エルサルバドル③ — エルサルバドルの今後 —
<前回記事>
これまで、エルサルバドル現地でのBitcoinのリアルな姿をお伝えしてきた。
さまざまなBitcoin関連の取り組みがある一方で、普及の拡大や経済への影響には乗り越えるべき課題が多い。そこで本章では、これまでの動きと今後の展望をまとめる。Bitcoinとともに歩むこの国の行方を、追いかけてみよう。
エルサルバドルに歴史的投資
2024年8月12日、エルサルバドルに滞在中の私の耳に、大きなニュースが飛び込んできた。トルコの港湾事業会社、Yilportがエルサルバドルに16.2億ドルを投資するというのだ。この金額は同国向けの民間投資としては過去最大規模である。
今回の投資はエルサルバドルの港湾拡張が目的で、対象となるのはAcajutla港とLa Union港。これらの港湾は今後50年間、Yilportとエルサルバドル港湾執行委員会(CEPA)が共同で管理することとなる。
エルサルバドル最大の港であるAcajutla港は、1961年に操業を開始し、コーヒー、砂糖、バルサミコ塩など主要な輸出品の大半を扱ってきた。また、同国の石油製品の主要な生産拠点でもある。しかし、太平洋の外海に面しているため、自然条件による波の影響が大きく、貨物の取り扱い能力に限界があった。
この問題を解決するために建設されたのが、内海に位置するLa Union港だ。Fonseca湾の西に位置し、外海からの影響が少ないこの港は、日本の国際協力銀行(JBIC)からの112億円の円借款を含む214億円の予算で2005年に着工、2010年に開港した。しかし、アクセス道路や港湾施設の整備が不十分だったため、稼働率は期待ほど伸びず、潜在能力が十分に発揮されていなかった。
Yilportの投資による港湾開発は二段階で進められる。第一フェーズでは、Acajutla港の改修とLa Union港の浚渫工事および設備導入が行われる。そして第二フェーズでは、Acajutla港のキャパシティを現状の3倍に増強する大規模なインフラ整備が実施される予定だ。
この開発が完了すれば、エルサルバドルは物流のハブとしての役割を強化し、ホンジュラスやニカラグアなどの近隣諸国へもサービス提供が可能となる。まさにエルサルバドルが海上物流拠点としてのポテンシャルを開花させる瞬間が近づいている。
La Union港の開発の話が特に注目されるのは、港から車でわずか40分の場所に、「Bitcoin City」が計画されているからだ。
ブケレ大統領が2021年に発表したBitcoin City構想は、La Union地域のConchagua火山の麓に、付加価値税(VAT)以外の税金を一切徴収しないタックスヘイブン都市を開発するというもの。住宅地や商業施設、博物館、空港、鉄道など、あらゆる施設でBitcoinが使える都市とする計画だ。また、Conchagua火山の地熱エネルギーを活用し、街全体の電力供給とBitcoinマイニングの電力源とする構想も掲げている。
この大胆なプロジェクトの資金は、「Volcano Bond」と呼ばれるBitcoin担保債券で調達する計画だ。LaGeoという国営地熱発電企業が発行体となり、発行額10億ドル、期間10年、利回り6.5%という条件が示されている。2022年にはデジタル資産発行に関わる証券法も整備され、プロジェクトの基盤が整ったかに見えたが、債券の発行は何度も延期されており、2024年第一四半期の発行予定も未だ実現していない。
このように実行段階に至っていないBitcoin Cityプロジェクトだが、YilportによるLa Union港の開発が進めば、港湾インフラの整備と並行して資金調達や開発が進む可能性が高まる。La Union港の整備はエルサルバドル全体の物流を強化するだけでなく、Bitcoin Cityの発展に向けた重要な足がかりとなるからだ。Yilportの投資は、エルサルバドルの未来を切り開く歴史的な一手と言えるだろう。
Bitcoin戦略:官民の動きを追う
Bitcoin Cityについて触れてきたが、エルサルバドルではその他にもビットコインに関する官民の動きが活発だ。以下にその主なトピックをまとめる。
政府のBitcoin積立
エルサルバドル政府は、2021年にBitcoinを法定通貨として以降、定期的にBitcoinを購入している。2024年からは毎日1Bitcoinを積み立てており、2024年9月24日時点では5,883BTCを保有している。
順調に積立を続ける政府のウォレットの状況は、Bitcoin Explorerで確認が可能だ(アドレス: 32ixEdVJWo3kmvJGMTZq5jAQVZZeuwnqzo)。
暗号資産ビザプログラム
2023年12月、エルサルバドルはBitcoinまたはUSDTに100万ドルを投資すれば市民権を取得できるというビザプログラムをスタート。発給は年間1,000人限定で、投資資金は経済発展を目的とした文化・社会プログラムに活用される。このプログラムは、カリブ海諸国で実施されている「投資家市民権付与」の仕組みに倣ったものだ。また、ステーブルコイン発行会社Tetherの支援を受けている。
Bitcoin Bankの設立
2024年6月、ブケレ大統領はBitcoinと米ドルを統合するプライベート投資銀行(BPI)の設立構想を発表した。BPIはBitcoinによる預金や融資などの金融サービスを提供する銀行だが、実現には金融規制の改革が必要で、現在そのための法案が審議中である。
Bitcoin教育の拡充
Bitcoinの普及には教育が欠かせない。非営利団体「Mi Primer Bitcoin」 は先駆けとなり、2024年8月までに35,000人以上の生徒にビットコイン教育を提供。2023年9月には政府も本格的に教育に乗り出し、エルサルバドル全土の学校でBitcoin教育を展開するパイロットプログラムを発表した。このプログラムではまず150人の公立学校教師にBitcoinの知識を習得させ、それを全国に広げていく。
さらに2024年2月には、「Node Nation」というカリキュラムを導入。これは、BitcoinのLightning Networkノードのプログラミングや流動性管理の基礎を学生に教えるプログラムで、デジタル技術の普及を促進する。そして、2024年8月には8万人の公務員を対象にBitcoinのトレーニングが行われることも発表された。
諸外国とのBitcoin連携
エルサルバドルは、他国とのBitcoin連携にも積極的だ。2024年5月にはアルゼンチンの証券取引委員会と会合を開き、今後の協力関係を模索中だ。アルゼンチンでは通貨の急激な価値下落を受け、ビットコインや米ドルの法定通貨化が検討されている。また、2024年7月にはロシアに対してBitcoinを用いた貿易協定の構想を提案。米国からの経済制裁で決済手段が制限されるロシアにとって、新たな決済ツールとしてBitcoinが注目されている。
民間投資の拡大
官民のBitcoin関連プロジェクトとしては、Yilportの港湾開発だけではない。Volcano Energyも注目すべき企業のひとつで、2023年6月にエルサルバドルのMetapan地域に241メガワットのBitcoinマイニング施設を建設するため、10億ドルの投資を発表している。このマイニングは風力と太陽光という再生可能エネルギーで行われる計画で、Tether社も事業に参画している。
また、2024年5月の報道によれば、火山の地熱エネルギーを活用したBitcoinマイニングで、これまでに474BTCを生成済みだという。自然エネルギーを活かしたマイニングは、エルサルバドル独自の強みとなっている。
地政学的なユニークさ
エルサルバドルが独自のBitcoin政策を推し進める背景の一つに、地政学上の非常にユニークな立ち位置があるのではないかと考える。現在、国際情勢はウクライナとロシアの対立や、イスラエルとアラブ諸国の紛争、それに加わるアメリカ、欧州、中国などの大国の影響力の行使によって、大きく揺れ動いている。このような複雑な対立構造が、世界経済と国際金融システムに波紋を広げているのだ。
特に、国際送金の分野でその影響は顕著である。制裁措置により、特定の国や地域の資金の流れが制限されると、SWIFT(国際銀行間通信協会)などの従来の金融ネットワークへのアクセスが遮断されるケースが増えている。その結果、制裁対象国や紛争地域にいる人々、あるいはその地域と取引を行う企業にとっては、資金移動が困難となり、国際取引のコストや時間が増加する状況が生まれている。
こうした状況下で、既存の金融システムは不安定化し、制裁やリスクのヘッジに対応できる新たな国際送金手段が求められている。その選択肢のひとつとして注目されているのが、Bitcoinをはじめとする暗号資産である。
エルサルバドルは、こうした対立構造の中心から外れた独自のポジションにある。米国の影響を受けているものの、直接的な対立の当事者ではない。この地政学的特性により、エルサルバドルは柔軟かつ独自の経済戦略を打ち立てる余地を持っているのだ。
同国はアメリカとの緊密な関係を維持しつつ、中国から多額の支援を受け、ロシアとはBitcoinを活用した貿易協定を模索している。さらには、アラブ諸国とのつながりを持つYilportからの巨額投資も受け入れ、まさに全方位外交ともいえる多様な戦略を展開している。
エルサルバドルのBitcoin政策は、このような複雑な国際情勢において、国際金融リスクを回避する一手としてユニークな強みを持ち、国際送金のハブとなるポテンシャルを秘めている。今後の展開次第では、エルサルバドルの取り組みが国際金融の新たなモデルケースとして他国にも影響を与え、世界の国際送金システムに新たな方向性を示す存在となる可能性がある。
Bitcoin普及の現状
紹介してきたように、エルサルバドルは、ブケレ大統領のもとでBitcoin改革を積極的に進めてきた。今後の成長に期待が寄せられているが、足元のBitcoin普及の現実にも目を向けてみたい。
暗号資産保有率
約636万人のエルサルバドル国民のうち、暗号資産を保有しているのは全体の10%にのぼる。暗号資産先進国として知られるシンガポールの保有率は11%であり、これと比べるとエルサルバドルの保有率は決して低くないといえる。
ちなみに、暗号資産の保有率が15%を超える国は、2023年時点でUAE(30%)、ベトナム(21%)、アメリカ(15%)の3カ国のみである。
しかし、エルサルバドルでの保有率が高い背景には、Chivo Walletのリリース時に30ドル相当のBitcoinを国民に配布したことが影響している可能性がある。
2022年に全米経済研究所(NBER)が実施した調査では、国民の68%がChivo Walletを認知しており、インストールしたのは46%。しかし、そのうち30ドルのボーナス受取後も利用を続けているのはわずか20%という結果だった。これらのデータから考えると、現在の10%という保有率は現実的な数字といえる。
なお、Chivo Walletで付与された30ドルの価値は、一人当たりGDP約4,000ドルのエルサルバドルでは、3.75日分の最低賃金労働の給料に相当する。日本の水準で換算すれば、時給1,050円で8時間労働を3.75日実施したときの31,500円と同じくらいのインパクトがある。
企業の暗号資産対応
暗号資産の保有が広がっても、それが支払い手段として使えなければ普及は進まない。NBERのレポートによると、エルサルバドルのBitcoin法は企業に暗号資産支払いの受け入れを義務づけているが、実際に対応している企業は20%にとどまる。しかも、Bitcoinで支払われる売上は全体の4.9%のみで、企業の88%が受け取ったBitcoinをすぐに米ドルへ換金し、さらにその71%が現金で引き出しているというのが現状である。
私が現地を訪れた際には、実際にBitcoin支払いに対応している企業は20%にも満たない印象だった。
国際送金でのBitcoin利用率
Bitcoinの大きな利点のひとつに、国際送金の手数料削減がある。Chivo Walletでは、Bitcoinから米ドルへの交換や送金、さらにはChivo ATMでの現金引き出しに手数料がかからない。ところが、2022年のエルサルバドルにおけるBitcoinを使った国際送金は全体の2%弱にすぎない。
なぜ国際送金でのビットコイン利用率が低いのか。国際送金の手段を①銀行送金、②オンライン送金、③暗号資産送金に分けて比較すると、手数料やスピード、利便性の観点でBitcoin送金は優れているはずだ。しかし、現実にはハードルが存在する。
例えば、アメリカで働くエルサルバドル人が家族にドルを送金する場合を考える。送金者は銀行口座にドルを持っているが、それをChivo Walletに移すには次の方法がある:
A. Bitcoin ATMからチャージ:アメリカのATM設置場所が限られているため非現実的。
B. CEXでBitcoinに交換してChivoに送金:Coinbaseなどで口座開設する手間と手数料がかかる。
C. DEXでクレジットカードを使ってBitcoin購入:手数料は少ないが実行のハードルが高い。
D. オンライン送金サービスを利用:送金は可能だが、Chivo Walletを使う理由がなくなる。
このように、アメリカからChivo WalletへのBitcoin送金は手間がかかり、現実的に利用しにくいのではないか。また、Chivo Wallet自体に技術的な送金トラブルが起きていることも、国際送金でのBitcoin利用が進まない要因と考えられる。
さらに、Chivo Walletは現在、引き出しや交換に手数料がかからないが、NBERの調査によると、仮に手数料がかかる場合の許容額は、100ドル引き出しで3.3ドル、Bitcoinからドルへの交換で2.9ドルが平均値である。これは一般的な取引所の手数料よりも低く、政府の補助がなければChivo Walletの利用が進まない可能性を示唆している。
データがやや古いものが多いが、エルサルバドルにおけるビットコインの利用実態は以上のような状況である。2024年8月、ブケレ大統領はTIME誌の取材で「もっと多くのことができるはずだ。ビットコインの普及はまだ我々が望むほど広がっていない」と述べている。本稿の冒頭で触れたように、エルサルバドルでのビットコイン改革は、ようやく加速しはじめたばかりだ。
エルサルバドルのこれから
改革の基本戦略
エルサルバドルがBitcoin改革をどこまで進められるかは、ブケレ大統領のリーダーシップにかかっている。経済発展と安全保障の近代化を掲げ、エルサルバドルのリブランディングに取り組む彼は、2029年までの在任期間中に国をどのように変えるのだろうか。
2024年に発表された 「Six-phase economic strategy for 2024-2029」には、その方向性が示されている。食料安全保障や技術ハブの構築など、エルサルバドルの経済構造を変革するための6つの柱から成り立つ計画である:
また、「Six-phase Economic Strategy」と並行して、エルサルバドルは「The Digital Agenda 2020-2030」にも取り組んでいる。これは、デジタル国家の実現に向けた政策方針であり、次の4つの柱から成り立っている:
これらの取り組みは、社会全体のデジタル化を進め、ビジネス環境や生活の質の向上を目指すものといえよう。
戦略の進捗と課題
こうした戦略は大きな期待を集めているが、実行力の面で課題が見られる。現時点では「The Digital Agenda」に関する目立った成果がほとんど上がっておらず、Bitcoin Cityや交通インフラのプロジェクトなど、ファイナライズされない計画が散見される。中長期的な計画では、現状と目標の間に大きなギャップが生まれがちであり、迅速な実行と優先順位の明確化が求められる。
特に「The Digital Agenda」の遅れには、インフラや通信網の整備不足が影響している。地方部ではインターネット接続環境が整っておらず、デジタルサービスの普及を妨げる要因となっているため、通信インフラの強化とデジタルリテラシー教育の拡充は急務である。また、政府のリソース不足や手続きの遅延、予算の制約も計画の進行を妨げている。官民連携の強化、国際援助の活用、官僚制度の効率化が、実現をスムーズにするための鍵となるだろう。
さらに、Bitcoin政策の透明性不足も課題である。IMFからは規制の不透明性や財政リスクへの懸念が示されており、対外支援を受けるためにも、情報の開示と規制の整備が重要だ。
着実な進歩と今後の可能性
一方で、エルサルバドルの歩みは着実だ。2024年4月にはS&P Global Ratingsが同国の長期ソブリン信用格付けを「B-」、短期格付けを「B」に据え置いた。2017年以降「CCC-」前後を推移していたエルサルバドルの信用格付けが安定してきたことを意味する。また、経済学では、海外直接投資(FDI)と経済成長には正の相関関係があるとされており、エルサルバドルへのFDIは年々増えている状況だ。
今回の調査を通じて、私自身の視点も変わった。
Bitcoinへの興味から始まった旅だったが、現地での取材やリサーチを重ねるうちに、Bitcoin以上にエルサルバドルという国が持つ可能性に魅了された。内戦やギャングの暴力で荒廃し、突出した産業も観光資源もなかったこの国が、Bitcoinという革新的なツールを使い、経済を再構築しようとする姿には目を見張るものがある。
もちろん、解決すべき課題は多い。Bitcoin普及は一朝一夕では進まないだろう。それでも、Bitcoinが呼び込む投資によってインフラ整備が進み、国民の生活が向上し、結果としてBitcoinを使う人々が増える——その未来に期待したい。
何よりも印象的だったのは、サンサルバドルやエルソンテで出会った、Bitcoinに誇りを持つ人々の笑顔である。彼らの情熱が、新たな産業を生み、国の未来を照らし出す力となることを願わずにはいられない。
エルサルバドルはBitcoinと共にどこへ向かうのか。その行方を見守り続け、再び現地を訪れる日を楽しみにしている。
本連載は以上となります。本件に関するお問い合わせは、当社HPよりお願いいたします。
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