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東北ルネサンスを読んで

このたび『東北ルネサンス 日本を開くための七つの対話』
赤坂憲雄編。2007年初版。小学館。を読みました。

赤坂先生は民俗学者。東北学の提唱者。

この本では、一章ずつ、赤坂先生と論者が対談したものを記録している。東北こそ現代文明の過ちをただすための最後の砦である。と前書きに書かれている。大きく出すぎだと思う(笑)。以下は一章ずつの感想。


一章 東北の可能性 with五木寛之 


これですら全七章の対談中面白いほうに入る。東北の話よりも、金沢の一向宗の話のほうが興味深い。

五木氏は、「山川草木悉皆仏性」が東北のアミニズムにはあると語る。これに赤坂先生も同意し、北のユーラシアに開いていく垂直的宇宙が、、、という話をして締める。

全然そうは思わない。「山川草木(略)」は仏教的な考えだ。東北独自の考え方なんでしょうか。そうは思えません。

二章 縄文の記憶を求めて with中沢新一


これでも7章のなかで最も面白い。 ただし序盤は与太話。『なめとこ山の熊』も与太話。

小題「国家を作らない思想」が少々見どころがありました。

中沢氏は指摘する。縄文社会にはおそらく階層もあった。強い王が存在してもよさそうなのにもかかわらず、できなかった。つくらなかったのかもしれない

他の地域では存在しているにもかかわらず存在しなかったところに、着目する形で推測する。こういうのは面白い。本書では後の部分は全て「東北には○○がある、誰々がいる」そういう有存在な話をしている。

中沢氏はここにネイティブアメリカンとの類似を見ようとする。ネイティブアメリカンは縄文人とは遺伝子的に違うし、接触もほとんどないと思われるが、ここで「無かったもの」から類似比較していこうという点、着眼点がとても良いと思いました。

しかし、「国家は大地を傷つけるものだから作らないという思想が縄文人にあった」というオチは短絡な気がする。

三章 精神史の古層へ with 谷川健一

理訓許段神社(りくこたじんじゃ)の話だけ面白い。

三陸の大船渡市赤崎町にある赤崎神社。ここはもともと理訓許段神社(りくこたじんじゃ)とよばれていた。

「リクンコタン」の当て字っぽい。アイヌ語でしょう。赤崎のアカもアイヌ語っぽいが。aka(山稜の)に由来するかはわからない。

初めて知った。この神社に伝わるお宝はおそらく1000年近く前のイナウと見られる。この御幣がイナウなのかそうでないのかをアイヌの方々をともだって赤坂先生は鑑定している。


四章 蝦夷とは誰か with 高橋克彦

全然面白くない。高橋氏はアテルイを題材にした小説を出した小説家。

赤坂先生が「正史では2,3行しか触れられてないアテルイを小説までもってく高橋さんの想像力はすごい」旨のナチュラル煽りをしてから、空気がピリついている点だけ面白い。

五章 はじまりの東北 with 高橋富雄

大長寿院二階堂の話が面白い。高橋先生の指摘。大長寿院二階堂は奥州平泉にあった寺院。これを模して鎌倉に寺が作られた。奥州の文化は平氏より100年、源氏より50年進んでいた。

この指摘は面白かった、初めて知りました。普通、日本列島の長さを見てしまうと、京都→関東→東北のような文化伝播があったと思いがちになる。

奥州平泉はあきらかに京都に影響を受けているとしても、鎌倉が平泉の影響を受けている点はほとんどの人が盲点なのではないでしょうか。

ふと思い出したのですが、稲作の伝播も、列島の縦深に従っていない。稲作は西日本から広まった後、新潟あたりで伝播が一旦やみ、しばらくののち津軽地方から東北一円へ広まる。最後まで稲作転換に抵抗した地域は今の長野あたり。

東北を語る際に、日本の中で「後進的地域である」という点が語られる。ところが、歴史の詳細はそうではない

奥州藤原三代とミイラの関係、法華経との関係も面白かった。が、なぜか話は縄文の思想の話にいきつく。このオチはいらない。

縄文の思想なんて無い。と私は思う。いや、訂正。百歩譲ってあったかもしれないけれども、一足飛びに推測不可能だと思っている。

あったかもしれないと思えばこそ一足飛びしてはいけないでしょう。

奥州平泉の法華経文化まで遡れたのなら、その手前に遡ってみてほしかった。俘囚の長(恭順した蝦夷の頭領という設定の肩書)である奥州藤原氏は、なぜ他の仏教宗派でなく法華経を受容したのか。この点へブロックを積み上げてみてほしかった。その地点は、蝦夷の思想と言えそうな地点ではないでしょうか。

六章 ふたたび吉里吉里へ with 井上ひさし

全然面白くない。井上ひさし氏のほうが面白い。赤坂先生は東北学はマジメなものだと言いたそうであるが、井上ひさし氏はただのお国自慢系統の学問だと思って相手してやってる感がある。そのうえで重箱の隅をつつくレベルの東北学解体っぽいことをしてくる。「最上舟歌なんて近代に作ったんだよ~ん」そんな感じ。この点だけ面白い。井上氏のオチはフルーツとこんにゃくと性欲の話で終わる(笑)。縄文云々みたいなオチにならないから案外よかったかもしれない。

七章 生と死の風景から with 山折哲雄

全然面白くない。演歌の話がひどくつまらない。

締めは山折氏が、開祖もなく争いもない「万物生命教の可能性」が云々。この締めは一章でみたやつである。「山川草木~」的なやつ。

全体的な感想

縄文の遺伝子とも言える遺伝子は、アイヌ、沖縄、東北の順に濃い。しかし、現代日本人は全体的に見ると10%しか縄文の遺伝子を受け継いでいない。東北を簡単に縄文に遡るわけにはいかないように思います。

東北を考えるうえで「蝦夷」の問題は非常に大きいように思う。東北の方々の祖先はまつろわぬ民だった。要するに日本人ではなかった。この点は重要でしょう。

そして、東北の思想。それを考えることが難しいのは、蝦夷が文字を持たなかったことは大きい。だからといって、思想への推測の歯が立たないというわけではない。他の地域ではなりたって、東北や蝦夷社会には「なかったもの」、こういったことに注目してみたいところです。また、新たな考古学的発見にも期待が高まります。


IMAGE BY Kanenori FROM Pixabay



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