自衛官で培った「即応力」を活かした、再就職した民間企業での活躍の仕方(no.11)
プロフィール
江澤 功起さん
現職:一部上場化学メーカー
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊陸士長
経歴
本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、江澤さんの経歴を教えていただけますか。
江澤さん:高校を卒業後に陸上自衛隊に入隊しました。4年間自衛隊で勤務した後に金融関係の営業へ再就職し、IT関係の営業を経験した後に、現在は一部上場化学メーカーで製造オペレーターとして働いています。
ありがとうございます。自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。
江澤さん:私は高校を卒業してから自衛隊に入隊したのですが、就職を考えていた中で、就職するならば、スーツを着た仕事ではなく、人のために働くような仕事をしたいと思い、そこで単純にカッコ良く壮大な仕事だと感じていたのが自衛隊でした。
消防士や警察官も人のために働く仕事ですが、コンバットマガジンを中学校から愛読書にするくらいミリタリーが好きだったこともあり、自衛隊を選びました。自衛隊入隊後の配属先は、霊峰"富士"の裾野である静岡県の陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地の滝ヶ原駐屯地普通科教導連隊です。部隊では、120mm迫撃砲の部隊に在籍していましたが、テレビ等で最近よく目にするレンジャーを養成している部隊でもあり、その教育を目の当たりにしていると、住む世界や次元が違うなという印象で見ていました。
自衛隊在職中で得たもの
自衛隊在職中の思い出・エピソードを教えていただけますか。
江澤さん:教育期間中の仲間達が1番思い出に残っています。まだ社会に出た事の無い18歳の隊員が一人前の自衛官として教育をされる中で、厳しい訓練を仲間と共にこなしていけたことは自衛隊在職で得たよい経験の一つです。
私が所属していた分隊では、わりと入隊当初に体力の無い人たちが多く、分隊長も厳しい指導の反面、しっかり育てようという気概のある人でした。訓練は本当に厳しく、ハイポート(銃を持って走る)や、背嚢を背負いながらかがみ跳躍をやらされました。しかも回数ではなく、体力の限界を超えるくらいの時間でやらされるんで、跳躍も最後の方は記憶がなくなるくらいやったこともありますね。
そうした辛い訓練だったので、同期も私自身も幾度となく教育期間中に辞めそうになりました。しかしそのたびに班員全員で集まり、声を掛け合い、涙しながら乗り越えていった事が思い出です。仲間の大切さ、熱い想いが胸に焼き付いています。
当時の仲間達でなければ続けられなかったと思いますし、チームワークという意味でも、共感や同じ目線でものごとを考えていく大切さが理解できました。できるのが当たり前では無く、できない人へのフォローをする必要性や大切さが身についたことは今も実生活で生きています。
仲間と共に乗り越えるチームワークの重要性ですね。続いて、再就職に関して、お話をうかがいたいと思います。まず、なぜ自衛隊から民間企業へ再就職されようと思ったのでしょうか。
江澤さん:自衛隊というのはある意味特殊な職場環境です。自分自身の視野を広げると言った意味でも"他の世界"も見てみたいと思ったことがきっかけですね。
当時、金融機関で働く先輩がいて、いろいろとビジネスを教えてもらう機会がありました。そのうち、先輩のいる会社に営業職で来ないかと誘われて、迷ってはいたもののまず話を聞きにいきました。仕事内容や経営という点は自衛隊と違えど、計画をもって働くことや組織は似ているところもあり、何より売り上げを達成するためにチームで頑張るという方向性は私が活躍できる場所だなと思いました。当時漠然と他の世界も見てみたいと考えていた自分としては、ここなら活躍できるだろうと再就職を決定しました。
再就職は私の中では成功で、チームプレーを重視する会社でしたので、他のメンバーのために頑張ろうというという自衛隊で培った気合と根性も活きましたし、そんなチームでしたので、当時のマネージャーは、就業外でも金融の勉強や教育をしっかり指導をしてくれて、そうした指導により付いた基礎能力がビジネスのベースアップにつながったと考えています。チームは、ほぼ会社から与えれた予算を達成しており、達成できたらお昼から祝杯したりもしていましたね。今はさすがにやっていないかもしれませんが、それくらい最初入った会社は、オンオフがはっきりした会社でした。
自衛隊在職時の転職活動は制限されていたかと思いますが、再就職時の就職情報収集、スケジュール、準備等必要だったと思いますが、どのように準備されていましたか。
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