見出し画像

何を達成したかなんて死ぬときには案外覚えてないものだよ

って精神科の先生に言われた。


すごいね、って言われるようなことを覚えていそうだけれど、案外そうではなんじゃないかと最近思っていた、そんな時に


かかりつけの先生とこんな話になったのだ。終わりが近くなった患者さんたちは、自分が何を成し遂げたか、ということよりも、何を感じて生きていたかということについてよく話し、涙するらしい。具体的には、五感で得たことをきっかけに記憶を掘り起こしているらしい。


いつ、何でどんな賞をもらったとか、仕事でどんなことをやり遂げて達成したのか、覚えていそうなものなのにね。


それよりも感じたこと、感情だけじゃなくて、香りとか、味とか、うるさかった音とかそういうのを覚えているということらしい。それをきっかけに思い出すのは故郷や家族、古い友人のことなんだとか。


例えば今、私が過去を振り返っても、小学校や中学校で皆勤賞を取ったとか、先生に褒められたとかは案外覚えていない。覚えているけどどうでもいい。


それよりも、初めての弁当に何が入ってたとか、金木犀の匂いのなか登校したとか、悪口を言われた日に雪が降っていたとかそういうことを覚えていると思う。そういうのを思い出している方がなぜか心地いい。


昔つけていた香水をたまたま見つけて嗅いでみたらその時の思い出が一気に蘇ったという話はよく聞く。
初めての海外旅行で一番記憶に残るのは、飛行機を降り立ったら、何か食べ物の匂いがした、なんていうことらしい(ちなみに外国人からすると日本の空港は味噌の匂いがするらしいけれど本当なのかな)


五感は大切な記憶とつながっている。記憶は五感を辿れば蘇る。


今夜、私は幸せを感じた。このことをきっと、この先も覚えているだろう。死の床で思い出すかもしれない。



なんてことはない話で。今日はチキンカツに味噌ソース(うちは名古屋市出身の家族なので)をどっぷりかけて、真っ黒にしたやつをたらふく食べた。ばーちゃんが上手に揚げて、そばから私が、ザクザク切って、母がソースをかけて弟と私の旦那が食べた。美味しい!というというとみんな次々に食べたがった。


おかわりもたくさん出た。ソースは本当に美味しい、ちょうどいい、これは大成功だよ、店に出せる、と口々にいわれたが、照れている間も無く、私もかつにかじりついていた。腹が減っていた。


食後に、そうだ、今日はスーパーカップを買っておいた、セイユーで安くなっていたから、と言って母が全員分出す。せっかくならディッシャーがあるから、ちゃんと盛り付けようよ、と私がいそいそ準備していると、弟が 確かあんこの残ったやつがなかったっけ。トッピングにしてよ、というので、いいねえ!と盛り上がって探すと、ばーちゃんが先日作った草餅用のあんこがタッパーに入っていた。それもはやくたべちゃわにゃあ、腐るぞ。とばーちゃんもノリノリだ。


それぞれガラスの皿に盛りつけて、好きなだけあんこを乗せた。あんことアイスはよく合う。私の旦那はドイツ人だが、この組み合わせを大いに気に入ったらしく、「バニラと豆がどうしてこんなにあうのかわからない」と神妙な顔つきで食べていた。私たち家族はそれを見て、なんだか誇らしかった。


きっと私は、この気持ちをずっと覚えているだろうな。うまく言えないけど、他のどんなすごいこと、私のちっぽけな人生の中でしたいくつかの冒険や勲章よりも、こういう夜のことを忘れないだろうな。いつか死ぬときに、人は、思い出の全てをスローモーションで見るというではないか。そういうときに今日のことを思い出すんだろうな。


2000年になってからもう20年も経った。もうすぐ21年目になろうとしている。


2000年になるという頃、21世紀に関するたくさんのジンクスや都市伝説が流行った。テレビでは21世紀という言葉が多用されて、年末の隠し芸大会では、カウントダウンの時にMAXというグループが太鼓の技を見せていて、3、2、1、2000年!おめでとう〜!と派手にやっていたのを覚えている。 


 色々な番組でカウントダウンをしていた。あのとき10歳で、小学生で、運動が苦手で、ぐんぐん背が伸びて、いじめられていて、毎日美味しいものを食べて、両親の喧嘩を見て、その合間にテレビを見て、毎日は過ぎていた。


それから勝手に20年も経って、きっと2050年になるのもあっという間で2100年になったとき、この地上に私はいない。私の知っている人も、みんないない。人生って短くて、本当にちょっとしたことなんだな。その中ですごい人になりたいとかいって、私って特別じゃないの?とかいって時間のなかで右往左往しているんだろう。


私、小さな籠の中のハムスターみたいに、輪っかの中でぐるぐる走っているつもりなんだ。一生懸命で楽しいなら、別に全然いいんだから、そこで悩んじゃダメだよ。こんなに走ったからなんだっていうの、なんて思ってちゃダメだよ。


こういうことをしていられるのはいまだけなんだな、と実感する。
いつか、ばーちゃんは死ぬし、母は歳をとって私のことを誰だかわからなくなるような日がくるんだろうな。弟はこの家を出るし、私たち夫婦だって出るかもしれない。うちの犬は寿命が来るかもしれない。



食べ終わって、みんなで、今日はカロリーオーバーだ、といい合う。その後に、こんな日もいいね、太りがいがあるという。


私はこういう夜が来るなら、いくらでも醜く太ってやる、と思う。このやさしい気持ちは寝て起きてしまえば、もう消え去っているだろうな。明日にはまたいつもの不安が戻っているかもしれない。それは仕方ない。感じることは一瞬だから。消えてしまうだろうけれど。もうその覚悟ができている。








おわりに。フォロワー50人を記念してサポートくださった方々、本当にありがとうございました。とても特別な気持ちをいただきました。サポートは全て合わせて何か新しいことを始めようと思っています。また記事でお知らせします。微熱

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?