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自衛隊から人生に寄り添うライフプランナーへのキャリアチェンジ

プロフィール

武石太一さん
現職:プルデンシャル生命保険株式会社 首都圏第一支社 営業所長
自衛隊在職時最終役職:海上自衛隊海曹長

山田竜矢さん
現職:プルデンシャル生命保険株式会社 東京第七支社 ライフプランナー
自衛隊在職時最終役職:陸上自衛隊2等陸尉

今回は、プルデンシャル生命で営業所長として活躍されている武石さん、ライフプランナーとして活躍されている山田さんに生命保険会社でのキャリアを伺いました。

生命保険やライフプランをお客さまへ提供する仕事になりますが、まずライフプランナーとして入社し、その後、営業所長や支社長としてマネジメントを極めるコースと、ライフプランナーとして営業職を極めるコースがあるようで、それぞれ別のキャリアを歩むお二人に話を聞きました。

※プルデンシャル生命保険株式会社とは
創業1875年、世界最大級の金融機関プルデンシャル・ファイナンシャルの日本法人。
日本においては30余年の歴史を持ち、生命保険のプロフェッショナルであるライフプランナーによる経済的保障と心の平和を届けるコンサルティング・セールスを法人・個人に対して展開。HPはこちら

経歴について

ーー本日はお忙しい中、退職予定自衛官、元自衛官のキャリアを考えるインタビューにご対応いただきありがとうございます。まず、武石さんと山田さんの経歴を教えていただけますか。

武石さん:2019年に防衛大学校を卒業して、海上自衛隊幹部候補生学校へ入校しましたが、喘息を発症してしまい、入校中に退職。その後、プルデンシャル生命にライフプランナーとして入社。2023年から人事・マネジメント領域に道を変え、営業所長をしております。

山田さん:僕は、2015年に防衛大学校を卒業して、陸上自衛隊幹部候補生学校入校し、2016年から北部方面通信群にて、小隊長および運用訓練幹部の経験や、2019年には、11旅団司令部にて通信運用幹部を経験したのちに、思うところあり自衛隊を退職し、2020年3月からプルデンシャル生命でライフプランナーをしています。

ーーまずは、自衛隊に入隊された背景と在職時の職務内容を教えていただけますでしょうか。

武石さん:2010年に尖閣諸島での中国漁船衝突事件があったことが、私の人生に大きな転機をもたらしました。その出来事がきっかけで、自衛隊への志願を決意したんです。

当時は一般大学への進学を考えていましたが、将来の目標が漠然としていました。しかし、この事件によって「何かあったときに力を発揮できる人間になりたい!」という思いが湧き上がり、防衛大学校を志望しました。

横須賀で過ごした4年間は、まさに充実した日々で、その後は広島県江田島市の海上自衛隊幹部候補生学校へ進学しました。候補生としての教育を受けつつ、各々が与えられた役割を果たし、幹部としての素養を身につける期間でした。

そこで防大出身者以外の同期との交流や、自衛隊の人材育成の仕方を学んだことは私にとって大きな財産となりました。

とくに大きな経験になったことは、甲板係総括というかなりハードな係を任されたことです。候補生約170人に対して、統制を完ぺきにこなす必要がありました。模範となる為、立ち振る舞いからコミュニケーション方法に至るまで、対人関係では学びが多い経験でした。

候補生のチェックを任される訳ですが、多い時は300点くらいの、生活、訓練、整備等の不備事項があり、毎晩分析をしたり、グラウンド整備は京都の枯山水の砂紋を彷彿とさせるくらい完璧なものを求められるので、大変ながらその統制は勉強になりました。

山田さん:私の場合、武石さんのように目標あっての防衛大学校への受験ではなく、模試感覚での応募がきっかけでした。

1次試験は正直試験慣れのために受けたのですが、受かってから調べてみると給付金がもらえて関東にいける大学で、スポーツと勉強の両方を追求できる環境だったので魅力を感じました。

私自身、仙台出身で、ちょうど入校前に東日本大震災で被災しました。その結果、自衛隊への意識はかなり高まりました。

自衛隊での職務内容は、通信職種に所属していました。自衛隊内でのNTTのような存在で、訓練時には野外での通信網の構築や、それを監督する役割の担当です。

現場では訓練計画作成や部隊の運用を行い、旅団司令部勤務では、旅団全体の通信網の計画作成や、基地通信網などを利用した大規模通信計画を担当していました。また、新しい機材の導入や各部隊への教育も行っていました。

専門性が高い分野だったため、機材や隊員の特性を掴むのに苦労しましたが、それがまた新たな学びに繋がりました。

自衛隊で学んだなと感じることは、マネジメントの経験です。とくに「指揮の要訣」を常に意識して、現場でも取り組んでいました。

チーム全体がその目標を達成するようにリーダーが先頭に出ることが重要でありつつも、チーム全体にも裁量を与えて、彼らが自分で考えて行動する機会を考えることが重要で、そのためには、良い指導力、チームの現状を常に把握し、行動を尊重することへのリーダーシップの理論を学びました。

それがいまのワークスタイルにも活かせていると感じます。

山田さんの防衛大学校時代のひとコマ

ーーなるほど、リーダーシップやマネジメントの経験が若くして得られることは貴重ですね。そうした中、なぜ自衛隊から転職されたんでしょうか。

武石さん:幹部候補生になって、当初は自衛隊のキャリアを進む予定でした。ただ、私が防衛大学校を卒業したときに喘息を発症してしまって。

幹部候補生学校でも症状が出ていつつ、体をだましだまし訓練をしていましたが、状況が良くなることもありませんでした。

そうなると、自分が自衛官として歩むべきキャリアには大きな制約がついてしまうわけで、望んでいた自衛隊でのキャリアを歩めなくなりました。その時、初めて転職のことを考えるようになりました。

もちろん喘息でも働くことはできましたが、職種が経理や補給幹部という道より、前線でばりばり働きたいと思いました。

山田さん:私の場合は、自分が思うままに仕事をすることの楽しさを知ってからですね。自衛隊での僕は非常に恵まれた環境で、すぐに役職も中央にシフトしていきました。

しかし、その一方で現場の小隊長時代と比べて、外部要因による決定が多くなってきたんです。僕が楽しく感じていたのは、小隊長だった頃のような裁量のある仕事だったので、違和感を覚えるようになって。

自分の価値観に照らし合わせて「やりたい」と思っていることとは違うことを、20年以上も続けていく未来を、僕は想像できなかったんです。

もっと裁量のある仕事をしたいと、僕の理想とする働き方を求め、やむなく退職を決意しました。キャリアチェンジするのであれば30歳前にはしたいと考えたこともこのタイミングでした。

転職の仕方について

ーーやむなくと、今後の働き方を考えてと二人とも違った背景で転職を決めた訳ですね。さて、転職時の就職情報収集、スケジュール、準備等が必要だったと思います。どのような準備をされましたか。

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