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傷つかない人なんていない

知識

私には何の知識があるだろう、とふと考えてみた。
きっかけは友人の一言。LINEで話していたところ、

20代は知識をつけるとき。30代は知識を伝えるとき

というのだ。学んでいたものを、教える側に立て、と。20代につけた知識なんてあったっけ。はてな。

英語?
一時は良く話せたけど今は微妙だなあ。簡単な会話しかできないだろう。

ドイツ語?
もともとほとんどできなかったから、今は破滅的な気がする。

映画?
こりゃ、知識というより。ちょっとカメラワークとかストーリーテリングを学んだことはある。とはいえ、趣味の範囲だ。とても好きで中毒的に観たけど、勉強をしたわけではない。

料理?
これは常にちょこちょこ勉強しながら。意外と、こういうやり方が一番いいのかもしれない。デスクにしがみついてやる勉強よりも、やりながら、毎日ちょっとずつ。レシピを実際に作れるから役には立つ。

絵?
これは学ぶとか教えるとかいう話ではない気がする。自分なりに学んではきたが、その学びが明らかに邪魔している時もあるからだ。

その友人の話からすれば、教えることで収入を得られるレベルにならないと「教えられる」とはいえないとのこと(私の周りは本業が満足できず副業をしたがっている人が非常に多い)。じゃあ、私はどれも無理だな、といとも簡単に白旗を上げた。


カタコト

英語の話の続きだけど。
英語やそのほかの言語について「勉強はしているけれどあまり話せないから自信が持てない」という人がいるが、実は、言語はあまり話せないカタコトの時が一番楽しいと思う。


もちろん、その国に住むとなればかなり苦労する。実際に、アパートを見て回って家賃の価格交渉をしたり、ビザを申請したりするときに、話せないと圧倒的に不利になる。


話せないのはこいつが悪いから、俺が努力する必要なくね


って開き直る場合が圧倒的に多い。

でも、旅だったり友達を作る程度だったら、ちょっと話せないくらいの方が盛り上がる。
これって、なんていうの?へえ!面白い。みたいな感じで、会話が進む。

相手も、教えてあげてる感があるから悪い気はしないし、こちらも知ることが多くて楽しい。先生と生徒みたいに。

日本人のアクセントを可愛い、なんて言ってくる人もいるくらいだ。

だから、話せないならその段階をむしろ楽しむべきだと思う。子供がなんでも許されるみたいに、話せないとなれば許されることもあるから気楽だ。

流暢に話せると、相手がもう特別扱いをせずに好きなように話したり、それこそセクハラだったり、文句や嫌味だったりまで言ってきたりする。こちらもそれを理解できるレベルになるから、嫌な思いをすることだってあるのだ。


あんかけ

あんかけが好きである。

とろんとした熱いのがいい。名古屋にはあんかけスパゲティなんて美味しい食べ物があるし、あんかけラーメンとかも好きだ。あと、揚げた魚にすっぱいあんかけと野菜がかかっているあれはなんだろう。なんとか南蛮?おいしい。


カレーうどん

カレーが余ったから、カレーうどんにする、みたいなアレンジレシピが多く紹介されるけど、カレーが余ったことがない。
だから、カレーうどんんが食べたいときは、ふつうにカレーうどんとして作るしかない。


昆布の優しさは通用しない。かつお出汁を強めにとって、市販のルーを溶かす。
ネギは斜めに、油揚げは大きめに。うちはちくわも入れるけど、みんなのところは何を入れるんだろう。


今日は、ちょっと特別に天かすを入れた。
昨日の夜に、天ぷらをしたからついでに作っておいたのだ。

とろとろのカレースープにしゃりしゃりの天かすが楽しい。


ガードマン

ところで、カレーうどんを食べると名古屋駅の構内を思い出す。
正確には、うまいもん通りから新幹線口のあたりだ。一軒の立ち食い蕎麦屋があった。いまもあるのだろうか。

夕方、制服で歩いているとカレーうどんのそれはそれはいい匂いがした。


私が通学していた路線にいくには、マリオットホテルの立派なエントランスの前を通らなければならない。その手前で交通整備をしているガードマンがいる。

昔も今も、ガードマンのいうことを全然聞かない学生がいる。まあ、学生だけでなく急いでいるサラリーマンとかはそうなんだろうが、若い学生が集団で無視するケースだ。

とまれ、と言って赤く光る棒を横に掲げていても、その横をすり抜けて渡ってしまう。

無視するとき、学生はやたら大声で笑う傾向がある。ぎゃはは、やめてよーとか言ったりして。ちょっと自分を大きく見せないと、一人の大人を無視するストレスに耐えることができない、と言ったように。


彼らもまた、優しく弱い生き物なのだ。


私はいつか、あそこのガードマンの人に何かを渡したい。チョコか、缶コーヒーか。
わからないけど、いつも渡したいと思う。


きっと、突然で驚くだろうし気持ち悪がって受け取ってもらえないかもしれないが、渡したいという気持ちがある。


たとえ他人だとしても、たとえ仕事だとしても。
自分が正義のためにしている行為が、目の前で無下にされることに
傷つかない人なんていないと思うから。




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