見出し画像

歴史考察#123『キリスト教は奈良時代に?』

キリスト教は、1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによってもたらされたと言われています。

しかし、奈良時代(710年~794年)にはすでにキリスト教が入っていたという説もあるようです。

その根拠のひとつとしては、700年代の唐においてキリスト教徒(景教)がいたことです。

キリスト教の宗派の1つに「ネストリウス派」と呼ばれる宗派があります。

313年、ミラノ勅令によりローマ帝国ではキリスト教が公認になりました。その頃になりますと、イエスの教えについて様々な解釈が生まれ、宗派もできていました。

431年、キリスト教の教義に関する重要な第3回の公会議である「エフェソス公会議」において、イエスの本質を人性にあるとする「ネストリウス」の教説が異端とされ、「ネストリウス派」は、エジプトから、ペルシャ、そして唐(中国)へ……。

635年には唐の長安に到着し、ネストリウス派は光の宗教「景教」として中国で盛んに信仰されることになります。

そして3年後の638年には、唐により公認され、唐朝は資金を援助し、長安には「大秦寺(だいしんじ)」という「景教(キリスト教)」の寺院が建立されたとありました。

ちなみに「大秦」とは中国においてはローマ帝国を意味したそうです。

しかし、845年の武宗による弾圧をきっかけに、「景教(キリスト教)」は、中国大陸においては跡形もなくなったと言われています。

一方、奈良時代の平城京には.中国系、インド系、ペルシャ系など外国人が闊歩し、役人をしていた記録も‼

こうしたことから、奈良時代(710年~794年)には「景教(キリスト教)」がもたらされたのではないかと言われています。

※京都・太秦には三柱鳥居の「蚕ノ社」があります。

ちなみに、浄土宗や浄土真宗の「人間の限界」や「絶対的な存在にすがる」という教えは、キリスト教に似ているとも言われていますね。(※浄土宗は1175年に法然が開宗)

こうしたことから、キリスト教は公式で言われている時代よりもずっと前に日本にやってきたと考える方が自然です。

古い時代には「大」と「太」は混用され「大秦」は「太秦」と同じであることから、京都の「太秦(うずまさ)」と長安の「大秦寺(だいしんじ)」の関係も気になるところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?