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自衛隊から新プロダクト開発マネージャーへのキャリアの作り方(no.22)

プロフィール
後藤 孝之さん
現職:BionicM株式会社 ソフトウェア開発マネージャー
自衛隊在職時最終役職:海上自衛隊 機関科電機員(潜水艦) 海士

経歴

ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、後藤さんの経歴を教えていただけますか。

後藤さん:2006年夏に海上自衛隊の任期制自衛官として入隊し、呉の護衛艦および潜水艦乗組員として勤務。その後2008年に退職しました。

退職後は、1年間職業訓練校に身を置きながら転職活動を進め、トヨタ系に納品するカーナビベンチャー、老舗オーディオメーカー、東大発AIベンチャーを経て、現在は同じく東大発のBionicM株式会社でソフトウェア開発マネージャーとして、人体の局所的アシストスーツとも言えるパワード義足の開発に従事しています。

ーーまず、自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。

後藤さん:きっかけは就活フェアに参加した帰り道で、たまたま居合わせた地方連絡部の方からの勧誘で話を聞き、興味をもったことです。

もともとゲームが好きで、大学では情報工学を専攻しました。そのため、就職先もゲーム会社を志望し活動。ただ、自分自身の技術の伸び悩みや目指していたゲーム業界が訴訟合戦でビジネス色が強くなっていたこと、そして就職氷河期で、企業への就職に迷いがありました。そんな最中に声を掛けてもらったのが、自衛隊でした。

当時は陸海空の区別すらよく理解しておりませんでしたが、勧められるがまま海上自衛隊に応募し、任期制自衛官で入隊しました。とはいえ、入隊には勇気がいりましたが、阪神大震災での自衛隊による災害派遣と被災地支援活動や、家が警察家系だったことから自衛隊への親近感もありました。

入隊後は、舞鶴教育隊を経て、機関科電機員として呉のはつゆき型護衛艦に配属。その後、曹候補士に転籍、潜水艦訓練教育隊を経て同じく電機員としてはるしお型潜水艦に配属されました。

職務内容は、職種が機関科でしたので、エンジンやモーターなどの動力や配管周りのメンテナンス業務がメインで、油にまみれながら床や壁を這いつくばったり、潜水艦のモーターの出力制御やそれを動かすためのバッテリー管理などをしていましたね。

潜水艦乗員という希少な経験、エピソード

ーー潜水艦乗員だったんですね!自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。

後藤さん:教育隊での思い出が深いですね。教育隊では100名近くの同期と昼夜を過ごしました。

たった4ヶ月程度の教育期間でしたが、教育が終わり、密度の濃い時間を過ごしたためか、全国各地に散り散りになる際は別れを惜しんで泣く方も結構いました。自衛官なら同様の経験はあると思いますが、民間に出て振り返ってみるとその時間の密度の高さをあらためて感じます。退職後も現職の同期とも年1,2回会ってお互いの近況報告をしています。

また、潜水艦勤務もなかなか強烈で、新人は魚雷保管庫で寝泊まりするんです。そこにマットを敷いた簡易ベッドで。魚雷に囲まれて寝る環境ですが、音もすごいんですよね。普段潜水艦は敵に所在がバレないようにバッテリーで動きますが、充電時はディーゼルエンジンが爆音で動くんです。場所によっては自分の声すら聞こえないほどですが、慣れてくればそんな環境でも、普通に寝られました。

ただ、大変なことばかりではなく、潜水艦乗員でないと経験できないこともあります。

良いエピソードでいえば、とある沖に停泊していた際、見張り員としてセイル(潜水艦上部)に配置されました。機関科員なのになんでだろう?と少し疑問に思っていましたが、その夜は流星群の日でした。

周り一面海の中、明かりは遠くの山村に少しばかりという状況で、舞い降りる流れ星に、感動して目を奪われました。上官の粋な計らいだったんだと思います。

その他、潜水艦乗りならよく知られている出航中のクリスマスイベントもあったりといろいろ経験させてもらいました。

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ーー潜水艦乗員は希少ですので、貴重な経験ですね。

後藤さん:そうですね。潜水艦は、日光もろくに浴びられず、ランニングができる甲板もないため海自の中でも希望者が少ないのが実情です。人気が無い中で、いろいろな試験もパスしないと乗組員になれない職種でもあり、成れるチャンスを捨てずに活かす事の大事さ、貴重さも学びました。この学びは、後の転職にも繋がっていますね。

また、潜水艦内外の様々な事情、情報を勉強できたり、情報科の講義を聞くことで、日本と諸外国の関係など、視点もスケールもそれまでとまったく異なる規模の世界に触れる事ができたのも、潜水艦職種だからこそ得られた経験だったと思います。

自衛隊は、全国から世代間関係なく、中卒から院卒までほぼすべての学歴が同じ組織に同居する稀有な環境です。そこは日本人社会の縮図といっても過言ではなく、それを体感できたのも非常に良い経験になりました。

当時さまざまな人たちと寝食をともにしたことで、その後企業で働く際に、製品ターゲットとなる人たちの思いや考えを知る際のマーケティング視点にも生かせています。

ーーいろいろな視点で得られた経験を生かされている後藤さんはすごいですね。そうした中、転職されましたが、なぜ自衛隊から民間企業へ転職されようと思ったのでしょうか。

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