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アニメ評:『コードギアス 奪還のロゼ』 続編アニメはつらいよ

 注意:最終幕までのネタバレを含みます。
 

 熱量あがって、早口オタクになってしまうので、簡潔に書きます。

 4か月の劇場連続公開だったのですが、あっという間に完結してしまった印象です。おそらく『亡国のアキト』が明らかに間が空きすぎの反省がそこにはあったのではないか、と思いますが、このスピード感はよかったです。

 おおむね私は、本作には満足していますが、これからの評はまあまあ厳しいこと書きます。これからも、ガンダムのように、サンライズの看板として、コードギアスシリーズを作ってほしいと願っている一人です。

 とはいえ、元々劇場版の予定ではないとはいえ、作品外部のところで、ОPを何度も見るつくりであったり、独占配信であったり、その辺に不満がないわけではないです。劇場公開や独占配信は、今時、製作費を回収する手段としては当たり前だと思うので、大人の事情は分かっているつもりですが、窓口が狭まっていることが確かです。

 あまり中身のない本作のポジティブな面について先に書いておくと、Zi-アポロ、かっこいい!アッシュかっこいい!曲かっこいい!です。
 
つまり、作品のデザインの部分に関しては、、大成功の部類だと思いますし、反逆のルルーシュと戦えている部分だと思います。

 さすが、川井憲次節という感じで、めちゃくちゃかっこいい、ギターサウンドです。

 キャラクターデザインに、関しては、木村貴宏氏の早世が残念でなりません。ストーリー的にも、ロゼの正体でびっくりさせられましたが、それは、木村氏の描いてきた女性的、中性的なキャラクターの印象に引っ張られたところがあったと思います。予告段階では、全く違和感を感じていなかったので。

 ナイトメアも、反逆のルルーシュよりも地上戦がメインで、Zi-アポロが文句なくかっこいい。

 では、どこか物足りなかったというと、ストーリー面ですね。この部分は誰もが思うと思うのですが、尺が足らないことが大きな原因だと思います

 どうしてそうなったかファンは知り得ませんが、反逆のルルーシュ組というか、谷口五郎監督、大河内一楼脚本という座組が解体されています(谷口監督プロデュースという形)
 続編というのは、観客側の欲望、成功体験が大きな要因で生まれています、とはいえ、コードギアス=ルルーシュという物語は完結していて、同じ味のものが出せないというのが、このシリーズの悩みどころと肝だと思います。
 この点では奪還のロゼは、時折反逆のセルフオマージュ展開で、ファンを興奮させる味を出すことはできていたと思います。(フレイヤやスザクへの『生きろ』のギアス等)


・ノーランドの正体

 特に、ノーランドの正体に関しては、尺足らず、掘り下げ不足を感じます。ノーランドの正体は、1幕からワクワクしてみていた部分ですが、如何せんド本命直球すぎます、中身がない単なるサイコパス野郎、というのも苦しまぎれな設定に感じざるを得ません。

 サイコパスだ、という部分は100歩譲っていいのですが、だったらОPアニメで描かれているように、アッシュ兄弟に対して、嫉妬の感情を抱いているのは、設定として、矛盾だと。生理的理由なのであれば、殺すことが快楽には感じているのかもしれませんが、それだったら、もっとサイコキラー的に描かれるべきで、ロキのようにあっさり描写してはダメだと思います。
 また、人の心がないのであれば、ナタリアのような存在を許す理由もなく、キャサリンを助ける理由もないので、サイコパスだけど、人の心があった?というような中途半端な設定がそこら中に転がっていて、もしかしたらそうしたかったのかなと。ただ、放置されていて、あらゆる設定的矛盾につながっています。シャルルのクローンなら、サイコパスだとしても、もっとギアスに執着があるキャラクターでもよかったはずです。

 決定的なのは、主人公サイドとの対立部分が弱すぎます。シリーズのファンであれば、ルルーシュが、シャルルと対峙したのを思い出していただければ分かりやすいと思います。
 なぜ戦わなければならないのか、というのが、人類存亡の危機というのにいつの間にか置き換わっていて、ありきたりで掘り下げがない。この辺は、描き方でどうにかなったと思います。ノーランドがサイコパスという設定を変えないとしても、正体を知ったサクヤが、人の心を捻じ曲げているという点では、ギアスもサイコパス的な部分で同じことで葛藤するとか、アッシュだって、これまで散々人を殺めてきた、といった部分をもっと強調して描くことをできたはずです。

・奪還のロゼ

 奪還のロゼ、というタイトルは、後付けで、元々発表されていた奪還のゼットというタイトルが、世界情勢的つけられなくなり、変更が加わったタイトルです。
 今見直すと、ロゼか、サクラがゼットという名前だった?と考えても違和感があるので、シナリオが見直された時点で大きく変更があったのかな、という気がしています。
 奪還(する)ロゼという意味は分かるのですが、あまりにも、奪還の意味合いとして、サクラや日本といったものの背景が掘り下げられていません。サクラに関しては、キャラクター的にも、影武者以上の意味合いを持っておらず、サクヤがなぜ命を懸けてまで助けたいのか、友達や身代わりになっている以上に理由がないに等しいのは作劇的に問題だと思います

 話が変わるようですが、映画評において、某ラジオの影響か、設定的矛盾をツッコミをする人は多い印象です。ただ、設定的な矛盾があることは、直接的に面白さに繋がっているかといえば、全く別です。設定的矛盾はいくらあっても、面白いものは存在しますし、フィクションである限り、嘘なのだから矛盾は生じます、ただ作劇の問題として、面白さに貢献しているかどうかで、設定的矛盾は問われるべきだと、私は思います。
 
・社会批評としてのコードギアス

注意:深読みがありますので、苦手な方は戻ってください。

 今だにアニメ=娯楽という見られ方で、社会と切り離した現実逃避的なものだと受け取られがちなところが世の中にはあると思いますが、コードギアスシリーズの基にあるであろうガンダムシリーズには、社会批評的にも切り込んでいる箇所があります。

 その一例として、今年劇場版が公開された『ガンダムSEED』シリーズに簡単に触れておくと、ガンダムSEEDシリーズの当時の政制作の背景には、9.11、そしてクローンの問題があると、今年放映のNHKのドキュメンタリーで明かされています。

 もちろん、当時子どもだった私には、全く伝わらず、怖いアニメで、もっと子供向けのアニメを見ていたわけですが、戦争や人間社会の残酷さを伝えるのに、制作陣が苦心していたことが分かります。(20年後に、このテーマから吹っ切れて愛の力で突破しようとする続編を作ってしまったという経緯は複雑ですが)
 
 では、コードギアスの社会的な背景にあるものは、何かというと、現在も
続く日米関係でしょう。ただ=アメリカではなく、ブリタニア帝国というのは、明らかにフランス王政やイギリスがモデルになっています。
 
 奪還のロゼにどんな背景があるかというと、おそらく、ネオブリタニア、ノーランドでしょう。国家を名乗りながら、中身は傍若無人な指導者が率いているというのは、現実の問題でもありますまたネオブリタニアの差別描写は現実の移民問題をなぞって、社会の問題を描こうとした節が見えます。
 ただ、問題は反逆のルルーシュであったような、人種差別について、簡単にでも、ほとんど掘り下げがなく、作劇としても、説得力がありません。反逆をなぞることなく、新しく描く意義は本来ここにあると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=fjer2fbkezI


 ノーランドがたまたま人類滅亡を企む絵にかいた大悪党だったから、今回は解決し、ゼロレクイレムよろしく、すべての憎しみがノーランドに集まっただけです。本当の問題は何も解決していないように思えてなりません。

 だから、続編お願いします🙇


参考文献:

人はめぐりあい、過ちを繰り返す 『ガンダム』で描いた正義なき世界 安彦良和のTHE ORIGIN(前編)
https://www.asahi.com/and/article/20200221/9894662/ 
 
 
 
 



 
 

 
 
 


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