GooglePlayで公開していたアプリを全部削除された話

まあ、なんで削除されたかというと、Googleの方から何か「アカウントの手続きを済ませろ、さもないとアカウント止めるぞ」という旨のお知らせを何か月か前から受けていて、いい機会だからそのまま放置してアカウントを止めてもらって、事実上のGooglePlayからの撤退ということにしようと思ったわけです。そしてこないだ期限の日が到来し、予定通り無事にアカウントと公開中のアプリはGooglePlayから削除されたようです。
アカウントは削除されると通達されていたのですが、今でもログイン自体はできるようです。削除というより停止っぽい感じで、多分今からでも手続きをすればまた復活してくれそうな気配もあるのですが、もうやりません。もうアプリからの収益はほぼ途絶えているので続ける意味もほとんどなくなってるからです。

Googleから求められていた手続きは、要するに本人確認のようです。多分ネット銀行とかクレカとか暗号通貨の取引所の口座開設みたいな厳しめの本人確認が要求されるのでしょう。10年ちょっと前にアカウントを作ったときは住所氏名とクレジットカードとかそんな情報は登録したような気がします。そこから10年ほどはそれで充分だったわけです。
銀行とか暗号通貨取引所でいま口座とかを作ろうとすると、「絶対に反社に口座を作らせないぞ」とか「マネロンに使われるのは絶対に避けたい」という意思を強く感じるようなきっつい本人確認を要求されることが度々あります。おそらくGooglePlayのアプリ開発者においてもそんな感じで何かしらの犯罪的な奴が増えてきたのかもしれません。あるいは各国の法規制が整備されて何か上から圧力がかかっているのかもしれません。
私も一応IT業界の人間なのでその辺の事情はとてもよく理解できるのですが、本業と別にやってる個人開発者としてはほぼ趣味でやっている程度で全然儲かってない状況ですので、そこまでして続ける気にもならなかったというわけです。

まあ最初にAndroidアプリの開発を始めたころは、個人で小規模なインディーゲームを作りたい開発者にとってはかなり魅力的なプラットフォームが出てきたという印象でした。技術的にも手続き的にも敷居が低く、いい時代になったもんだと思ったものですが、それから10余年、アプリストアには星の数ほどのアプリがあふれるレッドオーシャンになり、結構な資本を投入しないと自分のアプリは公開しても誰にも知られず埋もれるだけの世界になりました。そこへきて今回のように開発者登録の手続きの面でも厳しくなったというわけです。おそらく今後は個人で趣味でアプリを作る場としては利用しずらい感じになるんじゃないでしょうか。

とりあえず移住先として、itch.ioというサイトを利用することにしました。

itch.ioは本当にただ自分のアプリをアップロードしておくだけで済むので楽々です。まあアクセス数は期待できないと思いますが。これは過去の作品のアーカイブといった感じで、ここに置いた作品はもう更新とかすることはないと思います。

せっかくなのでこれまで作ったアプリを振り返ってみる

最初に作ったのが「飛翔体」(英語版のタイトルは「Aurora Missile」)です。これは要するにミサイルコマンド系のゲームです。飛翔体という言葉は、その当時の報道などで使われていた「ミサイルの上品な言い回し」です。当時はなんか知らないけど北朝鮮がミサイルを打ってきてもそれをはっきりとミサイルと言ってはいけないという謎のポリコレがあったようで、それが面白かったのでタイトルにしました。
初めてスマホでゲームを作るにあたって、スマホというデバイスに向いているゲーム性はどんなんだろうか?と考え、ミサイルコマンドならタッチパネルでの操作に適しているだろうと思いついたわけです。目論見通り普通に遊びやすいミサイルコマンドが出来上がり、外人にはそこそこダウンロードされました。なんだかんだでこれが一番ダウンロード数の多かったアプリになりました。

次に作ったのは「モヒカン黙示録」です。日本語のみ対応で英語タイトルはありません。これを作ったころは「放置型RPG」というジャンルが黎明期にあり、じゃあ俺も作ってみようかという感じで作り始めました。しかし私はRPGになんの思い入れもなく、勇者とか魔王とかドラゴンとかそういうものに一切興味が持てないので、ファンタジーではなくポストアポカリプス世界を題材に選びました。要するに北斗の拳とかマッドマックスの世界です。本来はザコ役であるモヒカンを主人公にするというアイデアは、まあインディーゲームの企画における常套手段ですね。
RPGというのは作ってみた事がある人はわかると思いますが、膨大な数のアイテムとか敵のバリエーションを考えないといけません。普通のファンタジー世界がベースのRPGなら、テンプレのようによく出てくるモンスターとか武器とかがいっぱいあるので、そういうので埋めていけばいいわけですが、非ファンタジーだとそれができないので苦労するわけです。RPGがファンタジーばっかりなのは、結局その辺に理由があるのかもしれません。このゲームの場合は敵にもモヒカンを出そうと思ったものの、モヒカンでバリエーションを作るのは難しく、最初は「青モヒカン」とか「赤モヒカン」だったりしたのが、最終的に「モヒカンナース」とか「モヒカン弁護士」といった苦し紛れなバリエーションで埋めていくことになり、徹底的にふざけた仕上がりのゲームになりました。

3つ目に作ったのは「ゴリラ豪雨」(英語タイトル:Perfect Gorilla)です。これは一言でいえばファミコンの忍者ハットリくんの「ちくわと鉄アレイ」のパロディです。このゲームで初めてBGMを作りました。最初にタイトルを考え、そのあとBGMを作り、そしてゲーム内容を検討し、制作に取り掛かるというスケジュールで1か月くらいで作った気がします。このゲームは当時ゲームレビューサイトに載ったので、それなりにダウンロードされたはずです。レビュー記事はまだ残っていて、ゲーム内容はそれを見ればほぼ全部わかるので、わざわざゲームをインストールしてプレイする必要はないです。

4作目は「オプスレイ」(英語タイトル Tap Tap Heli)です。これを作ったときは、Flappy Birdがバズった直後で、とりあえずパクった上にシューティングに仕立て上げようという発想で適当に作りました。「オプスレイ」というタイトルはゴリラ豪雨とだいたい同じ発想ですが、検索してみると素で間違えている人は結構いたように思います。ゲーム内容自体はそんなにふざけてないので、普通にまとまったゲームです。人によってはそこそこハマるようです。ファミコンでこういうゲームを作ったら結構いい感じになるかもしれない。

5作目は、ブラック企業レヴォリューションです。英語タイトルはありません。これはモヒカン黙示録に続く放置型RPG第2弾として作った作品で、モヒカン黙示録に比べると、比較的ちゃんとしたストーリーがあります。自分自身の経験とか人から聞いた話などを元にブラック企業を舞台としたストーリーに仕立て上げました。普通のファンタジーRPGと比べると1.5光年くらいかけ離れたストーリーですが、現実世界がベースなのでストーリーを考えるのには困りませんでした。というかちゃんとしたストーリーがあるゲームを作ったのはこれだけです。モヒカン黙示録とゴリラ豪雨の主人公がゲスト出演しています。放置型RPGとしては2作目なので、前作よりシステムをちょっと複雑にしていろいろやれることを増やそうとしたのですが、それをやると失敗するパターンですね。なんかめんどくさいだけのクソゲーになりました。

6作目は、「超・撃たせてよ」(英語タイトル Night Flight 1985)。これは縦スクロールのシューティングです。この時はあんまりふざけずに普通のゲームを作ろうと思いました。スマホというのは画面が縦向きなので縦シューには向いているデバイスのように思えますが、タッチパネルの操作でシューティングをやるのは私としてはかなり無理があると思っていました。私にとってはスマホでシューティングをするとか弾幕をよけるというのは、足でスプーンを持ってラーメンを食べるのと同じくらい不自由な体験でした。世間的にはスマホでアーケード並みにまじめにプレイする人がほぼいないので私以外にはそれほど気にする人がいなかっただけかもしれません。このゲームでは、タッチパネルでも無理なくシューティングができる操作方法を考えました。しかしアーケードのプレイ感覚には遠く及びませんが。まあシューティングをやらない人にとっては、画面にアーケードゲームと同じものが映っていたら同じだと思えるようです。実際にはシューティングでも格ゲーでも音ゲーでもそうですが、目と同じくらいに手の動きも重要なのがアーケードゲームです。多分スマホでやる限り解決不能な問題でしょう。これと比べるとまだ上で紹介した「オプスレイ」のほうがまだマシだったかもしれません。

7作目は、「何らかの飛翔体」(英語タイトル Sunset Missile)です。これは原点回帰で1作目の飛翔体をリメイクしようと思って作りました。ゲーム性はあんまり変わってないです。ただのミサイルコマンドです。グラフィックの見せ方がだいぶ変わって、今回は「ブラウン管に映したドット絵」風です。最近はようやく認知されてきたようですが、解像度の低いドット絵をただ拡大しただけのグラフィックと、ドット絵をブラウン管に映した絵は、全然違うわけです。CDよりレコードの音質を好む人とか、デジカメよりフィルムカメラを好む人、ギターだったらトランジスタより真空管アンプが好まれたり、そういう風にローファイにすることでなにかしら情報量が増える感じがするパターンというのがあると思います。この作品では、あんまり重くない処理でそれなりにブラウン管っぽく見えるシェーダーを開発して使っています。なんかちょっとブラウン管を写真撮影したような雰囲気にも見えますが。
この作品ではゲームの内容よりもBGMの制作にかなりの時間を費やしました。はっきり言ってゲーム内容は凡庸ですが、BGMは思ったより良いものができました。このBGM6曲は、私の最初のアルバム「Asynchronicity」に収録されています。ということで最終的にゲームよりも音楽のほうがメインになりました。


というわけで7作も作ってたんですね。振り返ってみると本当にクソくだらないゲームばかりでした。最近はインディーゲームも製作費とかマーケティング費用も結構掛かってそうな意識の高いゲームばかりで、私のような人間が作るようなしょうもないゲームの入る余地はなさそうです。インディーゲームのもう一つ下のカーストを設けてもらってもいいんじゃないでしょうか。そういえば何年か前に「草ゲーム」という概念を提唱したことがあります。もちろん私が一人で言っているだけなので定着するはずもありません。

さて今後Androidから撤退した後ゲーム制作をどうするかですが、作ろうと思ってるアイデアとかはあります。しかしこの先の人生であとどのくらいゲーム制作に使える時間があるか・・・。ゲームの製作というのは非常に時間がかかります。インターネットのコンテンツというのは徹底的に質より量の世界なので、作るのに時間のかかるコンテンツをやる人はどうしても不利です。ゲーム作るより音楽とかのほうが短い間隔で作品を出していけるのでまあしばらく音楽に専念したほうがいいかもしれません。
個人開発のゲーム製作でよくある手法は、作っている過程の様子をこまめにSNSに上げていくパターンです。私のように作り上げてしまってから披露するのはマーケティング的によろしくないです。作者が作っている過程もコンテンツ化することで、量を稼ぐことができます。作っている過程を見せる場合は、作者がプログラミング未経験とか、「90歳のおばあちゃんが一念発起してプログラミングに挑戦」とか、「うちの犬が急にプログラミング言語を覚えたのでゲームを作らせてみた」みたいな設定があるほうがよさそうです。「貧困家庭のシングルマザーから女社長」みたいな感じのサクセスストーリーがあったほうがSNSでは受けそうです。


とりあえず今後作るゲームについて目指していきたいのは、コンテンツではなくゲームを作りたいということです。コンテンツという枠で勝負すると、ゲーム以外のありとあらゆるコンテンツと競争することになるので、非常にレッドオーシャンな環境で質より量の戦いを強いられることになります。そういうのではなく、私が考えているのは、例えばアーケードのゲームなら、20~30年前とかのゲームが普通に今でもゲーセンでプレイされているわけで、それはコンテンツというより、将棋とか登山とか筋トレとかと同じような「行為・体験」として楽しまれているといえるでしょう。そういうものが作りたいのです。
まあ次のゲームを作れるのはいつになるかわかりませんが。