイヌ人男性の約7割が縄文系の遺伝子。残る3割のなかに弥生期以降の父系、北方の父系が含まれる。

また、父系言語仮説は、現代日本人に案外縄文人の遺伝子割合が少ないという事実と、弥生期に日本語の基盤ができただろうという仮説とのあいだの関係を強固にするものと思われます。

言語の消滅

小泉先生は、縄文時代から弥生時代にとりかわり数百年で言語は交替しないだろうと考えている。しかし私は、1000年もあると言語は潰えてしまうと思う。

弥生期がいつから始まるのかについては議論の余地がある。従来通り紀元前3世紀頃としても、奈良時代にはすでに1000年たっていることになる。この1000年という値は気が遠くなるようでそうでもない。

ネイティブアメリカンらの祖先グループはベーリング回りで北米大陸に侵入したのち、1000年を使い南米の端にまで達したらしい。1000年もあれば列島諸島は瞬く間に弥生化できた。まして列島はアメリカ大陸ほど大きくもないし。

現代韓国語は新羅の言葉を受け継いでいるという説がある。高句麗語、百済語の影響はほとんどないと思われる。百済は660年に滅亡した。百済語は潰えてしまったうえに、後代の韓国語に雀の涙のような影響のほかは何も与えていない。

日本の本州で話されていた夷語はその実体をつかめないまま誰も知らない闇の中に葬られている。征夷ありきの皇化政策の産物です。

トンボの方言考

小泉先生は一例にトンボの方言から縄文語にせまろうとしている。

「かお」と似た分布を示すものに「とんぼ」がある。「とんぼ」の方言系は多種多様であるが、これらをまとめていくと、やはり方言周圏論にすっぽりはまるだけでなく、縄文語の実態にせまる有力な手掛かりを与えてくれる

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東北方言はアゲズ。沖縄ではアケージューなどとよばれている。小泉先生はこれらの語が原日本語から直接継承している言葉だと考えている。

私はそうではないとおもう。

アケズ、アキヅ、アケージューが日本の端に(縄文系遺伝子の強い地域に)残っているからといって、それが縄文語由来かと言われると難しいでしょう。日本の端ばしには縄文系遺伝子の影響が濃いといったって、弥生期以降の遺伝子の割合のほうが圧倒している。

トンボは飛ぶ坊、飛ぶ棒に由来するでしょう。

ヤンマは重羽(えんば)から由来する可能性が高いと思う。

アキヅ、アゲズは、アカトンボをさして「赤ぇやつ」。又は 「秋のやつ」。というような意味しかないように思う。未知な単語とは思われない。

また、津軽と秋田と岩手ではダンブリ、ダンボというような語彙があるが、これもまた「枝背負り」(ぃえんだおんぼり)から来ているように思う。トンボは背中に小枝をしょっているように見える。

小泉先生は本書では、ダンブリの件は指摘していないし、アキヅの秋や赤に迫っていない。もっと深く迫っていく小泉先生を見てみたかった。

こうなってくると、各トンボ方言語彙は「飛ぶ」、「赤い」とか、「秋」とか、「枝」とか「おぶる」とかの他の語によって合成されたものであるように見えてくる。

となってくると、それらの語彙がはるか昔縄文時代から受け継がれているのかどうかという話になってくるように思われる。

アイヌ語が縄文語でないならば

私は、アイヌ人は縄文人の子孫であると考えている。とはいえ、その文化(言葉)までが縄文語を明らかに残しているかというとそうではないと思う。

ユハ・ヤンフネン師のようにはっきりと「アイヌは南方的形質に北方的文化をもつ」と指摘する者もいる。アイヌ語の基礎語彙と日本語の基礎語彙は似ていない。SOV型は同じですが、その他の文法に諸所ちがいの大きいところがある。アイヌは北方民族との長い交易のために、文化・言語が北方に寄った。日本語とは強い関連が無いと思われる。

アイヌ語が縄文語の後継でないならば、やはり日琉語は縄文語の後継ではない。縄文人の影響が強いアイヌ語が縄文語の後継と認められないのであれば、縄文人の影響薄い日琉語にましてそれを求めるのは不可能である。アイヌ語が縄文語の後継であるとするならば、今度はアイヌ語と日琉語との隔たりをどう説明するかに困る。となるとやっぱり日琉語は縄文語の後継語ではない。

まとめ 縄文という交換様式

ここあたりの言語の流れについて、すごくよくまとまっている動画があります。

大墓公アテルイがアトリ=鳥に由来するという部分はちょっとわからない。じゃあ和賀君ケアルイは何だっていうんでしょう。ルイは多分「~な男」とか「~する者」とか、そんな類の名前の接尾でしょう。

言語の問題から若干離れますが

最近、『アイヌ語でみる縄文地名』という本を読んだ。全然面白くない。バチェラーの二の轍を踏んでいる。『東北ルネサンス』という本もひどかった(感想)。現代一部言論において縄文世界は、交換様式化している。

茂木誠先生と言う方がいて、歴史の先生です。保守主義を自称している。面白い動画をYoutubeに出してくれるのですが「縄文に還れ」的なことをたまに言う。しかし、縄文時代はあくまで最近出現した時代だといえる。

私は日本の時代を約4つの時代に丸めて考える。

1,縄文時代まで 1万数千年間
2,弥生以降から平安までの穀物神権 約1600年間
3,平安末期から封建崩壊までの武人政権 約600年間
4,現代 約150年間~

第1時代と第2時代の断裂は大きいと言える。第1時代と第2時代半ば以降とでは構成員の割合が大きく変化しているから。

第2時代から第3時代へのバトンタッチはゆるやかだったといえる。第3時代の権力者は第2時代の権力者を破壊しなかった。

第3時代から第4時代へは人は取り替わっていないものの、断裂は大きい。第3時代の権力構造を打ちのめしたから。

第4時代は第3時代を否定し、第2時代に西洋の服を無理に着させた結果、何となく着こなせたところもありつつ、ところどころボタンがはじけつつ、お尻がやぶけつつ、戦争に勝ったり負けたり、とかく不格好だ。

この第4時代において、第1時代の(YNハラリのいう)発見がなされた。「縄文時代」という発見がなされた。

だからこの第4時代を超克するという観点で批判する際には、ざっと二通りくらいしかない。第3時代(封建社会)に学べと述べるか、第1時代(縄文時代)に学べと述べるかしかない。

左派思想の一部は、第1時代が高次元に交換された社会の到来を夢見ているように思える。共同幻想論とかはそれっぽい気がしています。

保守主義者は封建時代に学べと述べたりもするが、保守主義で「縄文時代に~」は近年の流行りなのでしょうか?珍しい気がしている。


Image by kanenori from pixabay


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