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主体的に学習に取り組む態度の評価は工夫の数で見取る?

 外国語の評価方法の一つに、ルーブリックを用いた評価を取り入れる方が多いと思います。初めはルーブリックをテスト時に活用することで、評価者同士でのばらつきがなくなるなどの効果を狙っていたと思います。しかし、最近では学びに向かう力・人間性の資質・能力を伸ばすことを目的として、さらに注目が集まっているように思います。今日はルーブリックの評価基準のうち、主体的に取り組む態度について考えてみたいと思います。

 ルーブリックの代表的な使われ方としてこのようなものがあります。

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こういうルーブリックを見かけることがありますが、個人的にはよくないと思っています。この例では、まずこれらの4つの項目がどの観点に関わるものかがわかりません。また、基準を明確にすることを目的にしているあまり、〇文以上で話すという基準が書かれています。文の数が多ければ評価が高いという理由もわかりません。時には、〇回質問しているなどという基準があり、中学生がが"Do you like~~~"のような小学3年生でもいえるような文章で質問をし、評価を上げるような授業も見られます。

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 次のルーブリックは観点別に作られていますが、観点の趣旨と基準の妥当性に問題があります。例えば上述のルーブリックと同じで、文の数が多ければ思考・判断・表現の評価が高いのでしょうか。また、主体的に学習に取り組む態度の評価として、工夫を多く使うことで評価が上がるのでしょうか。主体的に学習に取り組む態度の評価のイメージとは異なるように思います。詳しくは国立教育政策研究所からでている評価に関する参考資料をご覧ください。

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 この図はいろいろな資料に使われているのでご存じと思います。この図にも書かれていますが、粘り強い取り組みを行おうとする側面と自らの学習を調整しようとする側面の二つの側面から評価すると書かれています。どちらも一時間に見られる姿ではなく、単元などの長いスパンで見るべきものです。それを、上のルーブリックのように、一つのパフォーマンステストで、しかも、工夫の数で評価するというのは、この観点の趣旨に合っていないと思います。過去の答申などにおいても、「関心・意欲・態度」の評価において、挙手の回数などで評価するなどの悪いイメージがあるというような言及もあります。工夫の数で評価するとなれば、発言の回数が工夫の回数に変わっただけになり、本質は何も変わりません。

 ルーブリックで評価するとなると、評価基準を作るさいには慎重に内容を吟味しなくてはいけません。とくに、主体的に取り組む態度のように、数値で簡単に測れないようなところについては、児童の振り返りの記述を参考にするなどの工夫が必要です。自分もルーブリックを活用する一人として、よりよい評価基準について研究を進めています。近いうちに、完成したイメージなども共有できればと思っています。

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