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歴史考察 #144『火事で景気が良くなる?』

こんにちは、véritéです。
日本最古の公許花街であった京都・島原大門前に「天水桶」が置かれていました。

「天水桶(てんすいおけ)」とは、江戸時代に防火や打ち水用として置かれた水桶です。

なぜそこに「天水桶」が?
調べてみますと、気になる一文に遭遇しました。

それは「火事で景気が良くなった皮肉な話」です。
とにかく火事が多かった江戸では、消防組織の火消が大活躍でした。

火消には大名が務める大名火消、旗本が務める定(じょう)火消、町人が務める町火消があり、町火消が設置されたのは、享保3(1718)年です。

町火消は町奉行配下の与力・同心が指揮する消防隊で、火消は消火活動をするというより、炎が広がらないよう被害を最小限にすることが主な仕事。

竜吐水(りゅうどすい)というポンプで水を出して桶で水をかけ、鳶口(とびぐち)やまさかりで建物を壊して延焼を防ぎました。

ちなみに火事のあとは「復興のために職人の手間賃がぐんとアップ」するとも...

江戸時代は頻繁に火事が起きたと言われていますが、「火事後の特需が目的」だったこともあったのでは?

そしてそれは火事のみならず、地震や戦争しかり...
そしてその「特需の恩恵」を受けるのは...?

そんなことが頭を過った夕暮れの京都・島原大門前でした。

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