卒業論文、仕事は青春の終わりじゃなかった。

 二年間務めた株式会社VERTEXグループを退職します。私がつとめはじめた時、会社はまだ10数名。アルバイトとして入社し、何者でもなく何もできなかった私を受け入れ、育て、送り出してくれる会社への感謝と、死ぬまで忘れたくない今の思いを卒業論文としてまとめました。

 人間の青春はせいぜい大学生まで。大学のうちに遊んでおきな!と多くの大人は若者に助言します。それはもしかしたらある意味正しいのかもしれません。ただ、少なくとも私にとっては、人生の青春を見つけられたのは働き始めてから、ことに、私の大好きな会社であるVERTEXグループで多くの経験を積ませてもらってからです。

 できたことも、できなかったことも、わからなかったことも、できるようになったことも、つらかったことも楽しかったこともぎっしりの二年間。私が仕事が青春になりうると気付くまでの軌跡を、学びとともに振り返る長編noteです。

カスタマーサポート業務〜仕事の基礎を叩き込まれた3ヶ月

 2017年12月、当時の交際相手の家に近い!そして時給が高い!という不純な動機で応募したのが当時まだ小さかったVERTEXグループのアルバイトでした。面接の結果合格をいただき、私はIT業界に飛び込むことになります。

 当時私は体調不良により大学を休学中でした。なんだかんだでお金が足りず、ちゃんとバイトをせねば……と思ったものの、私はこの時点でほとんど雇われた経験がなかったのです。私の就労経験といえば、大学入学前少し働いたユニ○ロ。そのあとは大学に通いつつ、業務委託・フリーランスとしてライターの仕事を請け負っていたためそもそも会社という環境に入るのが初めて。しかもまさかのITベンチャー。ビビりながらも私の会社人生はここからスタートしました。

 入社当時、VERTEXグループはまだ少人数でサービスの運営をしており、社長は直接カスタマーサポートの業務をこなしていました。社長に横についてもらい、私はメール対応などをはじめとする顧客対応・昨日改善案の収集に着手しました。 

 私がアルバイトとして入社した直後、私は会社で働く人々があまりにも楽しそうですごく驚いたのを覚えています。「仕事が遊び、遊びが仕事」とはよく言ったもので、楽しいご飯の最中も「会社がこうなっていったら嬉しいね」とか「ここはこう改善していきたいね」というネタが最も盛り上がる話。みんなワクワクしながら仕事をしているのだなあと感じ、私もだんだんとその空気に飲み込まれ毎日仕事をせっせと楽しくこなすようになりました。

そして社長は常にこう言っていました。

「あやなちゃん、一緒に年収1000万もらえるCS(カスタマーサポート)作ろう!」「どうやったら年収1000万もらえるCSになれるか、考えよう!」

 基本的にカスタマーサポート部門というものは、苦情処理などを含むコストセンターとして認識されています。あくまでもお客様からのコンタクトを待ち、それに対してレスポンスをするという受け身の業務。残念ながら一般的に給与の高い職業ではありません。時給の安い地方にセンターを作ってそこでアルバイトを大量雇用するというやり方もいまだに一般的です。

 そうではなく、私は、「受け身ではなく攻めの姿勢で」「レスポンスを返すことが仕事ではなく、お客様からの問い合わせを限りなくゼロに近づけていくのが仕事」であると叩き込まれました。いまだに、このカスタマーサポートでの経験は仕事の基礎力になっています。 

カスタマーサポート業務から得たもの

・サービスを立ち上げた社長に意見を聞きながら顧客対応ができたこと、それによって「サービス責任者がどのように顧客に向き合いたいか」が私の中ではっきりした。

・何もわからなかったサービスについて、顧客の躓きなどを新鮮な気持ちで見つけることができた。

・顧客からの意見で改善したい内容をエンジニアさんに相談するうちに、アプリ開発やエンジニア視点から受け取りやすい指示の出し方を心得た。


正社員になることを決意した2018年3月

 入社が2017年の12月。この時点でアルバイトだった私は、2018年の3月ごろついに正社員になる気持ちを固めます。仕事に面白さを見出せてきた頃合い。カスタマーサポートチームにもメンバーが増え、いよいよ社長の手を離れて独立したチームとして自走していくフェーズに差し掛かっていました。

 この頃には休学の原因だった体調も比較的快方に向かっており、働くには申し分ない状態に。なお志望動機の一つだった交際相手には入社直後、コテンパンに振られています(笑) ただその後新たな恋人もでき、就職して給料が安定したらその方と一緒に住もう!と決めたのも後押しとなって、VERTEXグループに正式に社員として入社することに決めました。

 余談ですが、入社にあたってVERTEXグループのCTO、副社長のお二方と当時私の上司だったS先輩4人で面談が行われました。いろんなことを聞かれましたが、「将来どんなビジネスマンになりたいか」と聞かれた時の自分の回答を備忘録的に残しておきます。

 私の宝物は、一本10万円で売られていた傘です。傘なんて300円で買えるじゃないですか。実際、私もコンビニで買ったビニール傘を持っています。過不足ありません。でも、世の中には一本10万で売れる傘もあるんです。
 この傘は、フランスに旅行に行った時に買ったものです。パリのサン=ジェルマン通り、大通り沿いに面したそのお店は中から鍵が閉まっていました。ご用の方は呼び鈴を鳴らしてください、と張り紙がしてあって、私は勇気を出してその呼び鈴を鳴らしました。中から綺麗な女性が出てきて、私を丁重に店の中へ案内してくれたのを覚えています。お店の中央の猫脚のソファーに座らせてもらい、シャンパンを出してもらって、傘を一本一本丁寧な接客で見せてもらいました。傘そのもののは本当に美しいですが、それ以上にその店で過ごした時間に価値がありました。一流の接客のなんたるかを思い知ったのです。だから、当時手の届くような値段ではなかったその傘を、その気持ちを忘れないために買いました。
 世の中でお金をもらうためには二つの選択肢があります。300円のビニール傘を大量に作って薄利多売する。これはすごく合理的な方法です。開発にコストや特殊なスキルは必要ありません。正しいマーケティングを行えば勝てる。もう一個は、どうやったら10万円の傘を作って売れるか考える。これはすごく険しい道を歩むことになります。なぜなら常に、「私でなければその価値を生み出せない理由」を考え向かい続けなくてはならないからです。
 でも、私は後者でありたいです。何か道に迷った時、10万円の傘を作る方法を絶対に考えられる人間でありたい。そうおもって仕事をします。

 その話を聞いた副社長は、「あーね、いいね」と一言だけ返して、私を会社に迎え入れることを決めてくれました。(ちなみに私がVERTEXを退社した日、副社長からLINEがあり、「傘の話思い出した!」といってもらえてちょっと泣きました……)

 私が入社して1ヶ月後、2018年5月、VERTEXグループに入って初めての社員総会に出席します。当時はまだ20名いなかったスタッフで一室を借り、社長が自ら会社におけるカルチャーデッキの完成を発表し内容を伝えました。それがのちにも語り継がれる弊社の伝説の全社会です。

 普段は深く業務に入り込むのではなく、少し先の未来のために動き回ってくれていた社長。彼が現場の人間にもしっかり届くように、考えに考え抜いた会社として大切にしていきたいミッション・ビジョン・バリューを伝えてくれたことに、私は強烈な感銘を受けました。この会社で、この社長のため、この社長についていこうと決めたみんなのために頑張ろう!と腹が決まったのはこのころでした。私はSlackで、全社会を通して何を考えたのか社長に長文のメッセージを送り、それ以上の分量のメッセージが社長からかえってきました。私はそれを読み、心が震えました。ベンチャーってこういう感じなのか。働くってこういうことなのか、と。


カスタマーサクセスチーム〜リーダーとしての挑戦の半年間

 閑話休題。入社して2ヶ月後、6月。私はカスタマーサポートチームのリーダーに任命され、正式にチーム名を「カスタマーサクセスチーム」に変更します。カスタマーサクセスチームのリーダーになってからしばらくは、本格的に機能改善案をエンジニアさんと話し合ったり、チャーンレートを如何に下げるか考察したり、サービス初回登録時フローの離脱率を確認して問題点を突き止めたりと、マーケティング的な部分にも乗り出します。

 サポートチームには数名のエンジニア、2人のメール対応専任者がおり、彼らに支えられながら初めてのマネジメント業務を行いました。……が、実際にはプレイヤークラスの視点から抜け出せず、私自身もメール対応に1日の大半を追われることになり、毎日反省でした。

 ちょうど会社の規模が少し大きくなり、組織としての様々な足りない点、補うべき点が浮き彫りになってきたころでした。自分よりも年齢も経験も上のエンジニアに、リーダーとして経営上決定したことを伝え納得してもらうという作業にも非常に苦戦したのを覚えています。

 一方実務面では、細かい機能の改善や指示、連絡用モーダルの作成などかなり横断的に業務をこなすことができました。プロジェクトマネージャー的立場の難しさを少しだけかじることができた良い期間だと思っています。

 このころの1番の反省は、サポートチームに居たスタッフ一名を結果的に離職させてしまったことです。そのスタッフも最初は会社に残り成長するためにいろいろと頑張ってくれていたのですが、最終的には本人の申し出で会社を去ることになりました。今だに「あの時に戻れたらこんなことができたのに……」という後悔がたくさんあります。

カスタマーサクセスチームのリーダーになって得たもの

・顧客視点を忘れずに機能改善をしていく方法。アイディアを出したり、形にするまでにどんなプロセスを踏めばいいかわかるようになった。

・マーケティング的視点。数字やエビデンスによって、次打つ手のどれが最善か見極めたり、考える力。

・チームMTGなどの運営の能力。MTGをするときは目的をはっきりと伝えること、うだうだやらないこと、思考停止しないことが大切。

・マルチタスクの能力。チームでやらなくてはいけないことをできる人がいないとき、全部リーダーとして責任を持ってやっていったと思う。人に仕事を振ったり、自分でチャレンジしたり。成し遂げる方法は案外いろいろある。
カスタマーサクセスチームのリーダーになって見えた反省

・マネジメントサイドが手を動かしすぎてはいけない。自分で視座をあげる努力をすべきだった。

・エンジニアと非エンジニアのコミュニケーションは、思った以上に難しい。こちらが努力をしない限り、エンジニアの優しさと厚意に甘え続けることになってしまう。

・時には会社に合わない人、合わせられない人、ついてこられない人を切り捨てる覚悟も必要だった。それは冷たいことに感じられるが、結果的に会社に取っても本人にとっても必要なことである場合が多い。


新規事業開発へ〜挫折と反省、暗黒の半年間

 新規事業開発に向けた社内の公募があり、当時カスタマーサクセスチームのリーダーをしていた私は手をあげました。私がいなくなって現任チームをどうしようか……と考えたタイミングもありましたが、そこはやらない後悔よりやる後悔。ということで、エンジニア3名、プロマネポジションの私1名の4人で新規事業開発チームが召集されます。

 正直に言います。ここが私にとっては本当に、本当にしんどい時期でした。

 社長のイメージする新規事業についてヒアリングしながら、市場調査を繰り返し形にしていく作業。事業開発にあたり、企画・機能定義・モック作成・デザイン作成(およびデザイナー採用)・開発工数管理などをやっていきました。

 おかげさまで、一つのサービスを考え、生み出し、伝え、作り、世の中に出すまでの一通りを経験することができたのは幸運でした。この経験は必ずどこかで活きます。というか、現時点でもかなり役に立っています。

 ただ一方で、そもそもエンジニアリングのことが全くわからず、コードのコの字も書けないため、実際にアプリやサービスを開発すべき時に何も動けない。非収益部門として売り上げを縦なかればただのコストセンターになってしまうという強烈なプレッシャー。私の勉強と努力の範疇で、何とかアプリのモックアップの作成やデザイナーとの連携まではできたのですが、アプリ開発になった途端私のできることが一気に無くなりました。それによって、世にも恐ろしい”何も進んでいないのになぜか暇で仕方がない期間”の発生。

 プロジェクトマネジメントや立ち上げの経験がないまま始めた新規事業開発だったので、正直言って「何を努力すればいいのかわからない」暗中模索状態が続き、かなり苦しかったです。アプリの開発が遅延したとしても、開発の知識がないままではっきりと物を言うこともできず、静かにすみっこでリリース後の市場調査などを行う日々。

 今思えばですが、私は新規事業の開発やマーケティングにある程度不向きな性質を持っています(思考力などの問題というよりは”性質”です)。完璧主義で、より良いものを正しく作りたいという思いが強い。さらに、売り上げや数字に対する執着が根本的に薄く、どちらかというと関心がチームを作ることや人、感性や感情、社会的意義に近い場所にあると思い知りました。

 そんなこんなではっきり言って、全くバリューを発揮できていませんでした。このまま会社に貢献できないならばもういっそ辞めよう。と思ったそのころ。私に一本の辞令が舞い込みます。

新規事業チームのリーダーをして学んだこと

・プロダクトを開発する時の責任者は最低限エンジニアとしての知識や経験が必要

・新規事業はどこよりも新しいことを始める楽しさがあり、クリエイティブ脳汁がドパドパでる。けれど、非収益部門としての重圧に耐えられないと辛い。

・収益を立てることが目的のチームのリーダーは、数字への執着が必要不可欠。数字の感覚を持っていても、執着が薄かったり、数字や売上よりも社会的意義や人のつながりに価値を見出すタイプはあまり向いていない。

バリューを発揮できないまま大好きな会社にいるのは本当に辛い。(その時に、誰かに相談したり、あるいは会社をさる勇気も必要)


人事広報として再出発〜ようやく見つけた自分が仕事をする意味

 副社長と人事の顧問の方から呼び出され、当時全くバリューを発揮できず心が荒んでいた私は「クビか……?」と思いながら会議室に向かいました。そこで告げられます。

「あやなちゃん、コーポレート広報やってみる?」

 こんな感じで突如、私の異動は決まりました。実は前々から広報の仕事には関心があり、やってみたいという話は(飲みの席レベルではありますが)していました。ただ、会社にまだ広報という部門はなく、広報が必要なフェーズなのかというのも結論が出ていませんでした。

 今だから言える話ですが、当時、私が広報担当になったのは実質左遷だと感じていました。新規事業チームでバリューを発揮できなかった私に用意された、まだ存在しない広報としての職務。自らの至らなさを反省しつつも、次こそはと意気込んで人事チーム広報担当として再出発しました。ただ、私にとってこの広報という職業は天職でした。今となっては異動にどんな意図があったのか、もはやどうでもいいと感じます。仕事に希望を感じ、頭をひねり全力でぶつかることができるようになったのは、新規事業での挫折後広報に移ってきたからに他なりません。

 広報になってからは、会社に人事広報部の顧問として入ってくださっていたEさんという方に仕事のやりかたや王道、考え方を徹底的に叩き込まれます。今までベンチャーにジョインしてからというものの、道は自分で切り開くもの!と手探りでやってきた私にとって、誰かに仕事を教えてもらう経験は非常にありがたかったです。

Eさんから習ったこと

・人を説得する資料を作る時に大切なのは、目標となる数字、そのエビデンス完了までのスケジュールを欠かさないこと。誰がみてもこの二つがわかりやすいのがいい資料。

・振り返りの資料を作るときは、数字目標はもちろん、誰かが見た時に再現性の高い資料になるように気を配ること。

・0→1に向いた人材と、1→10に向いた人材と、10→100に向いた人材がいて、それぞれ良し悪しではなく考え方が違う。(Eさん曰く、私は0→1型人材、アイディアを出すのは得意だけどそれを形にしたり継続するのが苦手なのでそこを補っていくと強いぞ、とのこと)

・体調管理はマジでしっかりすべき。体調を崩したらうだうだ仕事をせず、きっぱり休む。

・人は忘れる。忘却曲線は人間関係にも言えるので、繋がっていたい人材とはファーストコンタクトから1週間以内にもう一度会う。

・文章を書けるというのは特殊スキルであり、誰もができるものではない。

筋肉は裏切らない

 Eさんと、まだ存在しなかった広報チームの戦略立案を行なっていく中で、Twitterをはじめて多くのご縁もいただきました。全くの素人だった私が、できることややるべきことを考える中で、何よりも尊い気付きだったのが、私は人や組織づくりに関心があるんだ、ということです。


青春の再発見、そして、私のこれから

 VERTEXでのいくつかの経験を経て、私は自分が働く意義を以下のように定義しました。

・信頼できる社長(=この人と、この会社の最後を見届けよう!と本気で思える人)と最後までやりぬく仕事をする。

・しなやかで、強く、透明性の高いチームづくりに貢献する。

・本気で愛せる人とプロダクトのある会社に所属して、胸を張って全世界に向けて会社の魅力を発信する。また、全社員が胸を張って発信できるような組織を自分の手で作る。

 実は、先日再会した高校までの同級生に、「あなたが人事をやるなんて意外、人に興味がないタイプだと思っていた」と言われました。たしかにそうです。

 学生時代までの私は、非常にニヒルで皮肉なタイプの人間でした。みんなで頑張るのとか、文化祭で盛り上がるのとか、体育祭で負けて泣くのとか、青春とか全力とか本気とか、そういうのって正直言ってダサいと思っていました。集団行動が馬鹿らしすぎてできず、何回も先生からは呆れられていました。友達だって多くはありません。私は一人でお金を稼ぎ、一人で生きて、一人で責任を取る生き方を選択すると勝手に思っていました。

 だから、会社に入って、仕事が楽しそうな人と出会った時、衝撃でした。仕事に対して自分が本気で取り組んで、施策の結果に一喜一憂したり、達成できなくて悔しい思いをしたり……なによりも、「仕事で青春している人たち」を目の当たりにしてその影響を受け、私は気づいたのです。

 「あ、私、本当はこういうことがしたかったんだな」

 本気でぶつかりながら最善手を考えたり、会社のカルチャーについて朝まで語り合ったり、全力で仕事を終えた後バカみたいにお酒を飲んで、”みなさんと出会えて一緒に仕事ができて嬉しいです!”って叫んでみたり。そういう青春っぽくて、私が昔ダサいと思っていたようなことが、本当は心の底から、やってみたかったんだな、と。

 会社を辞め、再出発を決めた理由はいろいろあります。何よりも、自分にはもっともっと研鑽が必要だと思ったことが大きいです。会社への不満や辛さが募ったというよりは、私はより小さい組織で人事として、最高のチームを作り上げ全員で全力で仕事をする人生選びたいと思い、会社を去ることを決めました。

 また、仕事をする中で、先ほど書いた三つの条件を満たす会社に出会うことができました。そしてその会社の方々に「ぜひあやなさんと働きたい」と本気のアプローチを受けたことが大きいです。私は新しい会社の人にもプロダクトにも惚れ込み、新しいキャリアに挑むために今着々と準備をしています。

 これからはより良い組織を、”自分の手で"作るため、再出発を決めたのです。私が敬遠してバカにしていた青春物語の、主人公になるために。

 たくさんの学びのある二年間でした。たくさんの喜びと悔しさに満ちた、二年間でした。このnoteを読んで、VERTEXに入りたい!と思った人は、ぜひ 人事の船津さん にDMをお願いします(宣伝です。笑)

 VERTEXグループに私を引き入れてくれた社長、いろいろなことを教え技術的に支えてくれたCTO、なんだかんだいつも私を見守り後押ししてくれた副社長、一緒に頑張ってくれた船津さん(名指し)、私に仕事の基礎を教えてくれたEさん、精神的な支えになってくれた総務のお姉さん、CSチーム、新規事業チームで至らない私を叱咤激励しリーダーとして尊敬してくれたみなさん、本当に今までありがとう。

 強くなってまたどこかで会いたい! と、今は本気で思っています。2020年からは第二章突入、という心持ちです。新たな価値観を胸に刻み、これからも邁進します。

 長くなりましたが読んでいただけてありがとうございました!


 

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